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『惑う After the Rain』──レトロに隠された劇的なるもの(★★★★★) [映画レビュー]

『惑う After the Rain』(林弘樹監督、 2016年)


タイトルの出方といい、昭和30年代頃のいにしえ映画の趣である。色合いといい、もったりしたセリフ回しといい、物語の場面設定といい、また、描かれる生活といい、これまでわれわれが切り捨ててきたもの、言ってみれば「古きよき日本」そのものである。それはそれで、ある意味「度肝を抜く」が、そういう映画で終わってしまうのかな〜と漫然と見ていると、時間は昭和27年から、突然昭和55年に変わり、昭和35年になったり、また27年になったりする。そうやって、「1章」「2章」と進む。


物語の基本は、昭和55年、どちらかといえば伝統的な家屋で、伝統的な暮らしをしている普通の銀行員の女性が、明日は結婚ということで、母と「実家での最後の時間」を過ごす。その時間さえ、あっけないほどさりげなく、どこか心さみしく感じられる──。


だが、やがて、この家族が、特別な家族であることがわかってくる。父はすでに他界しているが、この父は、もともと子だくさんの貧乏人の末っ子で、勉学心に溢れていたので、私塾の教師の養子になる。その私塾の教師の家が、由緒ある料亭であった。その養子はイギリスへ留学して学者となり、私塾を継ぐ。それが物語の一家の父親セイシロウで、料亭の仲居をしていたが、そこをクビになった、イトという女がセイシロウと出会い、「身の回りの世話」をするお手伝いさんとなる。この宮崎良子演じる、イトという女が、実は、物語の中心、真の主人公なのである。このイトは、空襲で家族を失った女であるが、日本の女性が身につけているべきものはすべて身につけ、しかも心根がよく、終始笑顔のすばらしい女性である。


この一家は、セイシロウとイトの夫婦に二人の女の子がいるが、女の子二人は、二人の実子ではなく、ある「雨の夜」、庭先に、捨てられていた子どもである。一人は赤ん坊で、姉の方も2歳ぐらい。イトはかわいそうに思って、自分の子どもとして育てるという。その時、まだ彼女の身分は、「お手伝いさん」である。しかし、セイシロウもその考えに賛成し、イトに結婚を申し込む。そうして、「家族」が生まれ、セイシロウもイトも、その子たちを心から愛し育てる。


セイシロウの夢は、自分の家から子どもたちを嫁に出すことだったが、発作を起こして死んでしまう。イトが意志を継ぎ、和裁の内職で必死になって子どもを育て、いよいよ嫁入りとなる。しかし、妹の方は、都会に出て、未婚の母となって戻ってくる。家も、由緒ある料亭の離れなので、区画整理の建て替えのため、本家の長男から出てくれと言われる。


それやこれやいろいろあったが、しっかりものの長女や塾の卒業生たちの協力で事態はよい方に運び、ついに長女の結婚式が、その料亭の座敷でとりおこなわれることになる。これさえ、古めかしい、「高砂や〜」の「祝言」形式である。花嫁は白無垢に次いで、お色直しをする。あでやかな赤い着物。しかし、そこに、司会役料亭長男(なんとなくまかれて、ちょっとだけ「いい人」になっている)が「もう一組をご紹介します」という。未婚の母の妹が、やはりあでやかな白系の着物で、子どもの父の男と登場。驚く招待客たち。姉妹のお披露目の日本舞踊が始まる。ここで、姉妹の子ども時代から、母イトが独自に鍛えていた踊りが生きるのである。


ここらあたり、がーーーっと劇的なるものが高まる。


宮崎良子のイトが最高である。料理、和裁、舞踊、作法……すべて備えている、真のしっかりした、しかしそれを表に出すことのない女が、「家族」の意味を組みかえ、「完成」させるのである。

 

 

 



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