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『リリーのすべて』──最も新しく知的な役者レドメイン(★★★★★) [映画レビュー]

『リリーのすべて』(トム・フーパー監督、2015年、原題『THE DANISH GIRL』)


 


 ベルクソンによれば、人の心と肉体(脳髄も含む)は平行していない。おそらく、性別なるものも、合理的な思想が考え出したものだろう。仮に男性と名づけられた性が精子を持ち、女性と名づけられた性が卵子を持ち、それらの結合によってもうひとつの生命が誕生する。これは外側から認識された事実である。では内側は? 人間という生き物の内側に入ってみれば、そこには直に感じられる何かがある。海辺の光を見た時の意識、絹の下着を身につけた時の感覚、ある他者を前にしたときの感じ……。それを外から認めることはできない。人の内面とは外からの描写ではとても追いつくことができないほど微妙なものである。


 おそらく、エディ・レドメイン演じるアイナーは、肉体は、男性と呼ばれる性のようでありながら、精神はその性に見合うようにはできていなかったのだろう。これを、科学は、「性同一性障害」などと片づけているが、ベルクソンの考察はそれほど単純ではない。第一には、こうしたケースはまれなのかもしれないが、病気ではない。そうと気づかぬまま生涯を終えてしまった人々も少なくなかったかもしれない。だが、本編のアイナーは気づいてしまった。それは、たまたま男性としては繊細で美しい肉体を持って生まれたからかもしれないし、それに加えて、ゲルダという、自分がしっかりあり、どこか男性的な面を持つ女性と出会ったからかもしれない。とにかく、アイナーの感受性は繊細で、それは絵にも現れているし、妻との暮らしにも現れていたと思う。ほんとうは女性だった男性というより、繊細すぎる内面を持つ人間が、「女性」という性に感応してしまったのかもしれない。つるつるした生地の下着やドレス、華奢な靴、口紅、しぐさ、まなざし。確かに女であることは快感である。


 エディ・レドメインは、そういった「思想」を、極限まで体現していると思った。もしかしたら、監督のフーパーは、『レ・ミゼラブル』(の時に、すでにこの企画を提案したというから)でエディと出会い、その繊細な肉体から本編を思いついたのではないか? たまたまこういった本が出版されたのもしれないが、まず、エディ・レドメインの肉体なくしてはあり得なかった企画ではないか、成功しえなかった作品ではないかと思われる。


 ゲイとかレズビアンなる言葉は、性的な嗜好について世間が作った言葉である。本編とはまったく関係ない事柄だ。だから、本作は、一人の女が男を愛し、その男が消えていく過程を克明に描いた点で悲しくも感動的で、しかも、グロテスクではあり得ない作品なのだ。美しく描かれていることに文句をつけているレビュアーがいたが、これは美しい話なのだから、美しく描くしかないし、これぞエンターテインメントなのである。


 このような世界を眼に見える形にした監督もすごいが、やはりレディ・レドメインという役者は、とんでもなく新しく、知的な役者なのだと、心から魅せられてしまった。


 さらに言えば、こうした問題(具体的な生活における心と体、愛)こそが、いちばん難しい問題で、これには当然ながら、答えはない。ゆえに人は苦悩する。

 


『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章 』──デヴ・パテルを次のジェームズ・ボンドに(★★★★★) [映画レビュー]

『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』(ジョン・マッデン監督、2015年、原題『THE SECOND BEST EXOTIC MARIGOLD HOTEL』)


 


 2000年以降、経済発展の著しいと言われた、いわゆるBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)のうち、今、残っているのは、I(アイ)、インドだけだと言われる。そんなIT立国インドの活力を十分に感じさせる映画だ。前作は観ていないが、続編である本編の原題は、「THE SECOND BEST EXOTIC MARIGOLD HOTEL」と、前作にSECONDがつけ足されているとおり、マリーゴールドの「別館」増築をめぐる顛末が、オハナシのベースになっている。そこに、長期滞在客である、かつての支配民族であったイギリス人たちと、被支配民族のインド人たち、そして、経済の関係から現れるアメリカ人たちが織りなす、老若男女の、恋愛、友情、人生訓、ビジネスなどを、インドのリゾート地を舞台に、ドタバタと忙しく、面白おかしく展開し、シメは、例のボリウッド・ダンス(のようだが、実は、洗練させてある)になっている。


 同じデヴ・パテル主演の、ダニー・ボイル監督『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)と同様なシメだが、本編の方がより繊細で、洗練されている。


 あるレビュアーが「ウザいインド人」と、差別的な見方をしていたが、このデヴ・パテル、生まれも育ちも、れっきとしたイギリス人である。おそらく、わざと、インド風の英語の発音をしていると思われる。


 思えば、30年前のインドを舞台にしたデヴィッド・リーンの『インドへの道』。そこには、インドへ手を差し伸べながらも、結局、そこに「異」なものを見て、それに怯えるヒロインを記憶しているが、今や、ただのエキゾチシズムのみを求めているのではなく、また、ボリウッドの、妙に濃いキャラのオッサンたちが踊りまくるのでもなく、現地の人々を繊細に描き、りっぱな恋の相手としているのは、隔世の感がある。


 イギリスシニアたちは、それぞれ、決して上から目線でなくインドになじみ、インドの中に同化していく。


 そして、インド式結婚式に表れているように、その最も美しいシーンのみを洗練された絵柄のように取り入れ、映画的美術をゴージャスなものにしている。


 イギリス名優たちの豪華さもさることながら、アメリカ・ビジネスマンに、シニアイケメンのリチャード・ギア、さらに、シニア超イケメンのデヴィッド・ストラザーンを配し、シニアの美を見せつけている。


 チワワのような風貌のマギー・スミスも、愛らしいジュディ・デンチより、クールな婆さんで、口の辛辣さはドラマチックでさえあるし、やはり、今回、「ウザいインド人」、デヴ・パテルを、次代のジェームズ・ボンドに推薦したいと心底思った。

 


『マネー・ショート 華麗なる大逆転 』──「アベノミクス」もさも似たり?(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

『マネー・ショート 華麗なる大逆転 』(アダム・マッケイ監督、2015年、原題『THE BIG SHORT』)

金融業界は、いろいろ素人ではワケのわからない商品を売り出す。本作で、というか、リーマンショックの引き金となったのも、そういう商品、「モーゲージ債」で、この商品の「ご本尊」は、なんと、サブプライムローンである。サブプライムローンとは、返済能力がない人々でも借りることが可能な住宅ローンで、それを債権にして、リスクを見えないように「再整形」したものである。映画では、有名シェフが、大変わかりやすく(笑)、説明している。鮮度の落ちた魚介類を混ぜ合わせて、べつの料理を形成する。こういう「手法」は、べつに金融業界だけでなく、いまや、どこの業界でもやっている。複雑な電話料の料金体系、食品業界のわけのわからない製品などなど。
 本作は、その「からくり」を見抜いていた、四人のヒーローの物語で、原作では、スティーブ・カレル演じるユダヤ人アナリストが中心になっている。彼の演じるキャラは、どんな分野でも「ごまかし」を見つけ出すことが性分で、ユダヤ聖典のなかにもそれを見出してしまう。
 クレジットでは最初に名前が出るが、アカデミー賞では「助演」でノミネートされた、バーリ医師役のクリスチャン・ベイルは、やはりカレルあっての「助演」なのかな~?とも思われる。
 ドイツ銀行の「反逆者」、若き銀行家役の、ライアン・ゴズリングは、ときおり、スクリーンから、観客に向かって話しかける、一種の狂言回し役で、スキっとしたキレものだ。
 腐れ切った株式業界(本作で売られるのは、「債権」であるが)に一泡吹かせてやる、すでにその世界を退いた元銀行家の、ブラッド・ピットは、コネと知恵で、若者をサポートし、出番は少ないながら、やはり華があってかっこいい。
 彼らはそれぞれに、この腐りきった世界に嫌気が差していて、それを、その腐れの中心の金融業界を出し抜くという快挙によって、ともすれば解説=ストーリーになりがちの経済映画を、極上エンターテインメントに変えている。
 ヘビメタ趣味の変人、バーリ医師の挙動がハデに目立ち、ときおり鳴りひびくヘビメタも効果的ですばらしいが、本作の作りは、「メタ」にもなっていて、いかにも「今」の映画である。
 ここは、怒りに燃える、スティーブ・カレルと3人の部下たちが、ストーリーの中心として見たい。それにしても、「アベノミクス」も似たようなもんじゃないですか(笑)。


『すばる 2016年2月号』(「特集「継承される批評2016」ほか)──『現代詩手帖』みたいになってきた(笑)(★) [Book]

20代前半頃、吉本さんち(って、吉本隆明さんですが)から、


直で、雑誌『試行』を購読していた。そのザッシに、毎号「状況への発言」というのがあった。そこで、何回か、しつこいように見えたが(笑)、柄谷行人なる新人のことを、いつも、「雑魚、とかバカとか、書いていたような……(笑)」


 それを、思い出した↓


*****


 『すばる 2016年2月号』( 2016年1月6日、集英社刊)


 「批評特集(正しいタイトルは、「継承される批評2016」)」ということで購入して、とりあえず、「柄谷行人インタビュー」から読み始めた。柄谷の「デビュー当時」のことが語られているのは、興味深いが、この、なんていうか、いにしえのお笑い芸人ような風貌写真の連続とともに、途中、絶望的になって中断した。いまのアタマでっかちの批評家の親玉、ここにあり、である。柄谷のほか、安藤礼二が、唯一名前のわかる「批評家」で、あとは、翻訳家ひとりを除いて、名前は見たこともない。まあ、どこかで賞なり取って、著書もあるのでしょうけど。


 だいたい、この親玉の柄谷自体が言ってることが、でたらめなのである。たとえば、ルネサンスに関する認識。これは、歴史的にちゃんと定義されている(ギリシア古典の「発見」と、それへの回帰。それはおもに、絵画から始まったとも言える)のに、テキトーに、「我田引水」的に作っているのである。そして、「いきなり」のバフチン(ロシアフォルマリスト)の言及。まるで教祖様のような扱いである。インタビュアーも知らない名前であったが、人物紹介を見たら、「文芸批評家」であった(笑)。この「媚びる」ようなインタビュアーぶりはどうだ? こんなことで「批評」が書けるのか?


 「近代日本の文芸批評を知るための40冊」も、判で押したような品揃え(笑)。全然目配りが利いてない。「すばる」は、どうして、こんな特集を組んだのか? 依頼できる執筆陣にも「限りがある」ようなメンツ(笑)。あの人も、あの人も、入っていない。


 発行部数は、3000部というところか、などと推定される内容(お金がまったく動いていない)である(って、「文芸誌」はどこもそうでしょうが)。そういえば、吉本隆明が、氏の雑誌『試行』で、かつて、柄谷行人のことを「雑魚」と言い続けていたことを思い出したワ。故人ながら、吉本隆明は、りっぱな文芸批評家だと思いますが。



『ヘイトフル・エイト 』──正しきアウトロー(★★★★★) [映画レビュー]

『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ監督、2015年、原題『THE HATEFUL EIGHT』


 


 ポリティカリー・コレクトだの、アフリカン・アメリカンだの、お上品な言葉などくそくらえの、タランティーノ、ぶっ飛びアウトローワールドの独壇場である。主役は当然ながら、「ニガー」。悪党ばかりなれど、悪党の中でも、ひときわキレ、スジも通っていて(?)、観客がいちばん感情移入できる人物、それが、サミュエル・L・ジャクソンである。これが、『ジャンゴ』の主役の、ジェイミー・フォックスだと、正義のヒトになるのだが、サミュエル・L・ジャクソンは、超ワルである(笑)。しかし、ミョーにスジが通っているというのも、ボンクラ白人どもより、アタマがキレるからである。今回、皮肉にも、南北戦争の「北軍の少佐と称して」して、その制服を着て登場する(その実、「賞金稼ぎ」)。そして、リンカーン大統領からの手紙をお宝として持っている。ほんまかよ?の設定(笑)。それを、ぐいぐい押して、白人の兵士をいかに痛めつけたかを、その父親のブルー・ダーン爺さんの前で延々と語るのだが、さぞかし、昔の黒人たちは溜飲が下がるだろうほどに、プライドもなにも根こそぎ引っこ抜く。


 ほかにも、クセモノ役者が勢揃い、毎度の「お約束」、グロテスクな血みどろ合戦を繰り広げてくれる。


 さて、今回は、「密室殺人」である。といっても、それはなんていうか、「お飾り」で、やはり、世間の常識ラインをぐりぐりしてくれる。これが、タランティーノの醍醐味であり、テーマでもある。


 サミュエル・L・ジャクソンに向かって、ほかの登場人物は、「ニガー! ニガー! ニガー!」と、差別「語」のかぎりを尽くすが、よく見れば、べつに差別しているわけではないし、サミュエル・L・ジャクソンはびくともしない。


 なんか、こういう悪党は、歌舞伎でいえば、石川五右衛門みたいなものかな〜(笑)? 妙に応援したりしてしまって(爆)。


 そして、ゴーカなキャスト! 「あの」チャニング・テイタムが、お訪ねモノ女の、弟のギャングのボスとして途中から現れ、すぐに殺される(笑)。出番少しでもやはり美丈夫、光ってるぅ〜、というか、うれしいご褒美。


 雪に隔絶された店。服飾店なのに、喫茶店のような、旅人が途中で休む店が舞台になっている。「第1章 ××」のような文字が出て、昔の映画のように物語は進んでいく。途中、倒叙形式が挿入される。血がどばどば飛ぶが、これは、「オハナシ」なんですよ、とも言っている。


 妙に正義や人情など持ち出してくるより、胸がすいたわあ〜。


 エンニオ・モリコーネの音楽が、また、場違いに「さわやか」(笑)で、これ以上ない皮肉の味を醸し出している。

 


『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』──理想の夫、モーガン・フリーマン(★★★★★) [映画レビュー]

『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』(リチャード。ロンクレイン監督、2014年、原題『5 FLIGHTS UP』

 

 今やブームとなった、ブルックリンの、ブルックリン・ブリッジの、(おそらく)たもとあたりのアパートメントに住む、老夫婦の物語だが、そのアパートメントの五階と屋上を持って、最高の眺めの中、屋上でも家庭菜園を楽しみ、なかなかうらやましい暮らしをしているのだが、年取っていくと、エレベーターがないのは、10歳の愛犬も含めて、ちと苦しい(原題は、こうした意味を含めている)。たまたま、姪が不動産業なので、なんとなく売りだそうとして、右往左往するハナシ。とくにドラマらしいドラマがあるわけではないが、等身大のニューヨーカーの暮らしが生な感じで味わえる。

 夫、モーガン・フリーマンの職業は画家で、妻、ダイアン・キートンは、教師の職を定年退職してすでに10年あまり。なに不自由ない、といいたい暮らしだが、そこはニューヨーク、毎日が事件なのである。不動産の売買ひとつとっても、テロ事件が影を落とし、ブルックリン・ブリッジに爆弾が仕掛けられたのでは?というニュースが通底音として、ドラマを被い、不動産の価格にも影響してくる。

 黒人と白人のカップルを堂々主役に据えた映画など、これまで皆無に近かったのではないかと思われる。ちょっと前には、黒人と白人のキスシーンさえタブーであった。最近のニュースとして、モーガン・フリーマンの声が車のナビの声に採用されたそうだが、フリーマンは、黒人の面目躍如に、ほかのどの黒人俳優よりも貢献している。その、包容力と皮肉の混在している眼差しがすばらしい。

 本作も、こんな夫だったらよかったのに……という夫を演じている。ときおり、差し挟まれる、若き日の、アレックス(フリーマン)とルース(キートン)の姿は、美男美女の俳優が演じているが(笑)、それぞれの声が二人にそっくりである。まだ多くの州が黒人と白人の結婚を禁じていた40年前、堂々と結婚した二人。とくにキートンは、画商との会食で、売れる絵をかくべきという画商に、夫を弁護する論陣を張る。この女性は、いつもこんなふうに夫を擁護し、夫は夫で、口が達者で気の強い妻を、大きな心で見守ってきたのだ。あ〜、今度生まれる時は、モーガン・フリーマンみたいな男と結婚したいな〜って、そういう映画だ(爆)。

 

 


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