So-net無料ブログ作成

『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』──タランティーノを完全に超えている(★★★★★) [映画レビュー]

『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ 』(宮藤官九郎脚本監督、2016年)


 


 クドカンは大人計画の舞台のファンだったが、本作はそのクドカンの魅力が「満載!」されている。彼の魅力は、身近な題材(含む芸能界ネタ)をつぶさに拾い、まんま、フィクションにしてしまうこと。すべて真実なんだ(爆)! あるときには、舞台に、芸能人たちの「新年の北島三郎邸詣で」を載せていたが、あれも全部ほんまの取材だろう。芸能人や一般人の方々、ご注意を! クドカンがすべて白日のもとに晒してしまいますよ! ほんと、どーゆー体質なんだろー?(笑)


 それが、今回、地獄が(主な)舞台ということで、全部フィクションかと思うでしょう? あれ、全部「真実」なんです(笑)。ただ、設定を、地獄とか天国にして、ちょっと変えてるだけ。


 それにしても、あいかわらずの、「大人計画」の面々、がんばってます(笑)! まず、「デブス」(新語(笑)!)の「じゅんこ」、とんでもない「処女」ですが、顔はわりあいイケメン(だから女の役ができる)だけど、お肉ぶよぶよの、皆川猿時が演じてます。「天国は行ったものしかわからない」そうですが、主人公大介が特別に地獄から行けたのですが、なんと!清潔で便利だけど、かなりおもしろくない場所になっていて、現実でもこんな「店」あるよね?なんだけど、そこには、ぬあんと!「仏」の荒川良良(よしよし)がいます。一方の日本人じゃない風しゃべり方の女性は、配役名を見ると、「神」とあり、なんと天国は、仏と神が日焼けサロン風ブースを備えた店の係員をやっている。


 おっと、なんと言ってもメインは、地獄の鬼どものギター合戦。マジで、天才!Charと、野村のヨッチャンを配する傍若無人の豪華さ。地獄でも、神は細部に宿ってます(笑)。


 一見ぶっ飛んだでたらめ風ながら、地獄の細部を描きぬき、天国の管理された居心地悪さを描写し、この世と地獄との「時差」を描き、21世紀風日本のガキどもを描き、結局、その際限のなさかげんで、タランティーノを超えたと見た。だって、あちらキリストの神だから、いろいろ厄介そう。


 本作冒頭部分、高校修学旅行のバスの中、男子生徒たちが地獄絵を見ている。ここからしてすでに「なんで?」なのであるが(笑)、一人が言う、「地獄って、キリスト教の地獄? 仏教の地獄?」


 ああ、キリスト教の地獄は当然タランティーノが描こうとしているんだけど、なかなか思うようにいかない。仏教はなんでもOKですから。だからジョブズも仏教徒になっている。


 さて、このバスが真っ逆さま、崖下へ転落していく──。この「地獄への入り口」も、あるある、なので、臨場感いっぱい。はい、ご愁傷さま。

 

 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

保坂和志「彫られた文字」(文學界2016年7月号)──目ざす方向には好感がもてるが成功しているとは言えない(★★★) [Book]

保坂和志「彫られた文字」(文學界2016年7月号、文藝春秋)


 


「目玉」であるらしい柄谷行人には関心なくて、「18歳の君が投票するとき考えて欲しいこと」という各界有名人へのアンケートにも関心なく、かつ、こんな文芸誌を、新選挙人の若者たちが読むだろうか? という疑問も起こった。しかしながら、文芸誌で一番売れているらしいのは、この文學界ではないだろうか? ということを思わせる雰囲気は漂わせている。Amazonレビューも、拙レビューを除いて、一つだけついているし(笑)。


 


 今回、いろいろ文芸誌を「買ってしまった」が、それはそれなりに読んでみようと思う書き手の作品が掲載されていたからだ。本誌では、保坂和志。このヒトは、一般にはあまり知られてないながら、純文学のエースである。作風は、なんたってプルーストである、というと言い過ぎなるが、氏が師としていた、小島信夫である、とは言えるだろう。しかしながら、当方もそれほど小島信夫が好みとも言えず、もしかしたら、保坂の方が読みやすいというか、高級かもしれない。


 


『彫られた文字』という、四百字詰め原稿用紙換算、70枚ちょっと(?)の作品は、かつての会社の上司から送られた、彫られた文字だけでできた、コーヒーに関する作品のアンソロジー(彫った人の作品ではなく、既存作を集めたもの)を木版で彫って印刷している本に関して書き始め、そこから連想の思うまま、微妙な思考にも拘り、フロイト、ラカン、ベンヤミン、カフカ、深沢七郎、大杉栄、など、著者の読んだ本からの思考の流出のまま、どこへ行くともなく書き進んでいき、結局、私小説のようななりゆきとあいなっていくのは、まったくもって残念である。最後は、関係した女性に関するエピソードまで行き、また「彫られた文字」の作者の元上司への思考に戻って終わる。こういう書きっぷりは、中野重治「五勺の酒」を思い出させないわけでもないが、ただ中野の場合は、一人称の、自由思考の語りのようでありながら、その語り手は、「小学校の校長」だったか、つまりはフィクショナルな人物である。


 保坂の、この、エッセイともつかない小説は、エッセイの、むしろ型にはまったエクリチュールからは自由になっていて好ましいのだが、中野重治のように十分にフィクショナル化できていない恨みがある。保坂氏に言わせれば、そんなことは目ざしていないということになるかも知れないが。とにかく、ここに書かれた作者の思考は概ね好感が持てる。


 ただ、氏が目ざす(『カフカ練習帳』にもあったように)カフカのように、形にできないものを書こうと志すはいいが、カフカほどおもしろくない。それは、まだまだ個人的具体化が足りず、世間に流通する抽象概念に囚われているせいかもしれない。


 


 「口直し」→ (当然)カフカの日記、手紙(『カフカ全集』新潮社など)。

 



 

文學界2016年7月号

文學界2016年7月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/06/07
  • メディア: 雑誌



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

橋本治『九十八歳になった私』(新連載、『群像』 2016年 07 月号 ) ──とてもプロとは思えないひどい作品(★) [Book]

橋本治『九十八歳になった私』(新連載、『群像』2016年7月号、講談社刊)


 


 本誌を買ったのは、かつて私淑していた橋本治の、ひさびさ新作『九十八歳になった私』が載っていたからだが、この四百字詰め原稿用紙換算20枚程度の、一応……小説? 目次の説明には「九十八歳の作家である主人公が、日々の移ろいをリアルな筆致で書き留める新しい『老人小説』の誕生」とある。どこが新しいのか? 文体めちゃくちゃで、プロの作品とも思えない。こんなのに、推定、10万円くらいの原稿料を払っているなんて、バブル期ならともかく、無駄も甚だしい。


 一応、作者=私が、九十八歳になったという設定の、ひとりごとのようだが、リアルさはまったくなし。ただのらくがき。橋本治は、古典力が魅力であったが、それも、だいたい超えたと思ったから、私淑をやめた(笑)。この人の本は、『窯変源氏物語』をはじめ、『双調平家物語』のシリーズすべて、などなどかなり持ってますが、上記二作は、原作があり、それに沿って書いているので、めちゃくちゃもある程度押さえが効いているが、たとえば、『小林秀雄の恵み』や、比較的近著の近代文学の批評など、初めと目次は一見まっとうながら、真ん中へんはテキトーでただただ原稿用紙を埋めて嵩を増やしているだけなのは、高橋源一郎に負けるとも劣らない。新連載とあるからには、毎月10万円の収入を橋本老人に保証しかつ、ゴミのようなしろものを活字にしていくのか。


 


 そのほか、本誌の目次をざっと見渡すに、連載ばっかである。こういう連載を、「たのしみに待っている」読者など存在するのだろうか? 連載にしてしまうのは、あまりにイージーではないか。全編読み切りにすれば、文芸誌は少しは売れるのでは? 


 以下、橋本の作品中の「俳句のようなもの」を、なんとなく添削したくなったので、しておく。


 


  あきれてはまた空を見てあきれつつ → あきれつつまた空を見てあきれはて


 


  春の空プテラノドンが今日は留守 → 春の空プテラノドンは今日は留守


 


  しみじみといい時代だよすちゃらかちゃん → すちゃらかちゃんいい時代だよしみじみと


 


 


 ま、どっちが正解というのでもないだろうけどね。たんなるセンスの問題か。


 


 「口直し」→サミュエル・ベケット『クラップ氏の最後のテープ』── 孤独な老人が、テープレコーダーに向かって過去の思い出を語り続ける、ひきしまった文体が、言葉そのものをリアルな物と化していく。

 



 

群像 2016年 07 月号 [雑誌]

群像 2016年 07 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/06/07
  • メディア: 雑誌

 



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

蓮實重彥『伯爵夫人』(一部、『新潮』2016年7月号)(★★) [Book]

蓮實重彥『伯爵夫人』(一部)(『新潮』2016年7月号、新潮社刊)


 


 三島由紀夫賞(新潮社の賞なので、当然、『新潮』などに載った作品が有利)受賞の蓮實重彥『伯爵夫人』の全文掲載号は、Amazonで6800円にもなっているし、単行本もすぐ出るのだろうが、それまで待ってられないので、本号掲載の9ページぶんを読んだが、蓮實氏に言わせれば、小説の最初から最後まで読むのはバカなので、まあ、これくらいでいいのだろう。


 


 氏の受賞に関しては、マスコミ(ほんの一部だけね〜(笑))で話題になり、かつ本人も、「私の作品に授賞させるなど暴挙だ!」などと、「怒っている」パフォーマンスをされたようだが、こういう人の地位にあれば、小説がよいなら、もっと早くに評価されていると思いますがね。この場合の評価とは、べつに教養のない選考委員のセンセイ方が「瑕疵がなくて完璧だ」というのではなくて、一般読者がつくという意味です。だいたい、こういう、ほとんど出版社の収益にも文化向上にも貢献していない文芸誌なるものを主な活躍の場としている方々は、同誌で私怨を「書かせてもらっている」金井美恵子センセイといい、自慰的行為を、芸術と勘違いされているヤカラが多い。


 


 ま、蓮實作品もその一つである。これは、まるで金井美恵子と同じ手つきと趣向で書いた、フェティッシュ自慰小説である。つまり、細々、自分の気持ちいい描写を続けながら、物語は一向に動いていかない。べつに、エンターテインメントのストーリー展開という意味ではありませんよ。つまり文章(思考)が全然進んでいかないのね。


 


 なんか恰好つけて、旧字を使っているが、どうせなら旧かなにもすればいいのにと思ったが、そこまで自信がないのだろうか? 旧かなは、日本の古典スジの文脈が身についていないと使いづらいのではないかと思う。古い文学者(明治生まれの)でも、中国文学者の吉川幸次郎などは、新かな使いである。


 


 「伯爵夫人」とあだ名される女を、二郎という、ええとこのぼんぼん(だいたい蓮實とか三島なんかは、こういうのしか書けないのでは?)の視点から描いた作品と見た。一見無垢かつ大胆な従妹の蓬子が出てくるところなど、蓮實ケイベツの、村上春樹風で、しかも、配役は(って、映画化かよ(笑)?)、水原希子(こんな字だっけ?)を思い浮かべてしまった。


 


 ろくでもないメンツの選考委員の感想はすっ飛ばし、蓮實氏の授賞インタビューを読んだが、まー、言いたいこと言ってますね〜。こんなものにつきあったら、いくら時間があっても足りないよ。


 


 さらに、てきとうにページを開くと、金井美恵子センセイのコラム?……と思いきや、川端康成賞の候補になっていたのも知らず、勝手なことを言われて落選させられ、ご立腹の様子を、同じように、三島賞で、落選させられ、選考委員の内容に関する間違いにクレームつけた黒川創氏に同感している。


 まー、酔狂にもたまに金出して買うわれわれ一般読者にとっては、どーだっていいことである。モンクをつけようが喧嘩を売ろうが、どうせ、金井氏も黒川氏も、『新潮』に連載させてもらっているんだからいいじゃん、である。こうした態度は、まともな世間では許されないことである。


 文芸誌とは、頭デッカチの書き手の、重箱の隅のほじり合いと見た。それが面白ければ、買うしー。


 


 長年の自称「蓮實重彥研究家」として言えば、蓮實は、映画評論がいちばんよく、文芸評論はやや落ち、さらに落ちるのが、小説である。選考委員のセンセイ方は、蓮實を「落とす」のが怖かったのでは?


 まあさ、自作を間違って読んでいる、などとモンク言ってもさ、だいたい誰も読んでないんだってば(笑)。


 


 蓮實の『伯爵夫人』の「口直し」としては、石川淳をオススメします。エロスとスピードと、まっとうな日本語。これだ!

 


 

新潮 2016年 07 月号 [雑誌]

新潮 2016年 07 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/06/07
  • メディア: 雑誌

 

 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『教授のおかしな妄想殺人』──よくできたミステリー(完全ネタバレ注意!)(★★★★★) [映画レビュー]

『教授のおかしな妄想殺人』(ウディ・アレン監督、 2015年、原題『IRRATIONAL MAN』)


 


 本作で一番いいのは、サントラである。ラムゼイ・ルイス・トリオの「The "In" Croud」がテーマ曲のように何度も繰り返される。この軽いノリ、のなかで展開される、完璧なミステリー。


 魅力男、ホアキンに腹を出させ、でもグリーンの瞳はやはり魅力的で、いかにも、アブナイ魅力的な教授である。きょうび、アメリカの、哲学の、教授といえば、こんなものなのか。ハイデガーにカントに、フッサールにキルケゴール、出てくる出てくる、「ほんのさわり」だけね〜。だが、ホアキン扮するエイブは、言う。「きみたちに、おれから学んでほしいことは、哲学は教科書では学べないということだ」。


 定石通り、頭脳明晰、美貌の女子学生、エマ・ストーン扮するジルを、一応拒みながら関係する。アメリカの大学っていえば、教授と教え子はこんなにフランクにつきあるのか? ジルは今のボーイフレンドと二またかけている。ホアキンと二人で遊びにいった遊園地の射的で、ホアキンが大当たり、「なんでもすきなものを」と、景品を取らせてもらうジル。でっかいぬいぐるみとか、オモチャがいろいろあるなか、ジルは小さな懐中電灯を取る。真っ赤な懐中電灯。「実用主義なんだな」と教授に笑われる──。


 喫茶店で偶然聞いてしまった、悪い判事の話。人生に生きるイミを見失って、生きることなどどーでもいいと、ロシアンルーレットにさえ興じて見せるエイブだったが、そうだ、その悪い判事を殺そう! と思いつくや、ジョギング中の判事に近寄り、ベンチに置いた彼のジュースと、青酸カリ入りジュースを置き換える。どうやら成功したらしい。判事が死んだとニュースで流れる──と、これは、すべて、ジルがエイブに伝えるという形で知らされる。


 しかし、青酸カリは化学室から盗み、その化学室の鍵は、関係している人妻教師リタのバッグから盗んだものだ。ジルはそれをリタから聞き、エイブが殺したのだと確信する。問い詰める。白状する。混乱するジル。アブナイ魅力も、度がすぎるとね(笑)。無実の人間が逮捕されたことを知り、ジルはいっそう慌てふためき、エイブに自首するように言う。「一人殺せば、もっと殺したくなる」、ジルはそう言っていさめるが、そうなんだ、と、エイブはナットクして、事情を知っているジルをも殺そうと、エレベーターに細工する。扉が開いても、エレベーターの箱は来ないようにして、地面まで真っ逆さま──。彼女を待ち伏せ、そのエレベーターに彼女だけ放り込もうとするが、ジルが抵抗する。もみ合っているうちに……。あ、あーッ! 足を滑らせ、エレベーターに入ってしまったのは、教授の方だった──。なんで足を滑らせたの? ジルのバッグから、例の懐中電灯が落ちて、それを踏んでしまったから。


 これによって、教授は「望みどおり」人生と縁を切ることができたのである(笑)。ここで、原題『Irrational man(不条理男)』でも生きてくる。ジルはボーイフレンドとよりを戻し、彼と行った旅先の海岸で、エイブのことを思い出すのだった。「哲学は教科書では学べない」ってね。


 一見ロマンチックコメディであるかのようなミスディレクション、機関銃のように飛び交うセリフの皮肉、細部の伏線……などを、洗練された音楽でつないでオワリの、まあ、よくできたミステリーだわ(笑)。エマ・ストーンの顔(とくに、しゃべるときの、口から歯の出る感じ)が嫌いだが、女子大生ができる実力派は、今のところ、彼女しかいないのかもしれない。ホアキンは、本作では彼の魅力全開というわけにはいかなかったが、こういう人が現実の大学教授なら、十分に魅力的だろう。



nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:映画

『サウスポー』──ギレンホール、リベラルな肉体(★★★★★) [映画レビュー]

『サウスポー』(アントワーン・フークア監督、2015年、原題『SOUTHPAW』


 


 15年前の『トレーニングデイ』で、ベテラン刑事のデンゼル・ワシントンが、ひよっこイーサン・フォークをシゴきまくってイッチョウマエにした、あるいは、『ザ・シューター』で、マーク・ウォールバーグに孤高のスナイパーを演じさせた、アントワーン・フークア監督が、『ロッキー』の二番煎じ映画など作るわけないし、『ジャーヘッド』で、若くして地獄を見てしまう映画を好演したジェイク・ギレンホールが、デ・ニーロみたいな肉体改造(だけ)の『レイジング・ブル』の二番煎じもやるわけはない。


 本作は、アフリカ系監督なので、キャストの黒人率が高い。よって、黒人のなかには、ワルモノもいるし、イイモノもいる。


 ここに描かれているのは、プアー・ホワイトである。主役のボクサー、ビリー(ギレンホール)とその妻のモーリーン(レイチェル・マクダムス)は、施設で育った幼なじみである。キレやすいビリーを、世間から守ってきたのは、妻のモーリーンで、複雑な決定をすべてしてきた。ここからして、お飾りの美人妻ではない。しかし、その頼りの妻が、ひょんな諍いからピストルの流れ弾が当たり死んでしまう。その争いのもとは、若手ボクサーに挑発され、ビリーがキレたことに端を発する。ボクサーとして頂点にあったビリーは、それを境に凋落の一途を辿る。ボクシング・ビジネスのヤカラにも見捨てられる。夫婦の忘れ形見の娘の養育権まで怪しくなり、とことん落ちたビリーは、最後の藁を掴むように、あるボクシングジムを訪れ、そこで、一からやりなおす──。ここまでは、結構長い。しかし、ビリーの人物造型からすると必要な長さである。


 さて、その下町のジムにいたのは、フォレスト・ウィティカーである。かつてはすごいボクサーだったことは「お約束」かもしれない。しかし、そのあたりの関係も、じっくり描かれる。


 ひよっこイーサンは、デンゼルに教えられたが、おぼっちゃまジェイクは、ウィティカーに教えられるのである。彼の弱点。おのれを防御する方法を。そこのところの「トレーニング」がていねいに描かれる。


 結局、ビジネスの話として、リベンジのチャンスがやってくる。相手は、ジェイクを挑発した若手で今は頂点にある。そう、どうせ、ジェイクが勝つのだが、彼は、終始、マッチョからほど遠く、肉体もそれほどムキムキに「改造」しているわけではない。まあ、言ってみれば、リベラルな肉体ってとこか。


 ホンモノのプアー・ホワイトあがり、エミネムのオープニング曲と主題歌が、プアーものの意地を歌い上げる。『トレーニングデイ』のラップをいまだに聴いている私である。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:映画

『団地』──日本一の舞台女優+洗練の結末(★★★★★) [映画レビュー]

『団地』(阪本順治監督、2015年)


 


 本作の団地とは、今、普通にいうところの、マンションといったところか。暮らしている人々は、日本の中流である。生活にはそれなりにゆとりのある人種。しかし、かつて、団地は、ブームであった。今は空き室の目立つ団地。


 藤山直美が、朝から窓を開け、はたきをかけたあと掃除機をかけている、のが、「外から」描写される。カメラはどの位置にあるのか──。「あり得ない目線」である。


 そう、「あり得ないことがあるってのが団地」。冷静に考えてみると、舞台劇のように、場面も登場人物も限定されている。セリフのやりとりが中心である。


 愛すべき「地球の人間たち」の、ささやかなことが描写される。半年前、ある事情から、漢方薬局を閉めて、団地に引っ越した、藤山直美と岸部一徳夫婦。なにやらわけあり。迎える、石橋蓮司の自治会長と、大楠道代のゴミ管理係夫妻、ウワサ好きの主婦たち、子ども虐待疑惑の中年男。阪本順治+藤山直美が、そういった、いかにもありそうな団地のエピソードを面白おかしく活写してオワリ、は、ない。


 予告編でも描かれていたように、岸部一徳は、団地の部屋の床下収納(そんなものがあることじたい、すでにして、「マンション」なのだが)に隠れることにする。なんで? 「他薦で出馬した」自治会長選挙に落選し、「あのヒト人望ないからね」という主婦連の陰口をきいてしまったから。だいたい、岸部は、「自分なんかとてもとても……」などと遠慮しながらも、もし当選したらこうしようと、それなりの「夢」を手帳に書き付けていた──。妻の藤山は藤山で、パート先のスーパーで、どんくささを叱られる。そんな日々。どうってことない。夫婦は漢方薬局を営んでいて、とくに岸部は漢方に愛着を持っている。団地の部屋には、漢方の材料などが置いてある。店を閉めても、「おたくの漢方でないと……」という熱心な顧客が訪れる。その若い男はイケメンで──。


 さあ、それから、どんどん「普通のストーリー」を外れていく。冒頭からして、音楽が妙に洗練されている。最も洗練からほど遠い大阪のオバチャン──。あ、あ、あ……という展開、結末……、誰も見たことのない洗練の結末。


 しかしながら、本作の「キモ」は、日本一の舞台女優、藤山直美の全身を使った演技である。喝采!

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『戦略がすべて 』──本書じたいが、コモディティ化(著者の使用法で、「汎用品化」)(笑)(★) [Book]

『戦略がすべて』(瀧本哲史著、2015年12月刊、新潮新書) 




 タイトルに偽りありということは、レビュアーの多くの方々が書かれている。まさにそのとおりである。普通、こういうタイトルからは、なにか、これから生きる上で、あるいは、自分の仕事上で、戦略のたて方などが示唆されていると想像されるが、「残念でしたー、そんなこと、どこにも言ってないよ〜!」と、著者は舌をだしてほくそ笑んでいることだろう。だいたい、新潮新書の多くは、このテの本が多いから、よく調べてから買った方がいいと思います。まあ、私はブック・オフ行きの箱に放り込むだけですが。


 本書は、頭デッカチの「自称勝ち組」著者が、資本主義社会を、「自称勝ち組」の視点から分析しただけの本である。本書自体が、このなかで言われている、陳腐化した内容の「コモディティ化」している、ことに、知らぬは著者ばかりなり、か(笑)。


 こういう資本主義自称勝ち組のなれの果てがどうなったかは、マイケル・ムーア監督の映画『世界戦略のススメ』を見ればわかる。「儲ける仕組み」からはじき出された人々(まあ、著者が小馬鹿にしている教育も資本もない労働者ですが)を大切にしている国々がいかに豊かな生活を謳歌しているか、また、「儲ける仕組み」に囚われたアメリカが、いかにひどい体たらくになっているか。


 ま、このヒトが考えるほど、世の中のメカニズムは単純ではない。しかし、レビューがすでに37も付いているところを見ると、ある程度、売れていると見た。題名と目次(も、ガセである。たとえば、「スピルバーグは優秀な編集者ではない」の項目など、確実に質の高い作品を撮り、一作とてコケてないスピルバーグと、全然畑違いのスティーブ・ジョブズを比べてみたって、いったいなんのイミがあるというのだ。まったくテキトーな一章である)の張りぼて商法がある程度は効きましたかね。


 どーでもいいが、コモディティとは、マルクスの『資本論』では、ただの「商品」のことじゃん。


 いずれにしろ、こういうヤカラにかぎって、Excelもまともに使えないに違いない。




 

戦略がすべて (新潮新書)

戦略がすべて (新潮新書)

  • 作者: 瀧本 哲史
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/12/16
  • メディア: 新書

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ 』──アメリカで唯一トランプに対抗できる男!(★★★★★) [映画レビュー]

『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(マイケル・ムーア監督、2015年、原題『WHERE TO INVADE NEXT』


 


 アメリカで、トランプに対抗できる唯一の人物は、このヒト、マイケル・ムーア。元ライフル協会の会員でもあった彼は、自ら銃社会を告発。初めから正義の味方ぶるのではなく、あくまで自分のキャラは変えずに、しかし、どんどん学んで、まっとうになっていく。いつもは、「アポなし突撃取材」が得意な彼だけど、今回だけは、アポをとってのていねいの見せ方になったようだ。ま、アポなしは、自分の国の国防総省ぐらいだろう。


 「世界侵略」の逆説を掲げて、いろいろな国の「いいとこ取り」。そりゃあ、本作で紹介された国々だって理想とは言えないだろう。しかし、これらの国の驚くような現実は、まさに現実なのだ。


1,イタリアの多すぎる有給休暇とランチ休憩2時間。昼休みは、おうちでゆっくりランチ。


2,最も貧しい地区の学校の給食さえ、レストランなみのメニューのおフランス。


3,宿題を廃止してから、学力がぐーんと伸びたフィンランド。


4,刑務所が保養所のように清潔で自由で、ムショ内のレストランのコックは殺人犯で、包丁をいっぱいおいてある場所にいる。


5,労働時間外に、上司が部下にコンタクトをとるのは違法のドイツは、ナチを忘れないために、街の各所にナチの犯罪の「現場」を保存し、犠牲者のユダヤ人の名前を彫ったプレートを舗道に埋めている。新しくドイツ国籍を取得した黒人が、「国の犯罪は引き継いで、償っていきたい」と言っているのが印象的だった。


6,テロで息子を殺されたスウェーデンだったかの父親は、死刑廃止を支持し、いくら犯人がゴミのようなやつでも、人には人を殺す権利はないと思うと、復讐の意志がないことを静かに話す。


7,チュニジアの女性パワー。


8,清原も無罪になる、ポルトガル(笑)。ポルトガル警察も、死刑には反対を静かに表明。それで、犯罪は減った。


 ……などなど。その間、警官にぼこぼこにされる、アメリカの黒人たちの映像などを差し挟む。これらの国々のすばらしいアイディアを、ムーアは、「盗んで」いくのだが、なんと、それらの「発祥」は、むかしむかしのアメリカ合衆国にあった──。こんな国に誰かした? 本作には、アジアの国は出てこない。日本、韓国、中国、北朝鮮……などは、アメリカものまね国と見た(合掌)。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画
メッセージを送る