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『スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』──悟り顔のマーク・ハミルに星5つ!(★★★★★) [映画レビュー]

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督、2015年、原題『STAR WARS:THE FORCE AWAKENS』

 どうせお祭りである。お祭りの映画は、ほかにもある。たとえば、『007』→残念ながら、おとなオンリー。『ミッション・インポッシブル』→これもおとな向き。『ジュラシック・パーク』→お祭りというには、ちゃち。……ということで、もう、みんなが楽しめて、グッズなどもちょっと買ってみようかという気にさせてくれる映画は、『スター・ウォーズ』しかない。この映画の最大の魅力は宇宙への誘惑である。この点に関して、次回、マット・デイモンの『オデッセイ』がひかえている。風景、キャラクター、乗り物、「用語」など、「はるか彼方の」宇宙へと思いを馳せさせてくれるというところがポイントである。それと、長いシリーズ=サーガへの信頼である。

 本作、悪役がイマイチなど、いろいろ批判はあるだろうが、基本的な魅力をそこなってはいないと思うし、それなりの「更新」もしている。予定シリーズ全9作のうち、残すところ、あと2作となったが、本作では、前作の整理もよく行われて、物語はすっきりと理解しやすいものとなっている。

 主人公が若い女になったのもよいし、「二代目ダースベーダー」のお面取ったら、イケメンというのも今風である。新しいロボット、「オレンジと白」の、BB-8の登場もおもしろい。そして、ストーリーは、ルークを捜すことが柱となる。新しいロボットが持っていた宇宙地図の「部分」と、休止中のR2-D2が持っていた、「部分的」に欠けた「全体」の地図のホログラムを重ね合わせると、ルークの居場所(星)がわかる──。

 

 屑を拾い集めて売っては「食っている」、ヒロイン、レイが、「フォースに目覚める」──。そして、レイア姫の将軍などの期待のもと、ルークのいる星へ向かう。果たしてそこには、キリスト教の隠者めいた恰好の頭巾付の外套をまとった人物(『薔薇の名前』とか、『ダ・ヴィンチ・コード』でおなじみの)が崖から下を見下ろすように背中を見せて立っており……レイの気配にゆっくり振り向き、頭巾をずらすと……そこには、悟った顔の老いたルーク・スカイウォーカーが……で、映画は終わるが、その表情が実に劇的なのである。タイトル・クレジット、たったそれだけの出演で、ハリソン・フォードの次に名前を連ねている。ハン・ソロなんて、かつては脇だったのに。これは、出演料順か(笑)? あ、マーク・ハミル、『キングズメン』では、悪い博士になってましたけどね(笑)。

 

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『パリ3区の遺産相続人』──ディープなパリ+ステレオタイプメロドラマ(★★) [映画レビュー]

『パリ3区の遺産相続人』(イスラエル・ホロヴィッツ監督、2014年、原題『MY OLD LADY』


 


 監督の、イスラエル・ホロヴィッツは、アメリカ人で、舞台の脚本家としてキャリアを持っている人である。『いちご白書』の脚本も書いてる。70代ながら、本編が初の長編映画である。そんな作品の舞台に選んだのは、パリのマレー地区。歴史とおしゃれなお店が混在し、最もパリらしい地区と言われる。なるほど、この作品を見ていると、どっぷりパリである。意外にも、観光や普通のパリを舞台の映画では見られない区域にまでディープに入り込んで、パリに住んでいる気分を満喫させてくれる。


 だが、どうも、この映画は「それだけ」である。物語は、いかにもありがちな、中年、というより、初老男女のロマンスへと収束していく──。


 ニューヨークから、父親がパリに持っていたいうアパルトマンを相続した、一文なしの男がやってきて、そのアパルトマンに生活している老女とその娘と、ごたごたを起こす。フランスには、Viager(ヴィアジェ)という制度があり、住んだまま建物を安く売り、買い主から終身、年金の形で、購入代金の一部を受け取ることができる。契約者の死亡によって、はじめて不動産は買い手に引き渡される。そうした法律を下敷きにして物語は進んでいくが、どうも一本調子で、最後は、その男と、老女の娘が結ばれる。めでたし、めでたし、である(笑)。


 その老女は、男の父親の愛人だったのであり、その娘は、もしかしたら、男と兄妹かもしれない……。それが唯一の「サスペンス」であるが、それも、映画では簡単な、医師から渡される一枚の医学的証明書を得て、解決される。


 主人公の男、ひさびさ、ケヴィン・クラインであるが、当時67歳で演じる57歳には、ちょい無理があり、老女、マギー・スミス、80歳なのに、92歳はちょい気の毒である。老女の娘は、55歳のクリスティン・スコット・トーマスで、まあ、ちょうどいい感じ。それに彼女は、イギリス人なれどフランスで演劇修行をし、夫もフランス人なので、話すフランス語は、ほとんどネイティブである。


 まーなんというか、「いまどき」、こういうハナシで、喜ぶ観客がいるのかね〜? である。とくに、クラインとトーマスは、舞台で鍛えた演技力を、ここぞとばかりに披露しあっているが、映画では、やや大げさになってしまう。過去の辛い経験を、言葉で語れば、そのキャラクターに深みが出ると思ったら大間違いである。


 長編初監督作品、コケ。ご愁傷様。ホロヴィッツはベケットに師事していて、終わり近くに、庭の石碑(男が父の骨を送り、おそらく老女が建てた)に刻まれた、「『あなたの愛が得られないなら、ほかの愛なんかいらない』──サミュエル・ベケット」という言葉が映し出されるシーン(ほとんど一瞬)もあるが、本作には、言葉と肉体の分離という不条理に落ち込んでいくベケットらしさは、つゆほどもなく、あまりにステレオタイプのメロドラマで、いったいベケットのどこを学んでいたのだろう? と首を傾げるしあがりとなっている。

 

****

 

 

(お写真、自分が撮影したパリであります。主人公は、このセーヌの岸辺あたりをウロチョロします)


 

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【詩】 「愛されるために、ここにいる」 [詩]

【詩】 「愛されるために、ここにいる」

 

どんなに深い考えを持っていても

犬という外形を抜け出すことはできない

人間もまた

その形が亡びてしまえば

すべて終わり

無へ帰っていく

疲れた中年男と、

自分の結婚式のためにタンゴを習うことにした女は、

男のアパルトマンの向かいにある

ダンス教室で出会った

原題は「Je ne suis pas là pour être aimé」、「愛されるために、ここにいるわけではない」と、

邦題とは反対の意味になってしまうのだが、

とりようによっては、

愛されるために、ここにいる「わけではない」の、

「わけではない」が省略されているとも考えられる

女は男の家に、はじめて招待され、ソファに並んで二人で

お酒、ワイングラスより小さな足つきグラスだから、

なにかもっと強いリキュールのようなものだろうか

それを女は飲み干し、それから……

男が切り出すのだ──

習っているタンゴのステップを。両手の指を足に見立て、

目の前で動かして見せる。

「こうだった?」

「ちがう。こうよ」

女も同じように両手の指を使い、スクェアのステップを

示してみせる──

「パッソ、パッソ、パッソ……

「あ、そうか」指で真似して、「パッソ、パッソ、パッソだね」

「ちがう。パッソ、パッソ、パッソよ」

「わかった。パッソ、パッソ、パッソか」

「そう」

それから──

観客が期待するようなことは何も起こらない

「お休みなさい」と言って女は帰る。

男には老人ホームに父親がいて、

90%カカオチョコを、男が買ってくるのを待っている。

「だめだ、90%でないと」

父親は無愛想だが、実は──

父親は死に、男が父のホームの部屋を片付けていた時

粗末なクロゼットのなかに、

男が学生時代に獲得したサッカーだったかの

優勝カップを大事にしまっていたのを知る

「愛されるために、ここにいる」

のを、男は知る

aimé(愛される)」という受け身の形は、

愛される対象が、男性であることを示している

私は、自分の犬が、ある日ピノキオのように、

 

人間の言葉をしゃべりだすという場面を夢想する

 

 

 


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『黄金のアデーレ 名画の帰還』──黄金のヘレン・ミレン(★★★★★) [映画レビュー]

『黄金のアデーレ 名画の帰還 』(サイモン・カーティス監督、2015年、原題『WOMAN IN GOLD』


 


 さすがBBC製作だけあって、ナチスの悪行も表現として最小限に抑えられ、どこからどこまでも未成年に見せても、なんら隠す場面はないように品格のある作りになっている。しかし皮肉なことに、そういう抑制されかつ美への配慮もされている映画ながら、語られていることは存外奥が深く、果たして成熟途上にある未成年がどれだけ理解できるかは、はなはだ疑問だ。それは欠点ではなく、それだけ「おとなの映画」であるということである。


 ナチスに奪われた美術品を取り返す、といえば、最近では、『ミケランジェロ・プロジェクト』などを思い出すが、本作のテーマは単なる奪回ではない。それは心の回復。主人公の、もとはウィーン人であったマリア(ヘレン・ミレン)にとっては回復だが、彼女の「闘争」の弁護を引き受けた、友人の息子の新米弁護士ランディ(ライアン・レイノルズ)にとっては、アイデンティティの発見である。彼は、シェーンベルグの孫で、ホロコースト記念館で、ユダヤ人としてのおのれの出自に対面して、ひそかにトイレで泣く。そこから、彼の、「本気の」弁護士としての行動が始まる。


 オーストリアといえば、ヒトラーの出身地であり、戦後も裕福な人々が多いとされる国である。しかしもしかしたら、「汚さ」では、ドイツを上回るかもしれない。それが、堂々と、美術館にナチスの収奪品を国の宝として飾っているゆえんである。そういう姑息な国を相手に、「カジュアルな訴訟国」、アメリカ人が、出自の誇りをかけて「闘う」のである。それは優雅な闘いでもある。なぜなら、老齢のヘレン・ミレンが、店を持ち、自立した生活を営み、小娘のような心を、孫のような(実際には、親子程度の違いだが)男にぶつける。男は男で成長し、かつ、ヘレンを丸ごと抱きとめる大きさを持っていく。これは、かなり恋愛に近い関係である。そういう微妙さを、39歳のライアン・レイノルズと、今年の秋70歳になったばかりのヘレン・ミレンが演じる。


 ライアン・レイノルズといえば、『ゴースト・エージェント』で、殉職してあの世の捜査官になったさい、「先輩」のジェフ・ブリッジスにやれっぱなしになる。とくに、ブリッジスの、現世のアバターが若くてチョーいい女なのに対して、レイノルズのアバターは、「チャイニーズ・オールド・ガイ?」なのであった。そのふて腐れぶりがすばらしかった。その小僧っ子風を本作にも持ち込み、だんだん成長していく姿を見せる。一方、ヘレンは、エリザベス女王役をはじめ、60代で80代をやるのにはなんの躊躇も見せない。老いてはいるが、決して醜さは見せない。すっとした背筋や自然な表情、着こなしは、老いも悪くないと思わせる、さすがの「ダム」である。そういうコンビが見せる、まさに黄金の輝きに満ちた作品である。

 



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