So-net無料ブログ作成

「文化功労者に選ばれた、歌人岡井隆氏について」 [短歌]

「文化功労者に選ばれた、歌人岡井隆氏について」


 この人は、わが故郷、豊橋にある国立病院で医師をしてました。友人の、俳人の父は、アル中で肝臓をやられ、主治医はこの人でしたが、患者以上に大酒飲みのこの人の担当にあって、打ち勝つことができず、友人の父は59歳の若さで亡くなりました。


また、若くして自死し、歌集『意志表示』で、寺山修司に、「ノックアウトをくらったボクサーのように惨めだ」と言われ、「意志表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ」(『意思表示』所収)という歌をパクられ(例の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(「祖国喪失」『空には本』所収)た歌人、岸上大作は、その遺書に、「自分の死体は、岡井先生に解剖してもらいたい」と書いている。「ご指名」された方は、いい迷惑ですが(笑)。


 


どんな時代も、この人は生き延びて、こうして勲章までもらうことになった。なにごとかをなすには、強い肉体と、質に変換するまでの作品の量。


 


歌集『土地よ、痛みを負え』は、ごくたま〜に、ひっぱり出してランダムに読みますが、この時代は、パキスタン・ペシャワールの中村哲医師をも思わせるような、凄絶な場所にいて、凄絶な歌を詠んでいました。男女カンケイもいろいろあったようですが、私はそっちの方面はあまり関心ないです(笑)。まあ、すごい生命力ですワ(祝)。


 


『現代短歌体系7』(三一書房)所収の、『土地よ、痛みを負え』完本より、以下、ランダムに引用してみます。


 


「岡井隆論」は、金子兜太氏が書いている。


 


****


 


「ゴキブリの祭り」より


 


 ゴキブリの祭りに招(よ)ばるわれらかく生きる周到の理由もてりや


 



 


「朝鮮人居住区にて」より


 


百坪の母国で老婆死んでいるその四肢〈運命〉の諺文(オンモン)を模し


 


軍歌のかげからさげすんで来た過去もてば死に添いてまつ暁(あけ)の遠さよ


 



 


「遺書」より


 


いまは無用の溢血 鼻腔抑えあうわれと鏡のなかのわれとが


 


「死について」より


 


家兎(かと)の眼に熟れてゆく死よ少年の遺骸のごとくわれはおしまん


 



 


「土地よ、痛みを負え」より


 


モルモットを摑むとき手がまことたゆく袖はしきりに汚穢(おえ)にふれゆく


 


 


http://mainichi.jp/articles/20161028/k00/00e/040/253000c

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【詩】「夢判断」 [詩]

「夢判断」


 


沖縄はスコットランドに倣い独立を買い戻す


きみの手の中の地政学の遺体


一二〇回ローンは痛い


そしてイマジネールはきみの眼の上のコンモドゥス


 


****


 


"Die Traumdeutung"


 


Like Scotland Okinawa redeem  independence


Dead geopolitics in your hand


One hundred twenty times-loan pained


And "l'imaginaire" above your eyes is Commodus

 

 


【詩】「にっちもさっちも」 [詩]

「にっちもさっちも」


 


墓墓墓墓


そして一滴の思念


夕刻へ傾くドローンのような雲


 


Die Zeit wird die Rute aus Weichselbolz.


 


空を暗くするには遅すぎる


 


神の愛を拭うための雑巾をくれ


 


煉獄の便所に座るウェルギリウスように


神に飽きた


ケルベロスに飽きた


追憶に脚を浸して


三十六計走るにしかず


追憶の鼓動を聞いて


もっと過去を燻せ


よれた記憶よれた記憶


宇宙会議を破れ


ツェラン、シャール、ベケット


三角形を結べば


芭蕉の厠が浮かぶ


われはまた汝を援護する


 


淀川近くの花屋の離れに臥して


緑色のチューリップを夢に見る


潰瘍のように膨れながら輝いている


重湯の椀の縁で輝いている


 


最後の含蓄


空を輝かせるには遅すぎる


われはまたわれはまた汝を援護する


 


 


 


 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【詩】「がん」 [詩]

「がん」


 


がんはにどうつきかいがあった。


いっかいめは、ふらんすの、まっくらやみのさんちゅう。


にかいめは、がむのしゃげきせんたー。


そのにどはさんじゅうさん、しさいのことだった。


ふらんすでは、ともだちのかーびんじゅう。


すーぱーでたまをうっていたので、ふらんすってすごいなーとおもった。


がむでは、かんこうむけしゃげきせんたーで、すみすあんどうぇっそんにくさりがついていた。


すみすあんどうぇっそんはおもい。


えいがのようにはかんたんにはいかない。


ひつじたちのちんもくのえふびーあいしゅうしゅうせい、


くらりすすたーりんぐは、


しゃげきがとくいだったが、れんしゅうは、くるみわりを


なんどもにぎることだった。つまり、てのひらのきんにくがはったつしてないとけんじゅうはあつかいがたい。


いっぽうかーびんじゅうは、けんじゅうではなく、らいふるがたである。そのやっきょうは、いまも、わたしのつくえのひきだしにある。


いずれにしろ、けんじゅうのおもさはくつじょくだわ、


と、じーなろーらんずにいわせてみたい。


かのじょはまふぃあのじょうふだけど、


おさないおんなのこをまもるため、


まふぃあをてきにまわしてたたかうことになる。


わたしはかのじょのめいで、おなじおとこをあいする、


などということをむそうした。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【詩】「きくちさん」 [詩]

「きくちさん」


 


きくちさんはかえるようなかおをしたおんなしじんで、


ゆっくりしたてんぽでしゃべるひとだった


どうじんしでしりあって、じょうきょうしたおりには


しんせつにもしてもらった


しんこんのあぱーとにもいって、


てーぶるくろすなんかをけっこんいわいに


ぷれぜんとしたようにおもう


あるとき、またじょうきょするきかいがあったので、


きくちさんと、たかだのばばのえきまえの


びっぐぼっくすだったかなー、


そこでまちあわせたのだが


なかなかあえず、ついにすれちがって


しまった。なにがどうなったのか、


あんなみとおしのいいところで、


おなじじかんにそこにいたというのに、


あとで、てがみでわかった。


というのも、たしか、あのころ、


けいたいでんわさえなかった。


と、おもう。もし、あのとき、あっていたら、


と、ときどきおもうが、かんがえすぎか。


きくちさんはそのすうねんごだったか、


いしした。


おっとはかんこうれいをしいた。


きょうつうのともだちがおり、


そのひとがいうには、


かのじょは、よんじゅうまでにひょうろんかとして


いちにんまえになりたいとかんがえていて、


それがかなえられなかったからという


かのじょはさんじゅうろくだった。


わたしはこれはせいかつをともにする


おっとへこうぎだとおもった。


しかし、じしするものはどこか、


こころのへいこうをうしなっているから、


じっさいのところは、おっともひがいしゃ


かもしれない


けれどぜつぼうのなかで


しをえらんだともいえる。


そうしたことで、ぱーとなーに


にくまれたら、それはいぬじにだ。


なっしんぐぱーそなるだけど、


けさは、そうしたししゃのために


かいておく

 

 


 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【映画分析】 『永い言い訳』──「愛されないためにそこにいる」 [映画分析]

 


  美容師の妻が親友とスキーツアーに行って、そのバス事故で突然死んで、作家の夫はその最中に若い女と、妻のベッドでセックスをしていた。そういう「事件」をきっかけに、夫は自分でも予想外な生を生きることになる──。


 映画はおもに、作家である夫の「その後」の生活を、その「内面の表出」とともに描いている。そこには、大きな比重で、妻の親友の、同じく「遺された夫」、男女二人の子ども(小学六年と幼稚園?)が関わってくる。トラック運転手という職業のために子どもの世話を十分できない「妻の親友の夫」のために、「作家」という自由業である主人公は、ある時間、子どもを見てやることにし、その生活のなかで、自分を見つめ直す。


 さまざまな疑問が浮かんで来る。まず、この夫婦は、「愛してなかった」ということを口したり、ダイイングメッセージとして残したり(妻)するが、そうやって、口に出したり文章にしたりすれば、ほんとうに愛してなかったことになるのか? この夫婦の、「愛する」とは、どういう意味なのか? 


 映画から私が感じた範囲では、どうも恋愛的な愛、男女の愛であるような気がする。もし他者に与える人間的な愛もなかったとなると、妻は親友の家族と心を許したつきあいはできないだろうし、夫は夫で、その家族、とくに二人の子どもに親身になることはできないだろう。この夫婦は、それぞれの場面では、りっぱに他者に打ち解け、心配りができているのだから、人間としての愛がないとは言えない。そういう人間が、いくら恋愛的な愛がないとはいえ、長年いっしょに暮らした相手が、バス転落事故で、肉体に激しい損傷を受けるような死に方をしたら、思考はもっと違う方、根源的な、人間とは? という方向に行き、たとえ「愛してなかった」としても、そうした形で人生を中断されてしまった人間に対して、なんらかの同情が芽生えるのが普通ではないかと考える。人間愛の方へ行くのが普通だと思う。しかも、愛とは、愛するとは、ということは、この映画の中では、いとも簡単な感情のように扱われているが、ほんとうは、もっと複雑で微妙なものだと思う。


 映画は、そのあたりを、まったく無視して、ひたすら、妻を失った男の「再生」のみを描く。


 はあ? である。では、この妻なる女性の生とはなんだったのか? 「愛されない」ために存在したのか?


 映画では、申し分ない女性であるように見える深津絵里の、いったいどこを愛せないのか? もしかして、「家庭の事情で大学を中退し(主人公とは大学の同級生だったのだが)、次に出会った時には、美容師になっていた」女のキャリアが、今はテレビ出演などして、「先生、先生」とモテはやされる作家としての自分にふさわしくないと思ったのか。おそらくそんなことだろうということを、映画は冒頭で、多少は匂わせている。この妻の、真面目でダサい生き方が、作家にはかっこうわるく見えて、それで「愛せなかった」のかもしれない。


 妻は妻で、そんなことなどとうにわかっていて、復讐するかのように、死ぬ間際夫に、「愛してない、ひとかけらも」とメールするのだが、これは物語としては面白いかもしれないが、状況的にはとってつけたような感じがする。もし、そういうことが可能で、実際この妻が「人生最後のメッセージ」を、夫に、「愛してない」などと送ったとしたら、それは、悲しい彼女の生を表現したことにはならないか。私には、この妻は、夫を普通に愛していたと思うし、出会った時は無名でも、ついに有名作家となった夫をどこか自慢にも思っていたと思う。


 本作は、結局、心地よい映像、音楽はいいが、いったいなにを描きたかったのか、よくわからない映画となっている。人間としての魂を理解しないのなら、この監督は、今後、なにを描いても同じことになるような気がする。


 


 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【詩】「こじまさん」 [詩]

「こじまさん」


 

出社すると編集長が(私は大学を出てすぐ地方新聞社に勤めていた)、


「山下くん、きみんちの隣りが火事だから、すぐ帰りたまえ」と言った。


「え? さっき出てきたばかりですよ」


と訝りながら戻ると、火の手はなくて、道端に人がおり、「防犯」の帽子を被った父がいたので、


「火事って、どこ?」と聞くと、こじまさんちを指差した。


よく見ると、家の形はそのままあったが、内部は黒く焼けただれていた。


周囲には縄が張り巡らされていた。


 


原因は、いちばん下の男の子のマッチの火遊びで、


その子は火傷で重体だったが結局死んだ。


ひどいショックを受けなかった。


近所でもそうウワサにならなかった。


こじまさんの家は、


てっちゃん、としひこちゃん、すみちゃん、女子、しょうご、えいじ


の六人


てっちゃんは私より三歳上で、近所の工事会社で働かせてもらっていた


二人で運ぶ重い鉄棒の一方を持たせると


いきなり放してしまうことがあったという


給料日には、お菓子を山ほど買ってしまう


てっちゃんも風の日に花火をしようとして


うちの物置(といっても借家だったので、となりの大家さんの所有)を火事にしてしまったことがある


それでも共存していた


月日が経って、こじまさんのオバサンは亡くなっていて、


オジサンは鉄工所を始めたいというので、


もっと郊外を希望していて、


近所の周旋屋さんのはからいで、


父のもとめた郊外の土地と、


交換することになった。


それで、実家は、こじまさんたちがいた


土地に建っている。

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【詩】「失われた『犬論』を求めて」 [詩]

「失われた『犬論』を求めて」


 


むかし、手に負えない犬、くろが死んだ時書いた


「犬論」という詩は失われてしまった。


今、記憶のかけらを拾い集めると、

こんな感じだった──。


人は犬という形のなかに、


さまざまな心情を流し込む


風のなかで、


次々に死んでいった犬の名前を繋げてみる


……


犬よ、われわれだって、生きながらえるわけではない。


なかでもベルは、小学三年生の時


はじめて飼った犬だった。


近所の友だちの家のスピッツに子犬が生まれ


おそらく雑種だったが、もらってきた


ひときわ雑種らしい犬


騒がしく鳴くので、「ベル」とつけた


その犬は、一年もたたないうちに


流行病で死んだ。


貧しい家では獣医なんて考えもつかず


ただ薬局で買ってきた人間用の薬を


呑ませていた。


ベル、クレ、パンキー、ラッコ、るー太……


私になにができたというのだろう?


今の犬を精一杯かわいがる


そういう鎮魂しか思いつかない

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【詩】「くろ」 [詩]

「くろ」


 


そのむかし、くろという名の犬を飼っていた


父が遠州の山から拾ってきた、すでに成犬の黒い犬だった


山犬の血が入っているということで、


誰にもなつかなかった


家のものにさえ噛みついた


当時は、犬を家の中で飼うなどという発想はなかったので、


庭の犬小屋か物置かに繋がれていたが


道行く人にも吠えかかり


なかでも、夫婦で銭湯に通う


0さんは快く思っていなかった


というか、ときどき鶏の骨などを、くろのエサボールに


入れていった


鶏の骨は、犬の体内で粉々に割れるから


与えてはいけないと聞いていた


そのせいではないが、ある朝くろは、


吐いて死んだ


あまりに突然


その時私は、友だちとの約束があったので、


駅に向かった


母が経をあげ、くろの始末をした


何匹も犬を飼ったが、死ぬと


たいていどこかへ埋めにいった


いつも父母がしていたので、


私は見たことはない。


たぶん、川の土手あたりだ。


そんなふうで、くろにはあまり親しみを


感じなかった。


それでも私は、朝日を浴びながら駅に向かいながら、


泣いた。


泣いて、「犬論」という詩を書いた。


それをパクったやつがいた。


そしてそれは失われしまった。


ただ記憶している行は、


「犬よ、われわれだって、生き続けるわけでない」

 

 



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【けふのフェミニズム】「第二の性」 [哲学]

【けふのフェミニズム】


 


「人は女に生まれない。女になるのだ」( On ne nait pas femme : on le devient)という有名な言葉で始まった、新潮社文庫の、ボーボワール『第二の性』を、高校時代その気になって読んでいたが、実は、これは、原書では、全2巻の、第2巻の、第1章の冒頭だった。


つまり、新潮文庫の『第二の姓』は、章の順番をテキトーの変えてしまった、「都合のいい女」フェミニズムだった。その後、正しい順序の版がべつの出版社(人文書院だったか)から出たが、それほど注目されなかった。


本書が出た時、ボーボワールは41歳だった。


さて、実際の第1巻、第1章は次のように始まる──。


 


****


 


 シモーヌ・ド・ボーボワール『第二の性』


 


「第1部」「運命」


 


 第1章「生物学的データ」


 


 女とは? 決まってるじゃないか、いたってシンプル、シンプルな決まり文句の愛好家は言う、それは母胎、卵巣、つまり雌ってことだ、この言葉の定義はそれで十分だ。男の口の中で、雌という形容語句は侮辱的に響く、しかし彼はその獣性を恥じることもない、むしろ彼のことを「雄」と言うのを誇りに思っているようだ。「雌」という言葉は、軽蔑的であるが、それは、女が自然の中に根づかせられるからではなく、それが性の中に閉じ込められるからである、この性が軽蔑すべき人間として、無垢な獣にとってさえの敵として現れるとしたら、それは当然、彼の中に女が呼び起こした不安な敵意のせいである、しかしながら、彼は生物学の中に、こうした感情の釈明を見出そうとしている。


(訳註:ボーボワールの文章は、プルースト並に長い!)


 


*****


 


 Simone de Beauvoir " Le deuxième sexe "


 


Première partie " DESTIN "


 


CHPITRE PREMIER


 


Les données de biologie


 


La femme? c'est bien simple, disent les amateurs de formules simples : elle est une matrice, un ovaire; elle est une femelle : ce mot suffit à la définir. Dans la bouche de l'homme, l'épithète femellesonne comme une insulte; pourtant il n'a pas honte de son animalité, il est fier au contraire si l'on dit de lui C'est un mâle!Le terme femelleest péjoratif non parce qu'il enracine la femme dans la nature, mais parce qu'il la confine dans son sexe; et si ce sexe paraît à l'homme mèprisable et ennemi même chez les bêtes innocentes, c'est évidemment à cause de l'inquiète hostilité que suscite en lui la justification de ce sentiment.


 


 


 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
メッセージを送る