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宇佐美ゆくえ著『夷隅川』──基礎を踏まえた端正な歌集(★★★★★) [Book]

 『夷隅川』(宇佐美ゆくえ著、 2015年5月、「港の人」刊)



  Facebook友の、お母さまの歌集で、初版は、2015年5月15日、それからほどなくして著者は亡くなられたと聞く。もとよりなんの知識もなく本歌集を読み進むと、新婚時代から子を経て、子供たちが独立し、やがて孫もかなり成長した姿で登場し、一人暮らしに戻り、ケアバスを待つ日々の、心の軌跡のようなものが書きつづられている。きょうびの若い歌人だと、もっとハデな歌が多く、本歌集などは地味のなかに沈んでいくか、見過ごされるようだ。だが、斎藤茂吉は、次のように書いている。



 「檐から短い氷柱が一列に並んでさがつてゐる。それから白い光が滴つゐる。それを一首の短歌にしようと思つた時、ふいと比喩にするいふ思が浮んで、『鬼の子の角ほどの垂氷(たるひ)』と云つた。段々読み返して見るとどうも厭味である。それは鬼の子では余り目立ち過ぎてはいけないのだと思つた。それならば、『山羊の子の角の垂氷一並び』かと思つたが、どうも落付かない。『めす犬の乳首のやう』とも思つたが、どうもいけない。とどのつまり、『ひさしより短か垂氷の一並』といふ平凡な写生にして仕舞つた。比喩の句法で晶子女史は名手であるが、短歌に比喩の句法を用ゐるといふ事は余ほど大きな力を持つ作者でなければ駄目だと思つた。奇抜な比喩などは存外楽なものであるが、短歌では奇抜なほど厭味に陥るやうである。『ごとく』とか『なす』とか『の』の連続とせしめないで、一首を貫いて象徴にまで進むのである」(「童馬漫語」55写生『斎藤茂基地歌論集』岩波文庫、所収)



 そう思えば、ちまたに溢れるいかにも新しき衣装、意匠をまとった歌など、厭味のオンパレードである。



 この歌集の題名を見たとき、すぐに、音の連想から、



     みかの原わきてながるるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ



 という、百人一首で同じの歌を思い浮かべた。いかにも女性らしい歌であるが、作者は、中納言兼輔である(新古今集所収)。



 本歌集の著者、宇佐美ゆくえにも、そういう心の輝きがあり、それらが収められているのが本歌集である。こんにち、多くの自称、多少「歌人」たちが忘れている基礎がここにある。



     揚水の早や始まりて暁の野を光りつつ水の走れり



 美しいリズムと朝の光が重なって、生きる喜びがそこにある。



     職場への道急ぎつつふりかえる風邪の子ひとり残るわが家を



 一瞬の思いを文字に留めている鮮やかさ。



  雷鳴におびえる園児抱きつつ遠き日の吾子をおもい出しぬ。



 ここには、他人の子と自分の子と、時間差の違う、子供への愛が隔てなくうかがわれる。これを比喩にはできないだろう。



  霜白く勤めに急ぐこの堤きょうも一羽に白鷺にあう



  乙女らは幻のごとく声あげて雪降りいでし橋渡りゆく



 これらは写生の美しさのよく表現された初期作品である。晩年になると、写生ばかりもしていられず、「心理」が介入してくる。それは、時代の変化でもあるだろうし、そういう時代に老年を迎えた者の宿命であるかもしれない。



 飛び跳ねて、これが歌と思い込んでいる自称歌人の方々がは、本歌集を読んで、勉強してほしいと思う。



 



夷隅川

夷隅川

  • 作者: 宇佐美 ゆくえ
  • 出版社/メーカー: 港の人
  • 発売日: 2015/05/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




 


熊野純彦著『マルクス資本論の思考』──反唯物論的感傷解釈(★★) [Book]

 

『マルクス資本論の思考』(熊野純彦著、  2013年9月、セリか書房刊)

 

この著者のエクリチュールの特徴は、なんでもセンチメンタルにしてしまう。それと、ニュートラルな文章では当然漢字を当てるところを、ひらがなで開いてしまう、どうもそこが、ガラスの表面を金属でキーキー引っ掻いているような気持ち悪さがある。

 

 目次を見ると、ほぼマルクスの『資本論』のままである。そのいちいちを、センチメンタルな解釈を添えているだけである。しかし、ここまですべてやり遂げたことには、ある種の敬意を表する、それだけである。著者の言う、「今の世界はマルクス化している」の意味がわからない。ちなみに、中国共産党幹部の多くは、マルクスの『資本論』はまったく読んでないそうである(笑)。

 

『資本論』のような、徹底して唯物論的なテクストには、どんな「解釈」=「切り口」も可能である。ゆえに、著者が「十代のすえから三十代のはじめにかけ」て、参加していた、読書会のリーダーだった、廣松渉的な読みも、アルチュセール的な読みも、また、ミシェル・ヘンリー的な読みも可能であろう。カントやベルクソンの訳書もある著者のことであるから、当然原書で読んだのであろう。

 

 私も本書のレビューを書くにあたり、十年ほど前に読んだ、『資本論』(筑摩書房の「マルクスコレクション」シリーズⅣ、Ⅴ)を再読してみると、「凡例」からして重要なことがわかった。曰く、

 

 「「剰余価値」、「剰余労働」の「剰余」という表現は、厳密には問題的な訳語であるが、これはすでに人口に膾炙し、ほとんど日本語に固定しているので、変更しないでそのまま採用した。云々」

 

 「剰余」のドイツ語は、Mehrwert(s) で、mehr は、「より多くの」、(der)Wert は、「価値」である。

 

 また、永山則夫を引き合いに出し、彼が『資本論』を手にした時に最初に目にしたであろう章を勝手に推測しているが、これも、「第一の序文」を飛び越して、本文に入っているが、「第一の序文」には、以下のような文章がある。

 

 「なにごとも最初がむずかしい、という諺はすべての科学にあてはまる。したがってここでも第一章、すなわち商品分析を含む箇所が理解するのに一番骨が折れるだろう」(鈴木直訳)

 

 Aller Anfang ist schwer, gilt in jeder Wissenschaft. Das Verständnis des ersten Kapitels, namentlich des Abschnitts, der die Analyse der Ware enthält, wird daher die meiste Schwierigkeit machen.

 

 (「科学」という部分は、「学問」の方が一般的だと思うが)

 

 なるほどそのとおり、『資本論』は、終わりにいくほど「簡単に」なっている。「神は細部に宿りたもう」ように、『資本論』においても、「序文」と「原注」に、多くの「情報」がある。「情報社会」の21世紀こそ、それらを検討する「価値」があるように思う。しかし、本著者は、本文を「意味内容」に変換し、自身の「おセンチな思考」の表現を与えているのみである。

 

 こんな「解説本」?を読むくらいなら、直接『資本論』を読むことをオススメします。とにかく、熊野純彦という学者センセイは、岩波文庫のベルクソン訳でもそうですが、ただでさえ難しい原著を、より「(おそらくはそのセンチメンタルな解釈によって)わかりづらくしてしまうクセ」があるので、要注意です。

 

****

 

(少なくとも)P37と、P51に、誤植あり。

 




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千葉雅也著『勉強の哲学 来たるべきバカのために』──「おフランスの現代思想」じたいがすでに陳腐(★) [Book]

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也著、2017年4月、文藝春秋刊)

 

 この著者は、ちまたに氾濫する、いわゆる「勉強指南書」はひとつも読んだことがないのだろう。だから、「すでにそういうことは何人もの人が言っている」的な、重複がかなり見られ、しかも、「切り口」も、陳腐である。

 

 文藝春秋が出した、「文句のない学歴」かつ「人気」(前者のおかげもある)に目をつけた、「かなり遅れた」「勉強本」のひとつと見た。

 

 二十年ほど前から勉強本を出し続けてきた齋藤孝がかつて書いていたが、「高学歴で自身は勉強している著者による、若者よ、勉強などするな」という本を見かけると、はらわたが煮えくりかえると。本書は、決して「若者よ勉強などするな」とは言ってないし、むしろ勧めているのだが、それが、なんせほら(笑)、専門の「おフランス現代思想」的ディスクールだかなんだか、そういう「色眼鏡」にまぶされているので、決してやさしくない内容を、「やさしそう」に「書き直して」いるので、二重に難解になっている。簡単に言えば、「若者よ! 勉強するには覚悟がいるゾ!」と脅しているので、勉強への敷居をさらに高くする結果となって、著者のような「エリート」がさらに優位になる仕組みになっている。前著『動いてはいけない』とまっく同じ、反動本である。むしろ、われわれおとなは、どうして、このような、「一見若者の味方風の」反動者が出現し、かつ出版界でもよいポジションを取り(反動ゆえにかもしれないが)、本人は稼いでいるという事態になったのかを考えるべきだろう。

 

 こんな本を読むくらいなら、ベルクソン『物質と記憶』、フロイト『夢判断』を一冊「アゲた」方がよほど血肉になる。というのも、「おフランスの現代思想」は、だいたいにおいて、この二者対して、どいうスタンスを取るか、いかに読むかについて書かれているからだ。

 

 普通の勉強本なら、やはり佐藤優のものが実質的だと思う。





小谷野敦著『芥川賞の偏差値』──おもしろい〜(★★★★★) [Book]

『芥川賞の偏差知』(小谷野敦著、 2017年2月13日、二見書房刊)


 小谷野敦氏の本は二度と買わないと思ったが、恩田陸の直木賞作品(題名覚える気ない)の近くに本書が積まれていて(@福岡ジュンク堂)、つい、こちらを買い物カゴに入れてしまった私である(笑)。


 「まえがき」がちょっとした「文壇史」(芥川賞から始まっているので、伊藤整の『日本文壇史』というわけにはいかないが、それを彷彿とさせないこともない)になっていて、こんなにリキを入れて「まえがき」を書くのは、小谷野氏のほかには、ミシェル・フーコーをおいては他に知らない(笑)。まー、このヒトはなんでもリキが入ってしまうのである。なんでも真剣なのである。こういうヒトは、今の時代はまれだから、私は評価している。シュミはまったく合わないが。ほかのレビュアーが、「偏差知と言いながら、まったくの主観である」と書いているが、だいたい、偏差知だって、客観的な科学データとは言い難いし、本書の場合は、ただの「ネーミング」、「イメージです」でしょう。


 文学の評価など、主観以外にあり得ない。それは芥川賞の選考にだって言える。だいたいきょうび、ろくな選考委員がいないのに、その選考委員が選ぶものに、たとえ、結果として「おもしろいー」と小谷野氏が言っても(「コンビニ人間」とか。あたしゃ、全然おもしろくなかったが)、それはたまたまであって、まるで信頼できるものではない。それにつけても、下世話なことであるが、ビンボー人のあしゃ、「選考委員料」(謝礼?)が気になる(笑)。


 私の記憶としては、村上龍氏の『限りなく透明に近いブルー』が選ばれた時、選考委員の永井龍男が、「こんなものが選ばれるなら、私はやめる!」と抗議して辞任したと思いますが、どうですか。しかし、この作品のもとの題名が、「クリトリスにバターを」という題名だったとはつゆ知らず。そうでしたか。しかし、石原慎太郎「太陽の季節」の、勃起したペニスで襖を破るなんてアホなシーンは、その後誰も書いてないでしょー(笑)。そして、今、「夫のちんぼが入らない」てな題名のエッセイ(?)が売れているらしいから、ま、時代はどんどん品性を失ってますナ。選考委員に品性が見られたのは、滝井孝作が選考委員をしていた時代で、この人が「いい」と言えば、たいていそれに決まってしまったぐらい力があったとか。


 なるほど、小谷野氏の主観ではあるが、ほかのレビュアーの方が書かれているように、芥川賞のレフェランスにはなるし、つい最近の山下澄人作品までカヴァーしているのは、さすがである。それに、松本清張「ある『小倉日記』伝」」には、まあまあの偏差知(64)が与えられているし、これらの作品を全部読んだなんて、まさに狂気の沙汰である(笑)。


 そうそう、当の小谷野氏自身も、「候補作家」であることは、どこにも書いていない(?)、意外な奥ゆかしさもあり、今回は、ほめ倒してみまちた(爆)。


 あ、今回の版元の二見書房は、もともとはポルノが得意の出版社で、ときどきまともな本も出していたところです。澁澤龍彦訳『O嬢の物語』もここから出ています。私の知るかぎり(って、小谷野氏ではないので、よくは知りませんが(笑))最高のポルノ小説だと思います。村上龍や石原慎太郎も、まあ、ここまで書いてほしかったですね。

 

 


芥川賞の偏差値

芥川賞の偏差値

  • 作者: 小谷野 敦
  • 出版社/メーカー: 二見書房
  • 発売日: 2017/02/13
  • メディア: 単行本




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『トランプは世界をどう変えるか? 「デモクラシー」の逆襲 (朝日新書) 』──「勝てば官軍、後出しジャンケン」本(★) [Book]

『トランプは世界をどう変えるか? 「デモクラシー」の逆襲 (朝日新書) 』──「勝てば官軍、後出しジャンケン」本(★)

 

 

『トランプは世界をどう変えるか? 「デモクラシー」の逆襲 (朝日新書) 』( エマニュエル・トッド 、佐藤優 著、2016年12月26日、朝日新聞出版刊)

 

 エマニュエル・トッドは、フランスの「私はチャーリー」現象を、専門の統計学から分析し、フランスでは少数派の、期待の学者だったが、本書で完全に失望した。主張は、おもに「後出しジャンケン」。トランプが大統領選に勝った「直後」、ほらみろ、トランプは、アメリカ最下層の意見を代表している、というのが主張である。

 

 一方(そう、これは両者の対談ではなく、「(おもに)インタビューを)つなぎあわせただけ」の本なのである。しかも、ページ数もかなり少ない。しかも、従来の朝日新書に、目立つ真っ赤な衣装まで着せている(笑))、今や「インテリジェンスの大家」(笑)佐藤優、この人の本もけっこうたくさん買って、ふむふむそうかそうかと信じた(笑)。確かに勉強かであり、かつては外交官(佐藤氏にかかると、「スパイ」みたいだが(笑))として赴任していたロシア情勢には、詳しい……ような態度を取っている。だが、たとえば、『ファイナンシャル・タイムズ』の前モスクワ支局長、チャールズ・クローヴァー氏が出版した、『ユーラシアニズム』のような本など書けまい。せいぜい、それをネタにして、水増し本を書く程度であろう。

 

 本書が浅薄なのは、アメリカ大統領選を、「当たるか当たらないか」の、まるで下手な占い師の実力比べのような切り口で扱っている点だ。本書によれば、トッドは、完全にトランプ大統領を断言し、佐藤優は、断言まではしないが、可能性としては残していた、そして、自分はさておき、副島孝彦氏は、断言し、当てたと、尊敬のまなざしなのである。

 

 当たる、当たらない、で言えば、確立は2分の1。どちらかを強く主張し、結果としてその通りになれば、「それみろ!」である。そういう世界か。むしろ、アメリカの、大部分の予想をはずした(というより、望まなかった)知識人たちのように、「やはりトランプはおかしい」といい続けることが誠実な態度とも思える。

 

 本書は、「緊急出版」はいいが、ほんとうに、トランプ当選「直後」なので、現在ただいま(2017年1月29日)の時点まで、十分予想できていない。

 まず、トッドが主張する、「トランプは、アメリカの最下層の支持で当選した」であるが、すでに、プーチンがサイバー攻撃によって、アメリカ大統領選にかかわったことが、わかっている。トッドはこの点についてはいっさい「予想していない」。

 

 また、二人(トッド、佐藤氏)とも、トランプはただ言動が過激だけで、実際は、誠実な庶民の味方であるかのような表現をほのめかしている。しかし、今、トランプは、法律としては高い遵守が求められる、エグゼクティブ・オーダー(大統領命令)によって、選挙前の主張通り、メキシコとの間に壁を築こうとしているし、低所得者をも守った、オバマ・ケアをも取りやめにしようとしている。ほかにも、独善的なことをどんどん進めている。そして、クリントンがいかに金まみれのワルモノかも、ほのめかしている。

 

 少なくとも、佐藤優氏は、リベラルではなかったのか? いったい、どうなっているんだ? この日和見は。

 

 

 


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『現代語訳 日本国憲法 (ちくま新書) 』──立憲主義に意味がある(★★★★★) [Book]

『現代語訳 日本国憲法 (ちくま新書) 』(伊藤真翻訳、解説、2014年1月、筑摩書房刊)


 


 法曹界に多くの人材を送り込んでいる「伊藤塾」の塾長で、自らも弁護士資格を持つ本書の著者、伊藤真氏は、「集団的自衛権」問題の時だったか、国会で見解を述べておられた。


 


 憲法うんぬんと言っても、実際は読み通している人など、たとえ国会議員でもそうそういないのではないか。よしや読み通したとしても、難しい漢字を使った難しい表現が完全に理解できる人も少ないではないかと思われる。そういう意味において、古いとか、改正しろというなら、本書のように「現代語訳」を配布するに留めたらどうだ(笑)?


 


 実は本書は、「あとがき」に意味がある。歴史的事件を云々して氏が間違っているなどというレビュアーがいたが、これは、法的思考なのである。まず、憲法とは何か? それは、普通の法律を真逆で、国民を縛るものではなく、むしろ、国家を、国家権力の暴走を縛るものである。それが「立憲主義」という政治体制ということだ。これは、イギリスのロックが考え出した思想で、イギリス、アメリカ、フランスは採用して、とくに改憲などという声はあがっていない。なぜ改憲か? 要するに、現政権は、「強く国」に見せたいのである。そのためにいろいろ「手段」を使って、「歯止め」=憲法をかいくぐろうとしてきた。


 


1,「96条先行改正論」(憲法改正手続きを定めた96条の発議要件を、現行の3分の2から過半数に改正して憲法を改正しやすくし、9条をはじめとする他の憲法条項を次々と変えていくこと)→立憲主義は、憲法制定権力が国民にあると考えるから、国会議員にこうしたイニシャティブがあるわけではない。


 


2,「解釈改憲論」(憲法改正手続きによらず、憲法解釈の名のもとに、解釈を逸脱する法運用を行い、憲法が改正されたのと同じ事実状態を実現しようとする動き)→正面議論を避け、政府解釈を違憲の内容に変更する手法。


 


 つまり、憲法とは、個人の権利を守るというのが基本であり、それをいろいろなイデオロギーに転化してしまうのは、立憲主義という考え方が、ほとんど理解されていないため、伊藤氏は言っている。

 

 

 


現代語訳 日本国憲法 (ちくま新書)

現代語訳 日本国憲法 (ちくま新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2014/01/07
  • メディア: 新書




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保坂和志「彫られた文字」(文學界2016年7月号)──目ざす方向には好感がもてるが成功しているとは言えない(★★★) [Book]

保坂和志「彫られた文字」(文學界2016年7月号、文藝春秋)


 


「目玉」であるらしい柄谷行人には関心なくて、「18歳の君が投票するとき考えて欲しいこと」という各界有名人へのアンケートにも関心なく、かつ、こんな文芸誌を、新選挙人の若者たちが読むだろうか? という疑問も起こった。しかしながら、文芸誌で一番売れているらしいのは、この文學界ではないだろうか? ということを思わせる雰囲気は漂わせている。Amazonレビューも、拙レビューを除いて、一つだけついているし(笑)。


 


 今回、いろいろ文芸誌を「買ってしまった」が、それはそれなりに読んでみようと思う書き手の作品が掲載されていたからだ。本誌では、保坂和志。このヒトは、一般にはあまり知られてないながら、純文学のエースである。作風は、なんたってプルーストである、というと言い過ぎなるが、氏が師としていた、小島信夫である、とは言えるだろう。しかしながら、当方もそれほど小島信夫が好みとも言えず、もしかしたら、保坂の方が読みやすいというか、高級かもしれない。


 


『彫られた文字』という、四百字詰め原稿用紙換算、70枚ちょっと(?)の作品は、かつての会社の上司から送られた、彫られた文字だけでできた、コーヒーに関する作品のアンソロジー(彫った人の作品ではなく、既存作を集めたもの)を木版で彫って印刷している本に関して書き始め、そこから連想の思うまま、微妙な思考にも拘り、フロイト、ラカン、ベンヤミン、カフカ、深沢七郎、大杉栄、など、著者の読んだ本からの思考の流出のまま、どこへ行くともなく書き進んでいき、結局、私小説のようななりゆきとあいなっていくのは、まったくもって残念である。最後は、関係した女性に関するエピソードまで行き、また「彫られた文字」の作者の元上司への思考に戻って終わる。こういう書きっぷりは、中野重治「五勺の酒」を思い出させないわけでもないが、ただ中野の場合は、一人称の、自由思考の語りのようでありながら、その語り手は、「小学校の校長」だったか、つまりはフィクショナルな人物である。


 保坂の、この、エッセイともつかない小説は、エッセイの、むしろ型にはまったエクリチュールからは自由になっていて好ましいのだが、中野重治のように十分にフィクショナル化できていない恨みがある。保坂氏に言わせれば、そんなことは目ざしていないということになるかも知れないが。とにかく、ここに書かれた作者の思考は概ね好感が持てる。


 ただ、氏が目ざす(『カフカ練習帳』にもあったように)カフカのように、形にできないものを書こうと志すはいいが、カフカほどおもしろくない。それは、まだまだ個人的具体化が足りず、世間に流通する抽象概念に囚われているせいかもしれない。


 


 「口直し」→ (当然)カフカの日記、手紙(『カフカ全集』新潮社など)。

 



 

文學界2016年7月号

文學界2016年7月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/06/07
  • メディア: 雑誌



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橋本治『九十八歳になった私』(新連載、『群像』 2016年 07 月号 ) ──とてもプロとは思えないひどい作品(★) [Book]

橋本治『九十八歳になった私』(新連載、『群像』2016年7月号、講談社刊)


 


 本誌を買ったのは、かつて私淑していた橋本治の、ひさびさ新作『九十八歳になった私』が載っていたからだが、この四百字詰め原稿用紙換算20枚程度の、一応……小説? 目次の説明には「九十八歳の作家である主人公が、日々の移ろいをリアルな筆致で書き留める新しい『老人小説』の誕生」とある。どこが新しいのか? 文体めちゃくちゃで、プロの作品とも思えない。こんなのに、推定、10万円くらいの原稿料を払っているなんて、バブル期ならともかく、無駄も甚だしい。


 一応、作者=私が、九十八歳になったという設定の、ひとりごとのようだが、リアルさはまったくなし。ただのらくがき。橋本治は、古典力が魅力であったが、それも、だいたい超えたと思ったから、私淑をやめた(笑)。この人の本は、『窯変源氏物語』をはじめ、『双調平家物語』のシリーズすべて、などなどかなり持ってますが、上記二作は、原作があり、それに沿って書いているので、めちゃくちゃもある程度押さえが効いているが、たとえば、『小林秀雄の恵み』や、比較的近著の近代文学の批評など、初めと目次は一見まっとうながら、真ん中へんはテキトーでただただ原稿用紙を埋めて嵩を増やしているだけなのは、高橋源一郎に負けるとも劣らない。新連載とあるからには、毎月10万円の収入を橋本老人に保証しかつ、ゴミのようなしろものを活字にしていくのか。


 


 そのほか、本誌の目次をざっと見渡すに、連載ばっかである。こういう連載を、「たのしみに待っている」読者など存在するのだろうか? 連載にしてしまうのは、あまりにイージーではないか。全編読み切りにすれば、文芸誌は少しは売れるのでは? 


 以下、橋本の作品中の「俳句のようなもの」を、なんとなく添削したくなったので、しておく。


 


  あきれてはまた空を見てあきれつつ → あきれつつまた空を見てあきれはて


 


  春の空プテラノドンが今日は留守 → 春の空プテラノドンは今日は留守


 


  しみじみといい時代だよすちゃらかちゃん → すちゃらかちゃんいい時代だよしみじみと


 


 


 ま、どっちが正解というのでもないだろうけどね。たんなるセンスの問題か。


 


 「口直し」→サミュエル・ベケット『クラップ氏の最後のテープ』── 孤独な老人が、テープレコーダーに向かって過去の思い出を語り続ける、ひきしまった文体が、言葉そのものをリアルな物と化していく。

 



 

群像 2016年 07 月号 [雑誌]

群像 2016年 07 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/06/07
  • メディア: 雑誌

 



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蓮實重彥『伯爵夫人』(一部、『新潮』2016年7月号)(★★) [Book]

蓮實重彥『伯爵夫人』(一部)(『新潮』2016年7月号、新潮社刊)


 


 三島由紀夫賞(新潮社の賞なので、当然、『新潮』などに載った作品が有利)受賞の蓮實重彥『伯爵夫人』の全文掲載号は、Amazonで6800円にもなっているし、単行本もすぐ出るのだろうが、それまで待ってられないので、本号掲載の9ページぶんを読んだが、蓮實氏に言わせれば、小説の最初から最後まで読むのはバカなので、まあ、これくらいでいいのだろう。


 


 氏の受賞に関しては、マスコミ(ほんの一部だけね〜(笑))で話題になり、かつ本人も、「私の作品に授賞させるなど暴挙だ!」などと、「怒っている」パフォーマンスをされたようだが、こういう人の地位にあれば、小説がよいなら、もっと早くに評価されていると思いますがね。この場合の評価とは、べつに教養のない選考委員のセンセイ方が「瑕疵がなくて完璧だ」というのではなくて、一般読者がつくという意味です。だいたい、こういう、ほとんど出版社の収益にも文化向上にも貢献していない文芸誌なるものを主な活躍の場としている方々は、同誌で私怨を「書かせてもらっている」金井美恵子センセイといい、自慰的行為を、芸術と勘違いされているヤカラが多い。


 


 ま、蓮實作品もその一つである。これは、まるで金井美恵子と同じ手つきと趣向で書いた、フェティッシュ自慰小説である。つまり、細々、自分の気持ちいい描写を続けながら、物語は一向に動いていかない。べつに、エンターテインメントのストーリー展開という意味ではありませんよ。つまり文章(思考)が全然進んでいかないのね。


 


 なんか恰好つけて、旧字を使っているが、どうせなら旧かなにもすればいいのにと思ったが、そこまで自信がないのだろうか? 旧かなは、日本の古典スジの文脈が身についていないと使いづらいのではないかと思う。古い文学者(明治生まれの)でも、中国文学者の吉川幸次郎などは、新かな使いである。


 


 「伯爵夫人」とあだ名される女を、二郎という、ええとこのぼんぼん(だいたい蓮實とか三島なんかは、こういうのしか書けないのでは?)の視点から描いた作品と見た。一見無垢かつ大胆な従妹の蓬子が出てくるところなど、蓮實ケイベツの、村上春樹風で、しかも、配役は(って、映画化かよ(笑)?)、水原希子(こんな字だっけ?)を思い浮かべてしまった。


 


 ろくでもないメンツの選考委員の感想はすっ飛ばし、蓮實氏の授賞インタビューを読んだが、まー、言いたいこと言ってますね〜。こんなものにつきあったら、いくら時間があっても足りないよ。


 


 さらに、てきとうにページを開くと、金井美恵子センセイのコラム?……と思いきや、川端康成賞の候補になっていたのも知らず、勝手なことを言われて落選させられ、ご立腹の様子を、同じように、三島賞で、落選させられ、選考委員の内容に関する間違いにクレームつけた黒川創氏に同感している。


 まー、酔狂にもたまに金出して買うわれわれ一般読者にとっては、どーだっていいことである。モンクをつけようが喧嘩を売ろうが、どうせ、金井氏も黒川氏も、『新潮』に連載させてもらっているんだからいいじゃん、である。こうした態度は、まともな世間では許されないことである。


 文芸誌とは、頭デッカチの書き手の、重箱の隅のほじり合いと見た。それが面白ければ、買うしー。


 


 長年の自称「蓮實重彥研究家」として言えば、蓮實は、映画評論がいちばんよく、文芸評論はやや落ち、さらに落ちるのが、小説である。選考委員のセンセイ方は、蓮實を「落とす」のが怖かったのでは?


 まあさ、自作を間違って読んでいる、などとモンク言ってもさ、だいたい誰も読んでないんだってば(笑)。


 


 蓮實の『伯爵夫人』の「口直し」としては、石川淳をオススメします。エロスとスピードと、まっとうな日本語。これだ!

 


 

新潮 2016年 07 月号 [雑誌]

新潮 2016年 07 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/06/07
  • メディア: 雑誌

 

 


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『戦略がすべて 』──本書じたいが、コモディティ化(著者の使用法で、「汎用品化」)(笑)(★) [Book]

『戦略がすべて』(瀧本哲史著、2015年12月刊、新潮新書) 




 タイトルに偽りありということは、レビュアーの多くの方々が書かれている。まさにそのとおりである。普通、こういうタイトルからは、なにか、これから生きる上で、あるいは、自分の仕事上で、戦略のたて方などが示唆されていると想像されるが、「残念でしたー、そんなこと、どこにも言ってないよ〜!」と、著者は舌をだしてほくそ笑んでいることだろう。だいたい、新潮新書の多くは、このテの本が多いから、よく調べてから買った方がいいと思います。まあ、私はブック・オフ行きの箱に放り込むだけですが。


 本書は、頭デッカチの「自称勝ち組」著者が、資本主義社会を、「自称勝ち組」の視点から分析しただけの本である。本書自体が、このなかで言われている、陳腐化した内容の「コモディティ化」している、ことに、知らぬは著者ばかりなり、か(笑)。


 こういう資本主義自称勝ち組のなれの果てがどうなったかは、マイケル・ムーア監督の映画『世界戦略のススメ』を見ればわかる。「儲ける仕組み」からはじき出された人々(まあ、著者が小馬鹿にしている教育も資本もない労働者ですが)を大切にしている国々がいかに豊かな生活を謳歌しているか、また、「儲ける仕組み」に囚われたアメリカが、いかにひどい体たらくになっているか。


 ま、このヒトが考えるほど、世の中のメカニズムは単純ではない。しかし、レビューがすでに37も付いているところを見ると、ある程度、売れていると見た。題名と目次(も、ガセである。たとえば、「スピルバーグは優秀な編集者ではない」の項目など、確実に質の高い作品を撮り、一作とてコケてないスピルバーグと、全然畑違いのスティーブ・ジョブズを比べてみたって、いったいなんのイミがあるというのだ。まったくテキトーな一章である)の張りぼて商法がある程度は効きましたかね。


 どーでもいいが、コモディティとは、マルクスの『資本論』では、ただの「商品」のことじゃん。


 いずれにしろ、こういうヤカラにかぎって、Excelもまともに使えないに違いない。




 

戦略がすべて (新潮新書)

戦略がすべて (新潮新書)

  • 作者: 瀧本 哲史
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/12/16
  • メディア: 新書

 


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