So-net無料ブログ作成
検索選択
映画レビュー ブログトップ
前の10件 | -

『パリ、恋人たちの影』──「見ること」の喜び(★★★★★) [映画レビュー]

『パリ、恋人たちの影 』(フィリップ・ガレル監督、2015年、原題『L'OMBRE DES FEMMES/IN THE SHADOW OF WOMEN』)

 

Duras ou Garrel peut-être, parce qu'ils sont plus près du roman pur, si l'on peut dire, ou de la peinture. Moi, j'ai toujours bien aimé les deux. Et puis ce qu'il faut inventer, c'est le système dans lequel on peut créer.

(Entretien réalisé par Jacques Drillon, Le Monde de la Musique,no55, avril 1983, "Jean-Luc Godard par Jean-Luc Godard)

 

(あるインタビューで、ゴダールは自分は作品を創作はしていない(アレンジなどをしているにすぎない)と言い、「ドュラスやガレルはそれをしている。彼らの作品は、ぼくは好きなんだが、純文学や絵画に近いのだから。というのは作品を創作できるというのはシステムなんだ」(1983年、『ル・モンド・ド・ラ・ミュジーク』誌のための、ジャック・ドゥリヨンによるインタビューより)

 

*****

 

 男と女がいる。彼らは夫婦である。夫はドキュメンタリー映画を撮っているがいまだ認められない。妻は自分の道を捨てて、夫の制作を手伝っている。夫がふとしたことで若い女に出会い、肉体関係を持ち、それを続ける。しかし、夫の愛人は、妻の方も男と会っていることを目撃して彼に告げる。自分の浮気は隠し、妻を責める夫。途中、夫の仕事として、レジスタンスの老闘士へのインタビューが挟まれる。いったんは言い合いして別れてしまった夫婦が、このレジスタンス老闘士の葬式で出会う。そして、よりを戻す──。てな話はどこにでもある、かもしれない。お話はどうでもよくて、「眼に」残るのは、夫の愛人の、アルモドバル映画系のブスぶり、妻の母親の、みやこ蝶々+京唄子(古いか(笑)?)ぶり、老闘士(これが、大嘘で、実はナチ系と、葬式時に、妻のセリフで知らされる)の妻のマルグリット・デュラス風よぼよぼでも、インタビュー中、クッキー缶を持ち出して「どう? 私が作ったのよ」などと、主張するぶり……などなどが、白黒フィルムの、「影」が美しい構図の中に配置され、ゴダールが大好きな「見ること」の喜びを、われわれにも教えてくれる。雰囲気はクラシックながら、ケイタイ電話なども出てくる、まぎれもなく「現代」なのである。

 

 

 jlgtome1.jpg

jlg579.jpg





nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

『パトリオット・デイ』──ケヴィン・ベーコンが渋い(★★★★★) [映画レビュー]

『パトリオット・デイ』(ピーター・バーグ監督、2016年、原題『PATRIOTS DAY』)


 


 2013年のボストンマラソンの「テロ」事件は、ある意味前代未聞だった。テロというと、普通、建物や乗り物の、「密室」に近い場所が標的にされるのだが、マラソンコースという「開いた」空間が標的にされた。なるほどそこには、「群衆が集まっている」。テロの目的は、「なるべく大勢の人間を殺してアピールすること」である。その意味では、これも「アリ」のテロ対象だった──。


 開いた空間ゆえに、死傷者の数は閉鎖空間よりも多くないが、人々を恐怖に陥れたことには違いない。すでに結果はわかっている「実話」を、どのように映像化していくかが本作の焦点であるが、まず、これまでに例がない開いた空間における爆発ゆえに、すぐにテロとは決めつけない慎重な態度が、ケヴィン・ベーコン演じる、FBI特別捜査官、リック・デローリエの登場で示される。主演はマーク・ウォーターバーグ扮する、殺人課だが、やりすぎの失敗によって、懲罰として「警備」に格下げされていた、トミー・サンダース、ボストン警察巡査部長である。この役は本作のために作られた役で、よくある「熱血警官」で、彼を中心人物に据えることによって、地味に陥りがちな「実話」がドラマ性のあるものになって観客を惹きつける。


 しかし、タッチはあくまで、ドキュメンタリー風、いや、ドキュメンタリーよりも臨場感が強調されている。『ユナイテッド93』のように、犯人側もきちんと描き、それが、監視カメラやコンピューターの解析によって、特定されていくさまをていねいに描いている。何ごとが起こったかわからない爆発事件が、テロと特定された瞬間、画面が変わり、特別捜査本部が設置される。このあたりの「切り替わり」は、現実のことだが、一般民衆はそんな場面に立ち会うことはできない。しかし、本作は、そんな場面に、まるでFBIの特別捜査官になったかのように「立ち会う」ことができる。そして、知らぬあいだ、感情移入しているのは、主人公の、ほんとうは「いいやつ」のウォールバーグではなく、渋いケヴィン・ベーコンなのである。「テロと特定してしまったら、やっかいなことがいろいろ起こる」だから、慎重に捜査を進めるべきだと、ケヴィン・ベーコンのデローリエ特別捜査官は主張する。この、デビュー当時は、踊りまくっていた(笑)若者が、いつしか渋いオジサンになっていたのであるが、途中、少年愛の変態みたいなのも演じたが、今は誰よりもFBI特別捜査官が似合う、クールな俳優になっていた。彼をマークできるかどうかで本作が、「愛なんだ!」とお気軽に叫ぶ警官物語になるか、社会における「テロ」という言葉の重要性を認識する機会になるかに分かれていく。


 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『スウィート17モンスター』──渋いおとなの男の映画でもある(笑)(★★★★) [映画レビュー]

 『スウィート17モンスター』( ケリー・フレモン・クレイグ監督、2016年、原題『THE EDGE OF SEVENTEEN』)



『トゥルー・グリット』のヘイリー・スタインフェルドはもう20歳の「おとな」。それがちょっと「幼い」役を演じる。『トゥルー・グリット』では、14歳にしてアカデミー賞ノミネートで注目を浴び、「ファッションにすごく興味がある」と言っていたのが印象的で、本作でも、まさに「ぴったり」の、背伸びしすぎないカジュアル(とくにスニーカー!)ファッションが健康的で品がある。肌の露出は、一般的な同年ティーンエージャー、アメリカ娘と比較するに、かなり少ないと思われる。変人こじれ娘の唯一の親友は、顔もスタイルも、ヒロインより「ちょい落ち」はお約束か(笑)? スタインフェルドの方が、背は高いし、スタイルもよく、だんぜんかわいいのであるが、この「凡庸な風貌」の親友が、ヒロインの、イケメン+人柄よしの兄と恋に落ちる。途中、アジア系の同級生男子が出てくるが、大金持ちの子息らしいこの男子もさることながら、ヒロイン、ネイディーンの家にも「プールぐらいはある」。パパは死んでも、中流維持。そんな恵まれた環境での「こじらせ」青春である。こんな幸せな青春が送れる少女たちが、いまのアメリカにいったい何%ぐらいいるのか? それでも、「等身大」のこうしたドラマは人々を癒す。


 しかし、注目は、ママ役の、キーラ・セジウィックである。ケビン・ベーコン(べつに変態ではなく(笑)、素は知的な雰囲気のようです)夫人のこの女優、テレビ・シリーズの『クローザー』で人気。私もAmazonでDVDを買って観た。FBIの凄腕捜査官の淑女が甘い物フェチで、事件解決後、毎回、オフィスの机の引き出しから甘いチョコバーなどを取りだし、一口かじり、「あ~、あ~、うっふ~ん」ともだえる。この意外性がハマる(笑)。ジュリア・ロバーツにもちょい似た風貌。そういうママである。


 そして、きわめつけの先生。ネイディーンの高校の担任の教師。よくあるぼんやり禿げの中年男。しかし、これをウディ・ハレルソンがやるとなると、思わず膝を乗り出す。思えば、スタインフェルドに対抗できるのは、彼だけ。しかも、高校教師という、「最も似合わない」(爆)役。

勝手にハジけて傷ついたネイディーンが、最後の頼みの綱として連絡した教師。ドーナツショップの椅子に座って待つネイディーンを迎えにいく。店を出がけに、「ドーナツは買ったか?」。「ううん」と首を横に振るネイディーン。なにも買わずに店で待っていたのである。教師は「しゃーないな」という顔を一瞬して、ショップのレジ近くに置いてある「寄付の瓶」にお札を突っ込んでから出ていく。いや~おとな! おとなはこうあるべき。そんなハレルソンをもっと見ていたい!ティーンの映画ながら、渋いおとなの男の映画でもある(笑)。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『メッセージ』──ソシュールもびっくり(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2016年、原題『ARRIVAL』)

 

 地球外から「宇宙人」が来た場合、スピルバーグの『未知との遭遇』までは、ひたすら「侵略者」で、いかに戦うかが問題であった。しかし、スピルバーグが、「宇宙人」は、地球人から見たら「異形」なれど、友好の気持ちがあり、コミュニケート可能であることを示した。さらに驚いたことに、過去に死亡したと思われた人々がおおぜい、宇宙船からぞろぞろと戻って来た──。本作は、これとほぼ同一の「物語」を当てている。「未知との遭遇」の場合のコミュニケート手段は、「音階」であった。しかし本作は、そう簡単にはいかず、一流言語学者が、軍から呼び出される。この言語学者を、大きな眼差しが「口ほどにものをいう」、やさしいイメージのエイミー・アダムスが演じている。

 この学者が、実に、ソシュール然とした知性と論理と技術を持っていて、それを駆使して、「未確認飛来生物」とコンタクトするのである。この「未確認飛来生物」の、乗り物(『未知との遭遇』では、すばらしく美しい円盤であったが)、姿、言語の表現方法が、まったくのオリジナルで度肝を抜く。

 そして、やはり『未知との遭遇』のように、身近な死者とも関係していることをほのめかす。そして、なんとなく、時間のとらえ方や映像が、タルコフスキー『惑星ソラリス』も彷彿とさせる。おそらくは、それら、SFの名作へのオマージュでもあるのだろう。

 

 さて、本作の監督、ドゥニ・ヴィルヌーブといえば、『プリズナー』から始まって、『複製された男』、『ボーダーライン』と、たて続けに、意欲作を発表し、それらはすべて観て、いちいちウナらされてきたが、本作はその頂点にあるように思われる。ゆえに、次回作『ブレードランナー2049』も、期待される。しかし、その予告篇を観たかぎりでは、本作の方がすぐれているようにも思われる。なんせ、オリジナル『ブレードランナー』に頼りすぎているような気もするからだ。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

10年前のケイシー・アフレック [映画レビュー]

10年前に初めて、ケイシー・アフレックを見て、すごいと思った。その記録があった。彼は、その後も、いろいろ注目されながら、「やっと」、大輪の花を咲かせた。ブレない男。

 

*****

Yahoo! 映画より。

 

『ジェシー・ジェームズの暗殺』 (2007)

THE ASSASSINATION OF JESSE JAMES BY THE COWARD ROBERT FORD

監督アンドリュー・ドミニク

 

「ケイシー・アフレックがブラピを食っていた」(★★★★)

山下晴代 さん 2008年1月17日 3時37分 

 

原題は、『臆病ロバート・フォードによるジェシー・ジェームズの暗殺』……なにやら演劇のような題である。もしかしたら、舞台劇であったものかもしれない。

 19世紀アメリカに実在した「人気者の悪党」と、彼を暗殺した手下の、「歴史的な」できごとを、一巻の映画にしたてた。荒涼とした土地で演じられる、冷えた心理劇……。大味で脳天気なアメリカ映画が多いが、たまにはこうした、ていねいな作りの作品もいいだろう。作り手側の心意気はわかる。しかし、惜しむらくは、名作とはいいきれない欠点がいくつかある。

 1、主役の悪党=ブラピが全然魅力的に見えない。

 2、芸術への色気か、作品が長すぎる。

 3、内容を言葉で説明しすぎている。

 

 以上のような欠点はあるが、導入部の、荒涼とした土地に夜汽車が入ってくるシーンはとても美しいことと、「助演」のケイシー・アフレック(ベン・アフレックの弟)が魅力的であることが本作を星三つ域から脱出させている。

 とくにケイシー・アフレックは、本来なら、主役の悪党を暗殺する卑劣な男なのだろうが、困ったことに彼の方が魅力的なのである(笑)。ま〜、ブラピは、トシのせいか(44才だが、34才を演じていた)、アフレック(32才だが、19才を演じていた!)に完全に食われてましたね。アフレックの、バカを装った純な男の複雑さを表現する「視線」の演技は、見るに価する。よって、「妥協の」星四つ!

 

 あ、でも、やはり、「腐ってもブラピ」ということはある。全然魅力的に見えないとはいえ、やはりこの役はブラピが演じたからこそ、荒涼とした土地に観客の視線を集めえたとも言える。

 だからまあ、「妥当の」星四つか。


 


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』──稀有な俳優、ケイシー・アフレック (★★★★★) [映画レビュー]

『マンチェスター・バイ・シー』(ケネス・ロナーガン監督、2016年、原題『MANCHESTER BY THE SEA』)

 

 予告編で、急死した兄の遺言を預かっている弁護士が、甥の後見人を兄に指名された内容を言ったあと、躊躇を見せている主人公のケイシー・アフレックをなだめ、「あんたの経験は想像を絶する」(からしかたないんだ、そういう態度になるのも)と言う。その場面はかなり短かったが、「想像を絶する」という経験がいったいなんなのか、どきどきした。

 強盗に襲われて一家を惨殺されたとか……。しかし、物語はそういうものものしさは選ばず、確かに酷い出来事ではあるが、ある意味静かな事件であった。主人公の落ち度のため、幼子3人を寝かした2階の部屋の暖炉の火が飛んで(それを防ぐために、普通はカバーのようなものをするらしいが、主人公はそれを忘れて買い物に出た。それは自分が飲むためのビールであり、すでに彼は非常に酔っていたというのは、おおぜいの友だちを返したあとだったから)、家が全焼、1階に寝ていた病気だった妻は、かろうじて外へ脱出。「なかに子どもがいるのよー!」と叫んでも、あえて火の海に彼女を放つ消防士はいない。そこへケイシーが帰って来る。酔いもぶっ飛び、呆然。しかし、なぜか、買い物のレジ袋だけは握りしめたままだ。そういう時はそういうものだ。映画は、そんなディテールを静かに重ねていく──。

 はじめ、事件を知らなくて見ているわけだが、男は兄と船遊びをして家に帰ってくると、妻は病気でベッドで雑誌を読んでいて、彼は次々子どもに挨拶をしていく、一人の女の子、もう一人の女の子、そしてまだ赤ん坊で、ベッドで寝ている男の子と、子だくさんだなーという印象。とりたてて文学シュミがあるとか、インテリというわけでもない、どちかといえば、肉体的な男。そんな男が、三児を一度に無残なしかたで失い、心が壊れる。当然、妻も心が壊れ、二人は別れる──。

 はじめに戻れば、持病の心臓病を持っていた兄の死は、主人公の「想像を絶する」経験を引き出すための伏線のようなものである。彼が後見人となる、父を失った甥も、遠景へと退いていく。ケイシー・アフレックは全身で、ある男がいかに傷ついたかだけを演じる。とくに彼の肩と、目つき。ケイシー・アフレックから厳しい菜食主義者、Vegan(ヴィーガン)という言葉を知った。彼は幼いとき動物を虐待したくないと決心してヴィーガンになったという。その筋金入りのまなざしが、兄のベンとはまったく違う色合いを帯びる。稀有という言葉は、彼のためにこそある。俳優とは、まったく地味な職業である。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

『カフェ・ソサエティ』──おもろうてやがて眠たきアレンかな(★★★★★) [映画レビュー]

『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン監督、2016年、原題『CAFE SOCIETY』)

 

 ハリウッドでプロデューサーとして成功した叔父を、怪優、スティーヴ・カレルが、またして「なりきり」であるが、これがどうみても、ドリフターズの荒井注にしか見えず、しかも、本作ヒロイン、猫目のクリステン・スチュワートが猫にしか見えず、お相手、世間知らずのボビー、ジェシー・アインゼンバーグが、やはりネズミに見えてしまって──(笑)。

 確かに世界はユダヤ人によって作られている、よいも悪いもユダヤ人。そこをいつも通り、皮肉かつ冷静に見つめるウッディ・アレンの反骨精神は衰えず。

 一家なんだけど、それぞれがマチマチというところがおもしろい。まずボビーなる世間知らずの青年がいて、その母親が皮肉屋で、いつも夫のことは馬鹿よばわり、ハリウッドで成功しているとかいう弟のところへ電話をかける。「ローズだけど」「ローズ?」「あんたの姉の」「ああ。ここの番号どこで知った?」「メイドから聞いたのよ。息子のボビーが訪ねていくのでなんか仕事を紹介してあげて」

 ボビーは三人兄弟で、姉と兄がいて、兄はなんとギャングなんだが、家族は実業家と思っている。姉だけが事情を知っているような気配。隣人がラジオの音を大きくしていて、姉の夫(共産主義者のインテリ)が注意したら、逆ギレして「おまえんちの犬を撃ってやる!」姉は頭痛がしてギャングの弟に「注意して」と相談する。弟は、「いつもやってるように」、その隣人を殺してコンクリート詰めにしてしまう。

 一方、末っ子のボビーは、叔父に身の回りの雑用係としての仕事を与えられ、美人秘書のヴェロニカ、通称ヴォニーに一目惚れ。実はヴォニーは叔父の愛人で……は、よくある話。「いろいろあったが」、やっぱりヴォニーは、妻と別れた叔父と結婚し、ボニーはニューヨークへ帰るも、兄と「カフェ・ソサエティ」を共同経営する。兄は悪事が発覚し、死刑になる。しかし、一家は、兄の葬式をすませても平然としている。そこから何も話は発展しない。

 要するに、ボビーだけが、出世(兄のカフェを継ぐ)して、金持ちになり、もうひとりのヴェロニカ、ブレイク・ライブリー扮する美女と結婚して子供ももうけるが、再会した「前のヴェロニカ」が忘れられず、秘密の逢瀬。「二人のヴェロニカ」でも、第二のヴェロニカのライブリーはやや役不足。なんのことはない、ボビーと第一のヴェロニカの恋が色濃く全面に出て、あっという間に終わる。お互いを思いつつふっと遠い目のヴェロニカとボビーを交互に映し、寝落ちした瞬間(爆)、「いけねっ」と思って目を開けたら、エンドクレジットが流れていた──(爆)。

 どーなんですか? これ。前半はなかなか皮肉が効いておもしろかったけど、後半、ただの「ラ・ラ・ランド」になっていて……(笑)。「老体でもすごい」のか「やっぱり老体」なのか。しかし、あの黄色のレポート用紙に、ベッドに腰かけて、さらさらと脚本を書いてしまう様子を浮かべると、やはり私淑のアレンだった(笑)。クリステンがシャネルのCMに起用されているので、衣装提供はシャネルでした。私も以前、つられて、マスカラとライナーを買ってしまいました(ほとんど使ってないんですが(笑))。

 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『フリー・ファイヤー』──ヌーボーロマンのハードボイルド(★★★★★) [映画レビュー]

『フリー・ファイヤー』ベン・ウィートリー監督、2016年、原題『FREE FIRE』)

 

 とある70年代、どーでもいいギャングたちが、どーでもいい銃取引を、場末の廃工場(それはのちに、傘製造工場とわかる)で、することになった。南アフリカから来た、高級スーツのオッサンやら、元ブラックパンサーの黒人やら、アイルランドの元闘士風やら、190センチ超のダテ男やら、そんなにアバズレには見えない女ギャングやら……。そして、どーでもいいような「下っ端」に見えたもの同士が、前にケンカしていたことがわかり、そのケンカの続きが、銃取引が無事すんだと思われた時点から始まってしまって、これが、だんだんエスカレートして、廃工場は銃撃戦の場所と化し、おまけに、スナイパーまで登場して、でもそのスナイパーは、元ブラックパンサーが雇っていたやつららしく──。

 

 美丈夫、アーミー・ハマーの、ナルシストぶりとか、キリアン・マーフィーの、クールなガンさばきとか、ブリー・ラーソンの、確かに『ルーム』の時とは完全に違った役柄なれど、どこかに、かわいらしさを残していたりとか、昔の「撃ち合いモノ」にはなかったキャスティングが新鮮である。しかし、あくまで、70年代なんで、「カーステレオ」から流れる曲は、ジョン・デンバーの妙に明るい間抜けた曲。撃てども撃てども、弾は当たっているのに、急所には当たらない? みんななかなか死なないなと思っていると、後半どんどん死んでいく。食事の約束をしていた二人、マーフィーとラーソンが残り、マーフィーは地面に倒れたまま瀕死の傷を負っている? 足を引きずりながらラーソンが金の入った鞄を取り、「食事の約束、できなかったわね」とかなんとかマーフィーに言う。「ま、いいさ」とマーフィーは言い、ラーソンは、ちょっとすまなそうな顔をして去っていく──。ラーソンがふと後ろを振り返り……恐怖の表情に変わる。暗転。パトカーのサイレンの音。彼女が見たものは誰か? 

 

 場面はほとんど、その廃工場だけ。なんなの、これ? はい、ヌーボーロマンのハードボイルドです。





nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『T2 トレインスポッティング 』──懲りない面々の脱青春映画……2!(★★★★★) [映画レビュー]

『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督、2017年、原題『T2 TRAINSPOTTING』)

 

 吉田健一によれば、ヨーロッパ人にとってのヨーロッパとは、故郷のなじんだ風景以外のなにものでもないそうで、それは当然、それぞれに違う。それを思い出させてくれる、スコットランドはエンジンバラを故郷に持つ、ワルガキ4人。コネなし、カネなし、学歴なしで、「選べる人生」なんかなくて、なんとなく、ドラッグにハマった彼らの、人生が、それほど楽しいわけもない──。前作は、ドラッグ中毒の画像──便器の中からなにか流れ出てくるような──が印象的だった。坊主で童顔のガキンチョ、ユアン・マクレガーはその後、りっぱなスターになった……でも、童顔が相変わらずで、前作の表情のまま出てくるのは、さすがヨーロッパ人だ。金を持ち逃げして、オランダに逃亡、そこで、結婚し、まともな人生を始めたが……、やはり躓いて、故郷のエジンバラに戻ってみれば、「エジンバラにようこそ!」と観光ビラを配ってるオネーチャンの出身地を聞けば、東欧のどっかの国だった(笑)。

 20年経っても、昔の仲間は相変わらず、全然まっとうになっていなかった──(笑)。しかし、今回、へたれのスパッドに文才があることがわかり、一編は、スパッドの語りのなかに収束する。ステレオタイプの青春モノに、すっぽり収まった、『アメリカン・グラフィティ』という映画があったが、こちらは、『スコティッシュ・グラフィティ』で、しかも、まっとうな物語にはどうにも収まらない。脱構築し続けてゆくことが青春か。とまあ、「脱構築」なる言葉も、実は、アメリカ人が考えたとか。

 ダニー・ボイルの作品は、音楽がすばらしい。ユアン・マクレガーが20年ぶりに戻った自分の部屋で、前作の曲を「レコード」で、かけようとして、盤に針を置くが、すぐにやめる。いろいろあって、最後に「やっぱり」かける。音楽に合わせ、ユアンは、ゆっくり踊り出す……ジ・エンド。すばらしい幕切れ。当然、サントラは、iTune Store で即買いで、毎日犬の散歩はT2な日々だ(爆)。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『午後8時の訪問者 』──絶対的善人(★★★★★) [映画レビュー]

『午後8時の訪問者』(ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌ監督、2016年、原題『 LA FILLE INCONNUE/THE UNKNOWN GIRL』)


 

 ダルデンヌ兄弟の映画には、悪人は出てこない。物語のなかで、「悪役」側にまわる人々がいるが、それは人間的な弱さゆえに、「善」でいられないのだ。そして、「絶対的善人」が登場するが、それは、普通の映画ではまれな、まして、人が殺されるような状況の映画では、決して存在しないような人物である。


 事実、本作でも、実は、殺人事件はない。というのも、どうも、「死んでいた少女」は、自ら足を滑らせ川に落ちたようなのだ。誰かから逃げていたのだが、この誰かが、一応「犯人」ということになるが、その「犯人」さえ、殺意はなく、実際殺してもいない。その「犯人」は、ある少年の父親で、少女が娼婦と知って、わざわざ車を降りて追いかけたのだ。なぜ? ただ「客」になりたかったのだろう。その男の、ティーンエージャーの入り口にいる年齢と見える息子は、病弱で、医院の待合室で「てんかん」のような発作を起こす。医師のジェニー(女)は適切に処理する。研修医のジュリアン(男)は、指導のジェニーに言われた処置をすぐにすることができず、ただひきつけを起こす少年を、おろおろと見下ろすだけだった(それには、少年時に虐待されたトラウマがあったことを、のちになって彼はジェニーに告白する)。ジュリアンはなにかとジェニーに意見される、できの悪い研修生のようだ。その夜、ちょうど診療時間が終わった午後8時、診療所のドアベルが鳴るが、出ようとするジュリアンに対して、「もう診療時間は終わっているから」と、ジェニーは、ドアを開けることを禁じる。


 翌日、刑事が訪ねてきて、近くの川辺で、少女の遺体が発見されたと知らされ、防犯カメラの写真を見せられる。そう、前日、午後8時にドアホンを押すのが、医院の防犯カメラに写っていた人物だ。


 その人物は、アフリカ系の少女だった──。そこから、さまざまな社会的問題があぶり出される。ダルデンヌ兄弟の目的はここにある。ひとつの「遺体」を通して、その「関係者」たちを追っていく。そのひとりが、女医のジェニーで、彼女は、ドアを開けなかった罪悪感から、遺体の少女の家族を捜したり、「無縁仏」(笑、仏教とはかぎらないが)用の墓地を借りたりする。自分には医師の資格はないと田舎へ帰ったジュリアンの前途を断ってしまったとも感じ、彼をも追っていく。そのほか、田舎町の医療事情に私欲を抑えて貢献しようと、大病院の医師への道をコース変えして、苦労の多い診療所の老医師の跡を継ぐ。


 ジェニーは絶対的善人である。その真剣なまなざしを、「天才」と言われる、アデル・エネルが淡々と演じる。不良どもに脅されても、まったく動じないわけではないが、かろうじてでも耐え抜く。華やかさとも、浮いた話とも無縁で、今与えられた状況に立ち向かっていく。やがて、彼女の周囲の、悪の側に行きそうな弱い人間たちも、それとなくほだされていく。だがそこに、ハリウッド映画のヒロインのようなかっこよさも、カタルシスもない。場所がフランスにしろベルギーにしろ、要するにヨーロッパの田舎町で、アフリカ系の人々の「底辺」へと堕ちざる得ない状況をさりげなく提示し、「善」の必要性を小さな声で主張する。音楽にも五つ星をつけたものの、音楽はない……しかし、ジェニーのためのオリジナルソングが存在する。アデル・エネルは、ぶっきらぼうなセリフと真摯なまなざしと無垢な表情で、女優であることを完全に忘れさせる。

 

 



nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画
前の10件 | - 映画レビュー ブログトップ
メッセージを送る