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『キングスマン:ゴールデン・サークル』──今年ベスト3(早いか(笑)!)(★★★★★) [映画レビュー]

 

『キングスマン:ゴールデン・サークル 』(マシュー・ヴォーン監督、2017年、原題『KINGSMAN: THE GOLDEN CIRCLE』)

 

 なんたって発想が新しい。死んだはずだよおトミさん〜♪のハリー(コリン・ファース)に拾われ、キングスマンとして教育された、元ストリート・ボーイのエグジー(ターロン・エガートン)が、ほんもののスパイになっていく。ハリーの口癖、Manners make man(マナーが紳士を作る)をモットーに、英国紳士にして悪をやっつけるスパイになっていくのだが、このスパイ組織、「親方ユニオン・ジャック」ではない、つまりは、政府とどこかでつながっている組織ではないところがすばらしい。「キングスマン」は、名前こそ「キング」がついているが、英国製というほどのイミしかない。「女王陛下の007」とは大違いである。私設の組織である。だから、人民を無視する首相は失墜し、彼を補佐していたエイミー・ワトソンに告発される。という、「小さな」スジまである。

 007と大きく違うのは、主役は、若造で、しかもスエーデンの王女と恋に落ちたため、逆タマの、王子にまでなってしまうのである。彼女へ求婚したエグジーは、スエーデンの王と王妃という、「恋人の両親」との食事も、ハリーが教え込んだマナーと、同僚が「秘密の通信」(メガネがコンピュータになっている)で与える知識によって、教養も礼儀作法も王家にふさわしいムコとなるところは痛快である。

 おっと、メインストーリーは、ジュリアン・ムーア扮する、悪の麻薬組織を壊滅させるまでの戦いであるが、この悪の帝王は、今まで男性が演じてきたが、予想されたようなお飾り的存在ではなくて、しっかり堂々と「強敵」なのである。

 テーラーを隠れ簑としている「キングスマン」は、同僚をやられ、マーク・スロング扮する、メカ担当のマーリンと、エグジーしかいなくなって、「最後の非常事態」用のウィスキー試飲部屋に入ってみると、そこには、スコッチはなく、バーボンがあり、瓶の銘柄は、「ステイツマン」とある。いざ、アメリカ、ケンタッキーのバーボン製造所へ!

 ブーツを履いた「ステイツマン」側には、カーボーイなお兄さんたちが待っているが、ここでもスジはそれほど単純ではなく展開する。

 そこには、眼を撃たれ死亡したハリーが生きていて、もとの「キングスマン」リーダーに返り咲く──。なにがおかしいと言って、小技の武器が、007よりエロいのである。そのひとつは、コンドーム型指サックで、エグジーが「フェスでコマした」敵側のオトコの恋人の女の「そこ」へ差し入れると、「粘膜を通した情報」が、ハル・ベリーらのモニターに映し出される。「あら、テキーラ(チャニング・テイタム)もやってたのね、感心!」なんていうセリフまである。

 小柄な体に筋肉をつけたエグジーだが、やはりどこか少年っぽく、そこが魅力で、抜群の運動神経も武器ではあるが、襲ってくるメカを「ハッカーして」逆に敵に向かわせるなど、現代的で小回りが利いている。もうオッサンがかっこつけて美女を侍らせる時代は終わった。エグジーはあくまで王女の恋人ひとすじで、昔のストリート仲間とつきあっている。政府などあてにならない時代のヒーローにぴったり。

 


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『希望のかなた』──無表情の中の魂(★★★★★) [映画レビュー]

『希望のかなた』 (アキ・カウリスマキ監督、2017年、原題『TOIVON TUOLLA PUOLEN/THE OTHER SIDE OF HOPE』)

 

 クリスマスイブに本作を観ることになったのは、天の思し召しかもしれない。相変わらず、映画.comの批評氏は、判で押したようなことしか書いていない。「心温まる」とかなんとか。本作で「心温まる」かどうか。確かに、動きのない画面構成からは、オズだかなんだか、そういう影響が認められなくもない。しかし、同じ無表情でも、日本人の解剖学的特性の無表情とは違った、一種独特の怖さを持った無表情で、カウリスマキ作品の登場人物たちは登場する。誰もが無表情で、実際、いい人か悪い人か、わからない。難民を痛めつける極右たちも、主人公を拾ってくれるレストランのオーナーも、結局は、主人公(シリア人の難民)をいろいろと助けてくれるレストランの従業員たちも、ケイタイ電話を貸してくれるイラク人の難民仲間も、フィンランドの警察も、移民局の人も、主人公に偽のIDカードを作ってくれるオタクの青年も、極端にいえば、同じ表情をしているのだ。

 そして、映画は、大団円も、カタルシスも拒否する。希望でも絶望でもない、「かなた」へ、観客を連れていく。

 結局、現実というものは、そういうものだ。「袖擦り合う」だけの人も、「親しく交わる」ことになる人も、外側からだけしか見ることができず、その人たちの心の動きなどわからない。それが、普通の映画だと、手に取るようにわかったりする。それで、観客は、主人公に感情移入できる。本作では、主人公にさえ、感情移入できないようになっている。ただ、シリアのアレッポ(イスラム国の占領地であり、政府軍と反政府軍が対立した内戦が続く。安倍首相は、自衛隊をシリアに送り込むに当たって、「戦争状態ではない」と言った。最近は、戦乱状況も、安定してきたと聞くが)から、ヘルシンキに辿り着いた主人公の青年に添って、難民がどういう扱い(よくも悪くも)を受けるかが具体的に目撃できるのみである。

 無表情、殺風景な場面に、劇的な年寄り(?)のミュージシャンたちの歌声が流れ、主人公の青年もまた、琵琶に似た弦楽器を弾いてみせる。その音は、魂というものの存在を浮かび上がらせる。それは、希望よりも尊いものなのである。




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『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』──ディズニーこそ映画界のダークサイドなり(★★) [映画レビュー]

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ 』(ライアン・ジョンソン監督、2017年、原題『STAR WARS: THE LAST JEDI』)


 


  NHK「紅白」同様、とにかく見ないと、年が明けないような気がして、見てしまうのであるが、「リアル世代」で、すべてエピソードを見ていながら、というか、そうであるから、もう飽きた。だんだん、宇宙が狭くなって、気がついてみれば、「星の戦争」ではなく、「内輪争い」になっていて、「近親憎悪」と言い替えてもいいが(笑)。


 


 カイロ・レンの母は、レイア姫だったのでは? ダークサイドに墜ちた、ベン・ソロ(カイロ・レン)は、父親のハン・ソロを殺して、宇宙の大司令官を目指す。対する、「ジェダイ」の後継者の、レイ。ただの孤児。時代がすでにして、「スター・ウォーズ」のガジェットを超えてしまい、押し寄せる陳腐化が否めない。「われわれは言葉で説明しようとするが、思考は空間の中で行われる」という、ベルクソンのデビュー作の「序文」が自然と浮かんできてしまった。


 


 なにが変わったといって、ディズニー映画になってしまってから、かわいい小鳥さんなどのキャラが出てきて、それはそれで、おもしろいのだが、完全にべつの映画になっちまったね。ディズニーこそ、映画界のダークサイドかもしれない。あ、さういへば、『ハン・ソロ』なる、スピンオフ映画ができるようで、そっちの方が面白そうだった。ハリソン・フォードがかなりかわいかった。



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『新世紀、パリ・オペラ座』──オペラ座宣伝ドキュメンタリー(★★) [映画レビュー]

 『新世紀、パリ・オペラ座 』(ジャン=ステファヌ・ブロン監督、

 2017年、原題『L'OPERA/THE PARIS OPERA』)

 

 原題は、『L'opera』。「オペラ座」とは、フランス文化省管轄の、バレエ、オペラ団体で、新旧の劇場「オペラ座」も含まれる。フランスは、文化立国で、どこかの国と違って、文化にも予算をそれなりに取っている。その記念すべきパーティーには、当然大統領も出席する(それも描かれている)。

 

 すでにして関心をなくしていたので、このドキュメンタリーが扱っている事件、バレエ芸術監督のミルポワ(ナタリー・ポートマンのダンナ)が退任し、長年エトワールだった、オレリー・デュポンが就任したこと、超大作『モーゼとアロン』上演直前の主要キャストの降板、などが起こったことは知らなかった。しかし、本編でそれらの事件は扱っていながら、「原因」など、都合の悪いところには当然踏み込んでいない。

 これは、監督からして、「内輪が撮ったドキュメンタリー」だからであり、まあ、宣伝ドキュメンタリーといってもいいだろう。

 

 私は、8年ほど前のクリスマス、バスティーユの新オペラ座で、クリスマス定番のバレエ、『くるみ割り人形』を観たが、高い料金(「総裁」が、これを会議で検討しているシーンもある。「もっと庶民が観られる」値段に、と発言しているが、とうてい、庶民が観られる値段ではない)にもかかわらず、寝落ちしていた(爆)。観客のマナーはとても悪く、カーテンコールが始まるや否や、カメラ撮影ばちばちである。それは、オペラ座が「育てよう」としている、子どもたち(わざとか、アフリカ系の子どもばかり映されていた)のヴァイオリン教室の発表コンサートでも、演奏中も、親たちが、スマホのカメラで撮影していたところでもわかる。

 

 はいはいはい、「オペラ座」は、「世界の芸術(バレエとオペラ)」を支えていますよ。超大作オペラ『モーゼとアロン』って、なんで「超大作」なのかっていうと、一年かけて稽古し、少なくとも日本人は見たこともないような生きた「巨牛」を舞台に出しているからである。その巨牛を、徐々に音と光に慣れさせるなど、世話も「ていねいに」描かれているが、だいたい、生きた牛にこだわってしまうところがいかにも、おフランスであり、斬新さが、べつの方向へブレて、というか、変わらないので世間との解離が進んでいる、のが、フランス芸術全般の問題点でもある。国家がパトロンについていると、なかなか面倒な、コンピューターでいうと、巨大IBMである。今必要なのは、かつてのジョブズがおこしたAppleであるが、さあ、どうでしょう?

 

 この巨牛は眼をひいた。ほかには、ロシアの田舎町出身の青年を、その群を抜く才能に眼をつけて抜擢するところである。彼は、相撲のモンゴル人が徐々に日本語を覚えていくように、フランス語を身につけていく。フランスの文化とは、外国人に支えられていることを、ある面では頭の固いお役人たちもよく知っているからである。

 

 ……と、まあ、それ以外は、たとえ、小さな裏方さんや(最後に)掃除する人々を映していても、やはり、「オペラ座」の内輪ドキュメンタリーとしかいいようがない。なぜなら、監督の視点を、あらかじめ欠如させているからである。

 そうではあるが、「牛の労働基準法」とロシア田舎青年「ミーシャ」のために、星をひとつ加えて二つとする。





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『オリエント急行殺人事件 』──ケネス・ブラナーの才気だけを見せつけた(★★★) [映画レビュー]

 

『オリエント急行殺人事件 』(ケネス・ブラナー監督、2017年、MURDER ON THE ORIENT EXPRESS)

 

 原作は2回読み、実はこれをパロッた小説も書いた(爆)。ケネス版は、冒頭からして、原作とはまったく違う。原作は、シリアのアレッポ(イスラム国に占領され、今は解放されつつある地域)の「オリエント急行に連絡している列車」に乗り込むシーンから始まる。その地で世話になった軍人に送られ、雪のアレッポから列車に乗る。私は「探偵」を女に、見送りの軍人を、アーミー・ハマー(をイメージした人物)にしたが(爆)。

 

 さて、列車はイスタンブールで初めて、「オリエント急行に連絡」し、ここで「さまざまな事情を持つ」登場人物が乗り込んでくる。ポワロはイスタンブールで休暇を過ごすつもりで、ホテルを取ってあったが、そこへイギリスから電報が来て、急遽帰国となり、オリエント急行に乗り込むのである。ケネス版は、なぜか、(原作には存在しない)プロローグに、けっこう時間を費やしている。ポワロの実力と背景を説明したかったのか。

 

 さらに、原作のイメージと、わざとかけ離れている俳優を、登場人物に配しているとしか思えない配役である。まず、ポワロ自身が、やや太り気味のおっとりした老人のイメージが、すらりとした壮年のケネス・ブラナーが、老けを装い、大げさで気持ち悪いヒゲをつけて登場、これにまず違和を感じる。そして、ホテルで出会う、旧友でオリエント急行の会社の社長のような人物。旧友なので、ポワロと同じ老人でなければならないが、これが、すらりとしたイケメンで、面食らう。乗客の横柄な金持ちのアメリカ人、これを、ジョニー・デップが演じていて、それなりに魅力的であるが、原作にそったイメージなら、太ってヒゲを生やした、彼の助手を演じた男の方が近い。むしろ、曰くありげな助手の方が、デップのイメージなのである。

 

 それやこれやで、作者のクリスティは、アメリカで実際に起こった事件をはめ込んで、斬新なミステリーを創り上げているが、そういう文学的価値はまったく無視されている。監督でもあるケネス・ブラナーは、「どうせみんな読んでいるだろう」と思ったのか、物語をものすごいスピードで語る。すごしずつ謎を解明していくミステリーの醍醐味は皆無で、「すばらしい」カメラワークとスタイリッシュな面が強調されている。これをどう評価したらいいのか? 確かに、ケネス・ブラナーは才能がある──。それだけを見せつけた作品である。


 


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『KUBO/クボ 二本の弦の秘密 』──今年度ベスト1(★★★★★) [映画レビュー]

『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』( トラヴィス・ナイト監督、2016年、原題『KUBO AND THE TWO STRINGS』)

 

 やられた感あり。これは物語なのである。作者は日本の中世にインスパイアされたのだろうが、どの時代とかどの場所とかは特定していない。ただ、「肉親同士が殺し合う」時代。キーワードは、ごく日本的な三弦の楽器、怨霊、折り紙……とくに折り紙が重要である。折り紙は、アメリカ人にとって、異国的想像力を刺激するものなのか、小学生の全米綴り字コンテストを描いた映画『綴り字のシーズン』にも、小学生にその綴りを答えさせる課題として、Origamiが出ていた。日本人にとっては、やさしい綴りなのに。そして、スタバの、マグカップの上に組み立てて作るレギュラーコーヒーの商品名も、Origami。主人公の少年、Kuboは、三味線でOrigamiを操ることができる。あの、われわれになじんだ、正方形の折り紙が生きているかのように、ある形へと折り上がっていく、その姿の美しさを、ていねいに見せる。それに、人の表情の、眼の玉が微妙に動き、繊細な内面を表す──。

 デティールが重要な物語を表現するのは、生身の人間よりアニメの方が効果的だろう。

 

 本作について、案の定、「日本題材」ということで、韓国だの中国だの、プロパガンダだのの単語が行き交っている。あわれな人々である。映画を、いつもそういうアタマを通してしか鑑賞できないとは。いつも、「こいつの裏はなんだ?」と考えながら見ている。ご愁傷さま。

 

 日本人でも眼を覚まされる、日本の中世という時代のデティールに、父母の愛という普遍のテーマを詰め込んだ本作。猿やクワガタなどの単純な生物でも、深いキャラクターが与えられている。またそれを「演じる」声優、シャールーズ・セロンやマシュー・マコノヒーがすばらしい。

 

 三味線でも三弦でもなんでもいいが、とにかく、少年でも持ち歩くことのできる和楽器の、二本の線に、あのような意味を与えたことは、驚愕である。日本人の頭ではあまりに一定のイメージに支配されて、そのようなことは考えつかない。

 

 本作を観ると観ないとでは、今後の人生が変わってくる……そんな気がする十年に一度の一本だ。

 

 


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『探偵はBARにいる3 』──注意! エンドロール後にオチあり(★★★★★) [映画レビュー]


『探偵はBARにいる3』(吉田照幸監督、2017年)


 


 なんかクレジットが流れ始めると、「もう映画は終わった」とばかり早々に席をたって出ていってしまう人がいる。そういうのを見ると、映画愛がないね、と感じる。私は明かりがつくまでは座っている主義。なので、こういう人間には、なにかといいことがある。まず第一、知らない間に床に落としていたものが見つかるし、忘れ物も少ないし、第二は、ときどき、「ものすごくオモシロイオチ」が付いている。たいていは、「おまけ」みたいなものかも知れないが、今回は、「おまけ以上」の、本編で、サイコーにおもしろいオチだった。


 それをここで明かしてしまおうと思うので、楽しみな人は要注意で、以下、読まないように──。


 


 ミステリーとしても、人間ドラマとしても、クサいというか陳腐である。しかし、どうせ、新宿歌舞伎町の、はぐれエリート、「新宿鮫」には勝てっこない。「探偵」とだけ呼ばれる探偵(大泉洋)と、助っ人の、北海道大学で酪農の研究をしている「高田」(松田龍平)のコンビがかなり魅力的である。ありそうで、なかなかないキャラである。「探偵」は、運転免許もない飲んだくれで、高田は、ぼーっとしたしゃべり方ながら、北海道大学空手部で秘かに訓練を積む、格闘と運転担当である。その車というのが、いまどきゴミ捨て場にもないような、錆び錆びのフォルクスワーゲン(に見えたが)。お約束の、ヤクザとの格闘には、わりあいたっぷりのシーンがとってあって、高田はもちろんのこと、「探偵」もわりあい強いのである。むしろこれだけが二人の「探偵業」を支えている。


 今回、高田がニュージーランドへ、酪農の勉強へ行くというのが、ナナメぐらいの糸になっていて、事件解決後は、「探偵」も餞別を渡す。「いいよ」と遠慮する高田。「一度出したもの、引っ込められるか」という「探偵」。数回の押し問答ののち、受け取る高田。


 いつもの路地で左右に別れ、「さよなら」。


 ……が、エンドロール終わって……


 牛小屋の前で帚で掃いている高田が映る。


「なんだ、ニュージーランドへ酪農の勉強に行ったんじゃなかったのか?」とそこへ現れる「探偵」。さらに、「まさか隣り町にいるとは……。札幌から快速で二十分じゃないか」


高田「ニュージーランドの酪農の勉強はしてるよ」


 そこへ、牛を連れた大男のガイジンが横切っていく。


高田「あいつ、二メートルあるんだ」


探偵「餞別返せ!」


高田「使っちゃって、もうないよ」


探偵「何に使ったんだ?!}


高田「競馬」


探偵「このやろー!警察呼ぶぞ!」


 


 ほかに、オカマ役の篠井英介がシーン少なめだけど、魅せる!し、 フランキー・リリーも、悪役なれど、いつもの「丸顔」よりはすっきり細目顔で、真のワルを演じている。北川景子大活躍、なれど、この「美人顔」には違和感あり。前田敦子、もう「地」としかいいようがないが、今回、その「大根ぶり」を「利用した」と見た。


 タイトルは、ススキノの便利屋「俺」シリーズの一冊から取ってあるが、なかなかよい。


 ストーリー陳腐ながら、きっちりハードボイルドしている。そして、札幌の生活感。縦糸ストーリーは、誰でも書いているだろうから省略(笑)。


 


 


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『ローガン・ラッキー』──ダニエル・クレイグがオモロすぎる(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

 

『ローガン・ラッキー』( スティーヴン・ソダーバーグ監督、2017年、原題『LOGAN LUCKY』

 

ほんと、ダニエル・クレイグは「こっちの方が」あってかるかも。007で、かっこつけた紳士を演じるより。

 ローガン兄(チャニング・テイタム)、弟(アダム・ドライバー、なるほど、この二人はよく似ている)が、カーレース場の売上金強奪を計画し、獄中の爆破犯ジョーの助けを借りに行く。その場面がすでにして見ものである。銀髪を短く刈り上げたオッサンは、どこか『時計仕掛けのオレンジ』のアレックス坊やの、ジジイになった姿を彷彿とさせる。面会のテーブルを挟んで兄弟と対面する。兄弟は、「伝説(一応、地方の、ですが(笑))の爆破犯」を前に、神妙な顔つきをしている。とくに、アダム・ドライバーーが、『パターソン』からのキャラをどこか引きずって、物静かで冷静沈着に見える。そんな二人を前に、悪びれたクレイグ曰く、

「こんなシマシマのベビー服着せられて……」その服役服が、高級スーツよりよく似合う(笑)。

 爆弾(と、呼ぶことをジョーは好まない)の作り方も、独特である。ジェリービーンズと、あと2品の生活の品で、爆発物を作ってしまう。そのとき、「そんな材料で?」と疑問視する兄弟に、化学式を書いて、爆薬の構造を説明する。

 レース場の売上金は、安全を考慮し、秘密のカプセルで集金場まで透明パイプで送られる。地下工事をしていたローガン兄のジミーが発見したのだ。そしてそれを地下から襲おうという計画を立てる。はたして、『オーシャンズ・セブン-イレブン』とギャグがとばされ、メンバーが集められ、「11」のパロディのようになっていく。ま、ほとんど自己パロディだ。しかし、ジミーは、虐げられた人々にお金を届ける──。

 美少女コンテストに出るのが目標の、ジミーの幼い娘がブスい(笑)。かなり後から出演する、FBI捜査官の、ヒラリー・スワンクも、けっこう重要な役で出ている。というのも、その捜査によって、保険会社とレース会社のダークな関係が暴かれる。レース会社は強奪にあっても、金は保険会社によって補填された。よって、盗っても咎められない金が出るということだ。そのへん、がちゃがちゃと複雑で、「オハナシ」が見えない感もある。しかし最後は、移動診療所の女医だか看護師役のあのヒト。あのショートヘアと丸顔の愛嬌ある顔はどこかで見たと思ったら、『エイリアン、コヴェナント』のヒロインである。その彼女は、高校時代にバスケットの花形だったジミーのあこがれていた。ジミーは覚えていなかったが、その二人が弟クライドのバーでデートし、ジョーはローガン兄弟の末っ子の妹と、そして、ヒラリー・スワンクは……「うっふん」、お仕事のひっつめ髪をバラしてカウンターに座っていて、アダム・ドライバーに、「ひとりのお酒は演技が悪いので、いっしょに乾杯して」と、バーテンのドライバーに色目を使い、彼もまんざらでもなさそうに受ける。おわり(爆)。ローカルなローカルなカントリー曲流れる、なんのことはない、ラブ・ストーリーでした〜。あ、みんなすんごい訛りでね。



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『ノクターナル・アニマルズ』──映画の「現代美術」(★★★★★) [映画レビュー]

『ノクターナル・アニマルズ』(トム・フォード監督、 2016年、原題『NOCTURNAL ANIMALS』)

 

普通の映画の見方で本作に立ち向かうと、なにがなんだかわからないことになってしまう。まず、トム・フォードは、普通の映画の作り方とはまったく違う方法を取っている。配役からして、「どこかおかしい」と思わなくてはいけない。若き日を演じていようが、今を演じていようが、俳優の実年齢を記入すると、ヒロインのスーザンを演じる、エイミー・アダムス43歳、元夫役、ジェイク・ギレンホールは、37歳。この二人の間には、「子どもがあったが堕胎した」とスーザンは、今の夫と知り合った頃告白しているが、現に、男といっしょに寝ている娘がいるが、この娘は、いったい誰との子どもなのだろう? そして、ハンサムな今の夫、アーミー・ハマーは、31歳なのである。実にうらやましいスーザンである。つまり、「夫たちが若い」。エイミーのブルジョワの母親役は、気の毒にも、53歳のローラ・リニー。ここで、なにかヘンと思わなくてはいけない。

 これは、もしかしたら、すべてスーザンの幻想かもしれない。しかし、まあ、前夫が小説のナマ原稿を送ってきたのは現実だとしよう。前夫は、弱さが欠点で、大した作品も書けてなかった。一方、スーザンは、現代美術のギャラリー・オーナー=キュレーターとして成功している。ここがポイントである。現代美術の世界である。だから、オープニングのフルチン・デブ・オバチャンの狂い踊りは、インスタレーションなのである。現代美術はこんなところまで行ってしまっている。

 つまり、これは、ある意味、最先端の映画。スーザンと前夫の才能合戦で、完敗した前夫の、まあ、リベンジ(だから、二重の意味)なのである。小説にのめり込み、圧倒され、前夫を自分から誘い、日本じゃとても着られない超セクシーなドレスを着て、高級レストランで待つスーザン。スコッチだかなんだか、食前酒が何杯も重なり、ほかの客たちは帰り始めても、前夫のエドワードは現れない。エドワードが勝ったのである。いい男を両天秤にかけるととんだしっぺ返しを食うという、トム・フォードの「復讐」だろうか? それにしても、男のシュミがまったく私と同じなのには、マイッタわ(爆)。だって私も、アーミー・ハマーとジェイク・ギレンホールを思い浮かべながら小説を書いていたのだ(笑)。

 観客の先入観を完全に裏切る配役のもう一人に、『フロスト×ニクソン』で、辣腕ジャーナリストのフロストや、『クイーン』では、ブレア首相を演じた、さわやか知性役の多いマイケル・シーンが、小説に書かれた人物とはいえ、とんでもないゲス野郎を演じていて、フォードのセンスはまったく現代美術である。

 クレジットでは、ゲンズブールの「ボードレール」が眼に留まったし(笑)。

 そして、前夫のエドワードは、「現在」の姿は、一度も晒さない。


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『女神の見えざる手』──セリフまわしという演技力(★★★★★) [映画レビュー]

『女神の見えざる手』(ジョン・マッデン監督、 2016年、原題『MISS SLOANE』) 


 


演技力というのは、べつに情緒だけを表出するのではなく、セリフの繰り出し方もその一つである。ジェシカ・チャスチンには、なにかそういう基礎力があるようで、ナヨッとした線の細い「印象」ながら、よく見れば手脚も頑丈そうで、強い女の役柄がよくまわってくるようだ。大柄の肉体を振り回す、「無言の」(笑)、シャーリーズ・セロンの強さとまた違った強さである。


 


 アメリカの政治は議員中心で行われ、議員が力を持っているので、ロビイストという、利益団体に代わって議員に働きかける仕事も成立する。本作は、そういう、これまで描かれてこなかった世界を描いている点で新しいし、むちゃくちゃな仕事人間を、女性が演じている点でも新しい。


 


 専門用語の乱射のような脚本であるが、伏線がよく効いていて小気味よい。とくに、本作のオチである、「肉を切らせて骨を切る」といったヒロインの作戦は、仕事人間の安らぐ場所が、塀の中という点でも、眼からウロコものである。


 


 性のはけぐちというより、恋愛している時間がないので、異性と疑似恋愛風に触れあうために、男を買う、それもなんだか、さわやかなのである(笑)。


 


 男性陣は、銃規制派のロビイスト事務所を持ち、チャスチンをスカウトするマーク・ストロングといい、チャスチンを裁く裁判で裁判長をやる国会議員のジョン・リスゴーといい、風貌はハデだが、意外と演技は地味な役者を配して、チャスチンの知性を際立たせると同時に、精一杯の華を持たせている。エスコート業の男も、少しの色気を添えて、なかなかよかった(笑)。



 


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