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【詩】「記憶で語れ、ソクラテス」 [詩]

「記憶で語れ、ソクラテス」

 

プラトンもろくに読んだことはない私だが、ソクラテスの最後は刑死で、毒ニンジンジュースを飲んで死んだということは知っている。そのジュースは誰が絞ったのかなとか、そういうどうでもいいようなイメージが、カゴメのニンジンジュースを飲んでいるとき浮かんでしまって、それは人間のやさしさなのかもしれなくて、最果タヒは、宇宙の開闢について漠然と書いている。

 

そう漠然と。それは彼女(彼?)のスタイルで、すべての知的なものを、太古の砂浜に埋めるように隠している。それは真言密教の言葉にも通じる言葉で、シニフィアンとシニフィエが絡み合っているソシュール言語学の向こう側に森があって、その木の葉っぱには無数の大小の穴が開いていて、その穴の一つ一つから何か響くものが流れているという一種の世界観を表現しているように見えるのだが、そのおぞましい世界を、地球の日本の21世紀のやさしい言葉に隠している。

 

それは空海がジュリア・クリステヴァに化けているにも似ていて、死もそこでは細い絹糸のように、あなたの愛を閉じている。

 

詩というのは、普通日本では、誰でも書いていて、詩集や同人誌に詩を発表して、取り上げてくれそうな、またまた詩人たちに配布しているが、たいていはどこか「くすぶっていて」、まさに自分の詩集が何万部も売れたり、映画化されたり、商業誌から依頼がきて、決して安くはない原稿料をもらったりすることなど、ほとんどあり得ないなーと、ぼんやりと寝床で朝の始まりとともにちらりと、そんな、欲望と羨望と諦めの入り混じった感情が夢のように存在したかもわからないまま、ちくりと感知された記憶だけ残していくのを他人ごとのように思ったりするのだが、実際、最果タヒという詩人は、すでにそういうゾーンに入り込んでいて、そこでは、大御所詩人もひれ伏すような跋文を贈っている。この「女神」のご神体は、女神なのか男神なのか、ギリシアなのか日本土着なのか、ボルヘスでさえもわからないことになっているのを、ポカリスエットに含まれる塩分より確かな感触を、ギリシアの浜辺に埋める夢を見始める。

 

この「女神」は、『ビニール傘の詩』という、ほんとうに見過ごしてしまいそうなタイトルの詩のなかに、人類の歴史を書き込んでいる。

 

そう、歴史。それはほとんど固有名詞によって成り立っている。それを過少使用するということは、歴史を毒のように隠しているということだ。その言葉を読むことは、毒ニンジンジュースを飲むことに似ていないことだけは、カゴメのためにも言っておかなければならないだろうと、ベンヤミンの「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」を読みながら、ああ、フランス革命におけるバリケードはわれらのスタバなんだと思いながら、断言しておこうと決心することは、その神殿を踏み越えていくことなんだろうか。

 

 

 


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最果タヒ『愛の縫い目はここ』──読者は最果タヒの顔を永遠に見ることはできない、女神を顔を見ることができないように。(★★★★★) [Book]

『愛の縫い目はここ』(最果タヒ著、 2017年7月27日、リトル・モア刊)

 

 ここには、固有名詞はほんの少ししかない、それはたとえば、「スターバックスの詩」という詩の題名に使われている言葉だ。この短い詩の、〈初出〉は、『SPUR』2017年3月号(集英社)で、私などは、原稿料はいったいいくらだったのだろう? などと「下世話」なことが気になる。この、たった8行の詩には、ほんとうは、もうひとつ、「固有名詞」が「隠されて」いて、それは、

 

 感情とはなんだ。セミの構造は折り紙に、よく似ていた。

 

 という一行にある。「折り紙」とは、Origami、スターバックスの商品のひとつで、「組み立てて」、マグカップに載せ、お湯を注ぐと簡単にレギュラーコーヒーができる。おそらく、この「折り紙」は偶然ではないと思われる。Origamiとアメリカ人が命名したこの商品名は、アメリカの小学生の、スペルコンクール、Spelling Bee を題材にとった映画でも「出題」されていた、日本人には簡単だが、アメリカ人には難しい言葉、origamiなのだ。

 

 最果タヒの詩には、難しい言葉、用語などは出てこない。小学生でも読める。そして、「愛する」とか「気持ち悪い」とか「生まれる」とか、そういう、ほとんど原初的とも思える感情しか出てこない。しかし、これは実は、チョー難解な詩群だ。なぜなら最果は、高学歴の、よくは知らないが、なにかの研究者? 博士? で、一見通俗的な感情を掬いながら、なにか、言語の向こう側にある世界を表現しようとしている。そういうエリート世界などまったく知らない、フツーのオバサンである私は、実を言えば、これらの詩群は「気持ち悪い」。まるで、地球の日本人の言葉を使用して、「宇宙人」が書いた詩のようだ。でも(最果には、接続詞はほとんどない。接続詞は、人間の気持ちを表すのに)、「読める」。本書は、最果タヒ詩集の三部作の完結編だそうで、おそらくこの後は、まったく違う詩集を提示するのではないか? 今まで書いていた対象など、置き去りにして。

 

 最果タヒの詩集は、Amazonでもベストセラーで、おまけに本書には、帯に、谷川俊太郎の、すばらしい言葉が付いていて、まさに鬼に金棒の詩集となっている。

 

 讃美するも否定するも、とにかく、いま詩を書いて発表している者は、この「門」をくぐらねばならない。そして、その際は、「あらかじめ希望を捨てよ」と申し添えておくのが、先に滅びていく人間の、残酷さによく似たほんのひとふりのやさしさなのかな。



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