So-net無料ブログ作成
検索選択
映画レビュー ブログトップ
前の10件 | -

『スウィート17モンスター』──渋いおとなの男の映画でもある(笑)(★★★★) [映画レビュー]

 『スウィート17モンスター』( ケリー・フレモン・クレイグ監督、2016年、原題『THE EDGE OF SEVENTEEN』)



『トゥルー・グリット』のヘイリー・スタインフェルドはもう20歳の「おとな」。それがちょっと「幼い」役を演じる。『トゥルー・グリット』では、14歳にしてアカデミー賞ノミネートで注目を浴び、「ファッションにすごく興味がある」と言っていたのが印象的で、本作でも、まさに「ぴったり」の、背伸びしすぎないカジュアル(とくにスニーカー!)ファッションが健康的で品がある。肌の露出は、一般的な同年ティーンエージャー、アメリカ娘と比較するに、かなり少ないと思われる。変人こじれ娘の唯一の親友は、顔もスタイルも、ヒロインより「ちょい落ち」はお約束か(笑)? スタインフェルドの方が、背は高いし、スタイルもよく、だんぜんかわいいのであるが、この「凡庸な風貌」の親友が、ヒロインの、イケメン+人柄よしの兄と恋に落ちる。途中、アジア系の同級生男子が出てくるが、大金持ちの子息らしいこの男子もさることながら、ヒロイン、ネイディーンの家にも「プールぐらいはある」。パパは死んでも、中流維持。そんな恵まれた環境での「こじらせ」青春である。こんな幸せな青春が送れる少女たちが、いまのアメリカにいったい何%ぐらいいるのか? それでも、「等身大」のこうしたドラマは人々を癒す。


 しかし、注目は、ママ役の、キーラ・セジウィックである。ケビン・ベーコン(べつに変態ではなく(笑)、素は知的な雰囲気のようです)夫人のこの女優、テレビ・シリーズの『クローザー』で人気。私もAmazonでDVDを買って観た。FBIの凄腕捜査官の淑女が甘い物フェチで、事件解決後、毎回、オフィスの机の引き出しから甘いチョコバーなどを取りだし、一口かじり、「あ~、あ~、うっふ~ん」ともだえる。この意外性がハマる(笑)。ジュリア・ロバーツにもちょい似た風貌。そういうママである。


 そして、きわめつけの先生。ネイディーンの高校の担任の教師。よくあるぼんやり禿げの中年男。しかし、これをウディ・ハレルソンがやるとなると、思わず膝を乗り出す。思えば、スタインフェルドに対抗できるのは、彼だけ。しかも、高校教師という、「最も似合わない」(爆)役。

勝手にハジけて傷ついたネイディーンが、最後の頼みの綱として連絡した教師。ドーナツショップの椅子に座って待つネイディーンを迎えにいく。店を出がけに、「ドーナツは買ったか?」。「ううん」と首を横に振るネイディーン。なにも買わずに店で待っていたのである。教師は「しゃーないな」という顔を一瞬して、ショップのレジ近くに置いてある「寄付の瓶」にお札を突っ込んでから出ていく。いや~おとな! おとなはこうあるべき。そんなハレルソンをもっと見ていたい!ティーンの映画ながら、渋いおとなの男の映画でもある(笑)。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『メッセージ』──ソシュールもびっくり(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2016年、原題『ARRIVAL』)

 

 地球外から「宇宙人」が来た場合、スピルバーグの『未知との遭遇』までは、ひたすら「侵略者」で、いかに戦うかが問題であった。しかし、スピルバーグが、「宇宙人」は、地球人から見たら「異形」なれど、友好の気持ちがあり、コミュニケート可能であることを示した。さらに驚いたことに、過去に死亡したと思われた人々がおおぜい、宇宙船からぞろぞろと戻って来た──。本作は、これとほぼ同一の「物語」を当てている。「未知との遭遇」の場合のコミュニケート手段は、「音階」であった。しかし本作は、そう簡単にはいかず、一流言語学者が、軍から呼び出される。この言語学者を、大きな眼差しが「口ほどにものをいう」、やさしいイメージのエイミー・アダムスが演じている。

 この学者が、実に、ソシュール然とした知性と論理と技術を持っていて、それを駆使して、「未確認飛来生物」とコンタクトするのである。この「未確認飛来生物」の、乗り物(『未知との遭遇』では、すばらしく美しい円盤であったが)、姿、言語の表現方法が、まったくのオリジナルで度肝を抜く。

 そして、やはり『未知との遭遇』のように、身近な死者とも関係していることをほのめかす。そして、なんとなく、時間のとらえ方や映像が、タルコフスキー『惑星ソラリス』も彷彿とさせる。おそらくは、それら、SFの名作へのオマージュでもあるのだろう。

 

 さて、本作の監督、ドゥニ・ヴィルヌーブといえば、『プリズナー』から始まって、『複製された男』、『ボーダーライン』と、たて続けに、意欲作を発表し、それらはすべて観て、いちいちウナらされてきたが、本作はその頂点にあるように思われる。ゆえに、次回作『ブレードランナー2049』も、期待される。しかし、その予告篇を観たかぎりでは、本作の方がすぐれているようにも思われる。なんせ、オリジナル『ブレードランナー』に頼りすぎているような気もするからだ。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

10年前のケイシー・アフレック [映画レビュー]

10年前に初めて、ケイシー・アフレックを見て、すごいと思った。その記録があった。彼は、その後も、いろいろ注目されながら、「やっと」、大輪の花を咲かせた。ブレない男。

 

*****

Yahoo! 映画より。

 

『ジェシー・ジェームズの暗殺』 (2007)

THE ASSASSINATION OF JESSE JAMES BY THE COWARD ROBERT FORD

監督アンドリュー・ドミニク

 

「ケイシー・アフレックがブラピを食っていた」(★★★★)

山下晴代 さん 2008年1月17日 3時37分 

 

原題は、『臆病ロバート・フォードによるジェシー・ジェームズの暗殺』……なにやら演劇のような題である。もしかしたら、舞台劇であったものかもしれない。

 19世紀アメリカに実在した「人気者の悪党」と、彼を暗殺した手下の、「歴史的な」できごとを、一巻の映画にしたてた。荒涼とした土地で演じられる、冷えた心理劇……。大味で脳天気なアメリカ映画が多いが、たまにはこうした、ていねいな作りの作品もいいだろう。作り手側の心意気はわかる。しかし、惜しむらくは、名作とはいいきれない欠点がいくつかある。

 1、主役の悪党=ブラピが全然魅力的に見えない。

 2、芸術への色気か、作品が長すぎる。

 3、内容を言葉で説明しすぎている。

 

 以上のような欠点はあるが、導入部の、荒涼とした土地に夜汽車が入ってくるシーンはとても美しいことと、「助演」のケイシー・アフレック(ベン・アフレックの弟)が魅力的であることが本作を星三つ域から脱出させている。

 とくにケイシー・アフレックは、本来なら、主役の悪党を暗殺する卑劣な男なのだろうが、困ったことに彼の方が魅力的なのである(笑)。ま〜、ブラピは、トシのせいか(44才だが、34才を演じていた)、アフレック(32才だが、19才を演じていた!)に完全に食われてましたね。アフレックの、バカを装った純な男の複雑さを表現する「視線」の演技は、見るに価する。よって、「妥協の」星四つ!

 

 あ、でも、やはり、「腐ってもブラピ」ということはある。全然魅力的に見えないとはいえ、やはりこの役はブラピが演じたからこそ、荒涼とした土地に観客の視線を集めえたとも言える。

 だからまあ、「妥当の」星四つか。


 


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』──稀有な俳優、ケイシー・アフレック (★★★★★) [映画レビュー]

『マンチェスター・バイ・シー』(ケネス・ロナーガン監督、2016年、原題『MANCHESTER BY THE SEA』)

 

 予告編で、急死した兄の遺言を預かっている弁護士が、甥の後見人を兄に指名された内容を言ったあと、躊躇を見せている主人公のケイシー・アフレックをなだめ、「あんたの経験は想像を絶する」(からしかたないんだ、そういう態度になるのも)と言う。その場面はかなり短かったが、「想像を絶する」という経験がいったいなんなのか、どきどきした。

 強盗に襲われて一家を惨殺されたとか……。しかし、物語はそういうものものしさは選ばず、確かに酷い出来事ではあるが、ある意味静かな事件であった。主人公の落ち度のため、幼子3人を寝かした2階の部屋の暖炉の火が飛んで(それを防ぐために、普通はカバーのようなものをするらしいが、主人公はそれを忘れて買い物に出た。それは自分が飲むためのビールであり、すでに彼は非常に酔っていたというのは、おおぜいの友だちを返したあとだったから)、家が全焼、1階に寝ていた病気だった妻は、かろうじて外へ脱出。「なかに子どもがいるのよー!」と叫んでも、あえて火の海に彼女を放つ消防士はいない。そこへケイシーが帰って来る。酔いもぶっ飛び、呆然。しかし、なぜか、買い物のレジ袋だけは握りしめたままだ。そういう時はそういうものだ。映画は、そんなディテールを静かに重ねていく──。

 はじめ、事件を知らなくて見ているわけだが、男は兄と船遊びをして家に帰ってくると、妻は病気でベッドで雑誌を読んでいて、彼は次々子どもに挨拶をしていく、一人の女の子、もう一人の女の子、そしてまだ赤ん坊で、ベッドで寝ている男の子と、子だくさんだなーという印象。とりたてて文学シュミがあるとか、インテリというわけでもない、どちかといえば、肉体的な男。そんな男が、三児を一度に無残なしかたで失い、心が壊れる。当然、妻も心が壊れ、二人は別れる──。

 はじめに戻れば、持病の心臓病を持っていた兄の死は、主人公の「想像を絶する」経験を引き出すための伏線のようなものである。彼が後見人となる、父を失った甥も、遠景へと退いていく。ケイシー・アフレックは全身で、ある男がいかに傷ついたかだけを演じる。とくに彼の肩と、目つき。ケイシー・アフレックから厳しい菜食主義者、Vegan(ヴィーガン)という言葉を知った。彼は幼いとき動物を虐待したくないと決心してヴィーガンになったという。その筋金入りのまなざしが、兄のベンとはまったく違う色合いを帯びる。稀有という言葉は、彼のためにこそある。俳優とは、まったく地味な職業である。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

『カフェ・ソサエティ』──おもろうてやがて眠たきアレンかな(★★★★★) [映画レビュー]

『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン監督、2016年、原題『CAFE SOCIETY』)

 

 ハリウッドでプロデューサーとして成功した叔父を、怪優、スティーヴ・カレルが、またして「なりきり」であるが、これがどうみても、ドリフターズの荒井注にしか見えず、しかも、本作ヒロイン、猫目のクリステン・スチュワートが猫にしか見えず、お相手、世間知らずのボビー、ジェシー・アインゼンバーグが、やはりネズミに見えてしまって──(笑)。

 確かに世界はユダヤ人によって作られている、よいも悪いもユダヤ人。そこをいつも通り、皮肉かつ冷静に見つめるウッディ・アレンの反骨精神は衰えず。

 一家なんだけど、それぞれがマチマチというところがおもしろい。まずボビーなる世間知らずの青年がいて、その母親が皮肉屋で、いつも夫のことは馬鹿よばわり、ハリウッドで成功しているとかいう弟のところへ電話をかける。「ローズだけど」「ローズ?」「あんたの姉の」「ああ。ここの番号どこで知った?」「メイドから聞いたのよ。息子のボビーが訪ねていくのでなんか仕事を紹介してあげて」

 ボビーは三人兄弟で、姉と兄がいて、兄はなんとギャングなんだが、家族は実業家と思っている。姉だけが事情を知っているような気配。隣人がラジオの音を大きくしていて、姉の夫(共産主義者のインテリ)が注意したら、逆ギレして「おまえんちの犬を撃ってやる!」姉は頭痛がしてギャングの弟に「注意して」と相談する。弟は、「いつもやってるように」、その隣人を殺してコンクリート詰めにしてしまう。

 一方、末っ子のボビーは、叔父に身の回りの雑用係としての仕事を与えられ、美人秘書のヴェロニカ、通称ヴォニーに一目惚れ。実はヴォニーは叔父の愛人で……は、よくある話。「いろいろあったが」、やっぱりヴォニーは、妻と別れた叔父と結婚し、ボニーはニューヨークへ帰るも、兄と「カフェ・ソサエティ」を共同経営する。兄は悪事が発覚し、死刑になる。しかし、一家は、兄の葬式をすませても平然としている。そこから何も話は発展しない。

 要するに、ボビーだけが、出世(兄のカフェを継ぐ)して、金持ちになり、もうひとりのヴェロニカ、ブレイク・ライブリー扮する美女と結婚して子供ももうけるが、再会した「前のヴェロニカ」が忘れられず、秘密の逢瀬。「二人のヴェロニカ」でも、第二のヴェロニカのライブリーはやや役不足。なんのことはない、ボビーと第一のヴェロニカの恋が色濃く全面に出て、あっという間に終わる。お互いを思いつつふっと遠い目のヴェロニカとボビーを交互に映し、寝落ちした瞬間(爆)、「いけねっ」と思って目を開けたら、エンドクレジットが流れていた──(爆)。

 どーなんですか? これ。前半はなかなか皮肉が効いておもしろかったけど、後半、ただの「ラ・ラ・ランド」になっていて……(笑)。「老体でもすごい」のか「やっぱり老体」なのか。しかし、あの黄色のレポート用紙に、ベッドに腰かけて、さらさらと脚本を書いてしまう様子を浮かべると、やはり私淑のアレンだった(笑)。クリステンがシャネルのCMに起用されているので、衣装提供はシャネルでした。私も以前、つられて、マスカラとライナーを買ってしまいました(ほとんど使ってないんですが(笑))。

 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『フリー・ファイヤー』──ヌーボーロマンのハードボイルド(★★★★★) [映画レビュー]

『フリー・ファイヤー』ベン・ウィートリー監督、2016年、原題『FREE FIRE』)

 

 とある70年代、どーでもいいギャングたちが、どーでもいい銃取引を、場末の廃工場(それはのちに、傘製造工場とわかる)で、することになった。南アフリカから来た、高級スーツのオッサンやら、元ブラックパンサーの黒人やら、アイルランドの元闘士風やら、190センチ超のダテ男やら、そんなにアバズレには見えない女ギャングやら……。そして、どーでもいいような「下っ端」に見えたもの同士が、前にケンカしていたことがわかり、そのケンカの続きが、銃取引が無事すんだと思われた時点から始まってしまって、これが、だんだんエスカレートして、廃工場は銃撃戦の場所と化し、おまけに、スナイパーまで登場して、でもそのスナイパーは、元ブラックパンサーが雇っていたやつららしく──。

 

 美丈夫、アーミー・ハマーの、ナルシストぶりとか、キリアン・マーフィーの、クールなガンさばきとか、ブリー・ラーソンの、確かに『ルーム』の時とは完全に違った役柄なれど、どこかに、かわいらしさを残していたりとか、昔の「撃ち合いモノ」にはなかったキャスティングが新鮮である。しかし、あくまで、70年代なんで、「カーステレオ」から流れる曲は、ジョン・デンバーの妙に明るい間抜けた曲。撃てども撃てども、弾は当たっているのに、急所には当たらない? みんななかなか死なないなと思っていると、後半どんどん死んでいく。食事の約束をしていた二人、マーフィーとラーソンが残り、マーフィーは地面に倒れたまま瀕死の傷を負っている? 足を引きずりながらラーソンが金の入った鞄を取り、「食事の約束、できなかったわね」とかなんとかマーフィーに言う。「ま、いいさ」とマーフィーは言い、ラーソンは、ちょっとすまなそうな顔をして去っていく──。ラーソンがふと後ろを振り返り……恐怖の表情に変わる。暗転。パトカーのサイレンの音。彼女が見たものは誰か? 

 

 場面はほとんど、その廃工場だけ。なんなの、これ? はい、ヌーボーロマンのハードボイルドです。





nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『T2 トレインスポッティング 』──懲りない面々の脱青春映画……2!(★★★★★) [映画レビュー]

『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督、2017年、原題『T2 TRAINSPOTTING』)

 

 吉田健一によれば、ヨーロッパ人にとってのヨーロッパとは、故郷のなじんだ風景以外のなにものでもないそうで、それは当然、それぞれに違う。それを思い出させてくれる、スコットランドはエンジンバラを故郷に持つ、ワルガキ4人。コネなし、カネなし、学歴なしで、「選べる人生」なんかなくて、なんとなく、ドラッグにハマった彼らの、人生が、それほど楽しいわけもない──。前作は、ドラッグ中毒の画像──便器の中からなにか流れ出てくるような──が印象的だった。坊主で童顔のガキンチョ、ユアン・マクレガーはその後、りっぱなスターになった……でも、童顔が相変わらずで、前作の表情のまま出てくるのは、さすがヨーロッパ人だ。金を持ち逃げして、オランダに逃亡、そこで、結婚し、まともな人生を始めたが……、やはり躓いて、故郷のエジンバラに戻ってみれば、「エジンバラにようこそ!」と観光ビラを配ってるオネーチャンの出身地を聞けば、東欧のどっかの国だった(笑)。

 20年経っても、昔の仲間は相変わらず、全然まっとうになっていなかった──(笑)。しかし、今回、へたれのスパッドに文才があることがわかり、一編は、スパッドの語りのなかに収束する。ステレオタイプの青春モノに、すっぽり収まった、『アメリカン・グラフィティ』という映画があったが、こちらは、『スコティッシュ・グラフィティ』で、しかも、まっとうな物語にはどうにも収まらない。脱構築し続けてゆくことが青春か。とまあ、「脱構築」なる言葉も、実は、アメリカ人が考えたとか。

 ダニー・ボイルの作品は、音楽がすばらしい。ユアン・マクレガーが20年ぶりに戻った自分の部屋で、前作の曲を「レコード」で、かけようとして、盤に針を置くが、すぐにやめる。いろいろあって、最後に「やっぱり」かける。音楽に合わせ、ユアンは、ゆっくり踊り出す……ジ・エンド。すばらしい幕切れ。当然、サントラは、iTune Store で即買いで、毎日犬の散歩はT2な日々だ(爆)。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『午後8時の訪問者 』──絶対的善人(★★★★★) [映画レビュー]

『午後8時の訪問者』(ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌ監督、2016年、原題『 LA FILLE INCONNUE/THE UNKNOWN GIRL』)


 

 ダルデンヌ兄弟の映画には、悪人は出てこない。物語のなかで、「悪役」側にまわる人々がいるが、それは人間的な弱さゆえに、「善」でいられないのだ。そして、「絶対的善人」が登場するが、それは、普通の映画ではまれな、まして、人が殺されるような状況の映画では、決して存在しないような人物である。


 事実、本作でも、実は、殺人事件はない。というのも、どうも、「死んでいた少女」は、自ら足を滑らせ川に落ちたようなのだ。誰かから逃げていたのだが、この誰かが、一応「犯人」ということになるが、その「犯人」さえ、殺意はなく、実際殺してもいない。その「犯人」は、ある少年の父親で、少女が娼婦と知って、わざわざ車を降りて追いかけたのだ。なぜ? ただ「客」になりたかったのだろう。その男の、ティーンエージャーの入り口にいる年齢と見える息子は、病弱で、医院の待合室で「てんかん」のような発作を起こす。医師のジェニー(女)は適切に処理する。研修医のジュリアン(男)は、指導のジェニーに言われた処置をすぐにすることができず、ただひきつけを起こす少年を、おろおろと見下ろすだけだった(それには、少年時に虐待されたトラウマがあったことを、のちになって彼はジェニーに告白する)。ジュリアンはなにかとジェニーに意見される、できの悪い研修生のようだ。その夜、ちょうど診療時間が終わった午後8時、診療所のドアベルが鳴るが、出ようとするジュリアンに対して、「もう診療時間は終わっているから」と、ジェニーは、ドアを開けることを禁じる。


 翌日、刑事が訪ねてきて、近くの川辺で、少女の遺体が発見されたと知らされ、防犯カメラの写真を見せられる。そう、前日、午後8時にドアホンを押すのが、医院の防犯カメラに写っていた人物だ。


 その人物は、アフリカ系の少女だった──。そこから、さまざまな社会的問題があぶり出される。ダルデンヌ兄弟の目的はここにある。ひとつの「遺体」を通して、その「関係者」たちを追っていく。そのひとりが、女医のジェニーで、彼女は、ドアを開けなかった罪悪感から、遺体の少女の家族を捜したり、「無縁仏」(笑、仏教とはかぎらないが)用の墓地を借りたりする。自分には医師の資格はないと田舎へ帰ったジュリアンの前途を断ってしまったとも感じ、彼をも追っていく。そのほか、田舎町の医療事情に私欲を抑えて貢献しようと、大病院の医師への道をコース変えして、苦労の多い診療所の老医師の跡を継ぐ。


 ジェニーは絶対的善人である。その真剣なまなざしを、「天才」と言われる、アデル・エネルが淡々と演じる。不良どもに脅されても、まったく動じないわけではないが、かろうじてでも耐え抜く。華やかさとも、浮いた話とも無縁で、今与えられた状況に立ち向かっていく。やがて、彼女の周囲の、悪の側に行きそうな弱い人間たちも、それとなくほだされていく。だがそこに、ハリウッド映画のヒロインのようなかっこよさも、カタルシスもない。場所がフランスにしろベルギーにしろ、要するにヨーロッパの田舎町で、アフリカ系の人々の「底辺」へと堕ちざる得ない状況をさりげなく提示し、「善」の必要性を小さな声で主張する。音楽にも五つ星をつけたものの、音楽はない……しかし、ジェニーのためのオリジナルソングが存在する。アデル・エネルは、ぶっきらぼうなセリフと真摯なまなざしと無垢な表情で、女優であることを完全に忘れさせる。

 

 



nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』──ジャッキーは「オナシス」として記憶される(★★) [映画レビュー]

『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』(パブロ・ラライン監督、 2016年、原題『JACKIE』)


  本作は、ケネディ大統領の、ジャクリーヌ夫人が、大統領が暗殺された日から4日間の、いかに大統領を歴史に残るように、とくに、葬式を「アレンジ」するのに奔走する姿が、夫を失った悲しみと、暗殺というショックのなかでのがんばりとして描かれているが、もともとこんな「事実」(?)があろうがなかろうが、ジョン・F・ケネディは歴史に残っただろうし、誰も、メディアが映し出した葬儀のことなど忘れてしまうし、世代も交代していくから、こんな「演出」などはどうでもいいことなのである。それをさも、意味があるように描いているのは、チリのピノチェト独裁政権への、反信任キャンペーンを請け負った、広告マンの、骨太な活躍を、ガエル・ガルシア・ベルナル主演で描いた前作『NO』も同じことである。こういう「些末な」、事実かどうか知らないが、それはどちらでもよいような事柄に、さも意味があるように焦点を当てているのは、この監督が、なにか大きな勘違いをしているからのようにも思える。


 だいたい、本作の主演のナタリー・ポートマンも、ガエル・ガルシア・ベルナルも、顔は美しいが背が低いという共通点があり、それが、歴史を描くにはなにかもの足りない身体となって現れる。推定身長、ポートマン→158センチ、ベルナル→163センチといったところだろうか。トム・クルーズも同様かもしれないが、クルーズはそれを、オーラのようなものでカバーし、かつ、演出が、「周囲の人物」を、彼の身長にあった、つまり、彼を小さく見せないような俳優陣を選び配していると思われる。


 それをおいても、「ジャッキー」という人物には、人はそれほど共感しないようにも思われる。のちに大富豪のオナシスと再婚し、ジャクリーヌ・オナシスという名で、人々の記憶に留められている女には。一方、ジョン・F・ケネディも、アメリカの歴史には珍しく、左翼的に活躍した人物であるが、どうしても、マリリン・モンローの影がちらつく。


 彼の弟のロバート・ケネディ役の、ピーター・サースガードは、よく演じていたと思うが、当のジョン・F・ケネディが、完全なる脇として、「ジャッキー」のそばに影のように寄り添っているが、こちらは、セリフはほとんどなく、顔は「そっくりさん」であるが、日本人の私には、どうも林家三平(今の三平の父の「どーもすいやせ〜ん」の方)に見えてしょうがなかった(爆)。


 


 


nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

『ムーンライト』──歴史初の繊細さを表現した黒人映画(★★★★★) [映画レビュー]

『ムーンライト』(バリー・ジェンキンズ監督、 2016年、原題『MOONLIGHT』)

 

 確かに日本でも、都会では外国人(外形が明らかに違う、アジア系ではない人々)が結構いるが、地方では、日本人ばかりの地域もあると思う。本作の舞台は、マイアミだそうだから、それほど田舎でもないと思うが、とにかく本作には黒人しか出てこない。これを「黒人コミュニティ」と取るのもよいが、本作が戯曲だったと知って、あるいは、映画化にあたり、「演出」で、全登場人物を黒人にしたのかではないかという考えがめきめきと頭をもたげた。というのも、黒人しかいないのに、主人公のシャロンは、同級生から、「クロ」だの「ニガー」だのと呼ばれ続けている。これは、日本人のコミュティで、イジメの対象の一人を、「ジャップ」だの「イエローモンキー」だの呼ぶことと等しい。自嘲気味の皮肉でそう呼んでいるのかもしれないが、もしかしたら、舞台では、いじめっ子たちは、白人やプエルトリコだったかもしれない──。

 

 さて、全員が黒人映画となると、白人映画をかくも見慣れた日本人たちは、自分たちは白人に属していると、無意識に思い込んでいるフシがあるレビューが多々見られる。

 かつては、南アフリカ共和国で、アパルトヘイト「華やかなりし」頃、日本人は、「名誉白人」なる特別称号をちょうだいして悦に入っていた。まこと、モンキーである(笑)。

 まあ、なんというのかな、白人文化にとっては、白人とカラード(有色人種)にしか分けられないということだ。白人から見たら、日本人だって、本作の映画のように、「異形」の人々である。

 しかし、本作は、『ラビング』のように、黒人差別を扱った映画ではないことは一目瞭然である。なぜなら、差別する白人がどこにもいないからである。

 

 ある(クスリの)売人が登場する。のっけからワルでないことがわかる。ジャンキーたちのたむろする場所にある廃屋を覗いてみると、小学生らしい男の子がいて驚く。やがて、男の子は居場所がなくてそこに来ていることがわかる。少年の母親はヤク中で、彼は同級生から苛められていることがわかる。売人は妻の助けも借りて、その少年を保護し、人生に必要な教訓も与える。少年はおとなしく純真で、それは高校まで維持される。イジメが頂点に達した時、彼は「変身」する。苛酷さが度を超すと、あどけない少年が鬼に変わるのは、『スターウォーズ』のアナキンがダースベーダーに変身するがごとくである。

 かくして、純真な少年は、鬼になり、苛めのリーダーを椅子でぶちのめす。警察に逮捕される。

 その少年は結局、はじめに彼を助けてくれた売人と同じ職業になった。筋肉隆々、フェイク金歯を入れ、首からはゴールドチェーンのネックレス。典型的売人スタイルである。少年、今はおとなの、シャロンは、売人として手下を使いうまくやっていた──。そんなある日、二本の電話がかかってくる。一本は「立ち直り」の施設にいるらしい母親から、もう一本は、かつて苛めグループにはいたが、海岸で心を通わせ、唇を合わせた「ただ一人の友だち」と言えた男から。今は小さなレストランのシェフになっているという。

 売人シャロンは、車を走らせ故郷に帰る。もう一度、自分の生き方を見直すために──。

 

 小学生、高校生、成人と、三人の役者がシャロンを演じているが、どの役者も、これまでのハリウッドの黒人俳優が与えられたようなある意味ステレオタイプの黒人像を超えて、微妙な繊細さを表現していてすばらしい。また、彼の母親役に、イギリス人で、これまでは、『007』のエージェント職員や、『われらが背きし者』では、サエない大学教授役のユアン・マクレガーの、サエてる弁護士の妻など、知的美人の役柄が定着している、ナオミ・ハリスが、あえて、「黒人度」を強調し、「私のようなクズにならないで !」と主人公に泣いて頼む、ヤク中母を熱演している。

 

 


前の10件 | - 映画レビュー ブログトップ
メッセージを送る