So-net無料ブログ作成
映画レビュー ブログトップ
前の10件 | -

『ローガン・ラッキー』──ダニエル・クレイグがオモロすぎる(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

 

『ローガン・ラッキー』( スティーヴン・ソダーバーグ監督、2017年、原題『LOGAN LUCKY』

 

ほんと、ダニエル・クレイグは「こっちの方が」あってかるかも。007で、かっこつけた紳士を演じるより。

 ローガン兄(チャニング・テイタム)、弟(アダム・ドライバー、なるほど、この二人はよく似ている)が、カーレース場の売上金強奪を計画し、獄中の爆破犯ジョーの助けを借りに行く。その場面がすでにして見ものである。銀髪を短く刈り上げたオッサンは、どこか『時計仕掛けのオレンジ』のアレックス坊やの、ジジイになった姿を彷彿とさせる。面会のテーブルを挟んで兄弟と対面する。兄弟は、「伝説(一応、地方の、ですが(笑))の爆破犯」を前に、神妙な顔つきをしている。とくに、アダム・ドライバーーが、『パターソン』からのキャラをどこか引きずって、物静かで冷静沈着に見える。そんな二人を前に、悪びれたクレイグ曰く、

「こんなシマシマのベビー服着せられて……」その服役服が、高級スーツよりよく似合う(笑)。

 爆弾(と、呼ぶことをジョーは好まない)の作り方も、独特である。ジェリービーンズと、あと2品の生活の品で、爆発物を作ってしまう。そのとき、「そんな材料で?」と疑問視する兄弟に、化学式を書いて、爆薬の構造を説明する。

 レース場の売上金は、安全を考慮し、秘密のカプセルで集金場まで透明パイプで送られる。地下工事をしていたローガン兄のジミーが発見したのだ。そしてそれを地下から襲おうという計画を立てる。はたして、『オーシャンズ・セブン-イレブン』とギャグがとばされ、メンバーが集められ、「11」のパロディのようになっていく。ま、ほとんど自己パロディだ。しかし、ジミーは、虐げられた人々にお金を届ける──。

 美少女コンテストに出るのが目標の、ジミーの幼い娘がブスい(笑)。かなり後から出演する、FBI捜査官の、ヒラリー・スワンクも、けっこう重要な役で出ている。というのも、その捜査によって、保険会社とレース会社のダークな関係が暴かれる。レース会社は強奪にあっても、金は保険会社によって補填された。よって、盗っても咎められない金が出るということだ。そのへん、がちゃがちゃと複雑で、「オハナシ」が見えない感もある。しかし最後は、移動診療所の女医だか看護師役のあのヒト。あのショートヘアと丸顔の愛嬌ある顔はどこかで見たと思ったら、『エイリアン、コヴェナント』のヒロインである。その彼女は、高校時代にバスケットの花形だったジミーのあこがれていた。ジミーは覚えていなかったが、その二人が弟クライドのバーでデートし、ジョーはローガン兄弟の末っ子の妹と、そして、ヒラリー・スワンクは……「うっふん」、お仕事のひっつめ髪をバラしてカウンターに座っていて、アダム・ドライバーに、「ひとりのお酒は演技が悪いので、いっしょに乾杯して」と、バーテンのドライバーに色目を使い、彼もまんざらでもなさそうに受ける。おわり(爆)。ローカルなローカルなカントリー曲流れる、なんのことはない、ラブ・ストーリーでした〜。あ、みんなすんごい訛りでね。



nice!(3)  コメント(0) 

『ノクターナル・アニマルズ』──映画の「現代美術」(★★★★★) [映画レビュー]

『ノクターナル・アニマルズ』(トム・フォード監督、 2016年、原題『NOCTURNAL ANIMALS』)

 

普通の映画の見方で本作に立ち向かうと、なにがなんだかわからないことになってしまう。まず、トム・フォードは、普通の映画の作り方とはまったく違う方法を取っている。配役からして、「どこかおかしい」と思わなくてはいけない。若き日を演じていようが、今を演じていようが、俳優の実年齢を記入すると、ヒロインのスーザンを演じる、エイミー・アダムス43歳、元夫役、ジェイク・ギレンホールは、37歳。この二人の間には、「子どもがあったが堕胎した」とスーザンは、今の夫と知り合った頃告白しているが、現に、男といっしょに寝ている娘がいるが、この娘は、いったい誰との子どもなのだろう? そして、ハンサムな今の夫、アーミー・ハマーは、31歳なのである。実にうらやましいスーザンである。つまり、「夫たちが若い」。エイミーのブルジョワの母親役は、気の毒にも、53歳のローラ・リニー。ここで、なにかヘンと思わなくてはいけない。

 これは、もしかしたら、すべてスーザンの幻想かもしれない。しかし、まあ、前夫が小説のナマ原稿を送ってきたのは現実だとしよう。前夫は、弱さが欠点で、大した作品も書けてなかった。一方、スーザンは、現代美術のギャラリー・オーナー=キュレーターとして成功している。ここがポイントである。現代美術の世界である。だから、オープニングのフルチン・デブ・オバチャンの狂い踊りは、インスタレーションなのである。現代美術はこんなところまで行ってしまっている。

 つまり、これは、ある意味、最先端の映画。スーザンと前夫の才能合戦で、完敗した前夫の、まあ、リベンジ(だから、二重の意味)なのである。小説にのめり込み、圧倒され、前夫を自分から誘い、日本じゃとても着られない超セクシーなドレスを着て、高級レストランで待つスーザン。スコッチだかなんだか、食前酒が何杯も重なり、ほかの客たちは帰り始めても、前夫のエドワードは現れない。エドワードが勝ったのである。いい男を両天秤にかけるととんだしっぺ返しを食うという、トム・フォードの「復讐」だろうか? それにしても、男のシュミがまったく私と同じなのには、マイッタわ(爆)。だって私も、アーミー・ハマーとジェイク・ギレンホールを思い浮かべながら小説を書いていたのだ(笑)。

 観客の先入観を完全に裏切る配役のもう一人に、『フロスト×ニクソン』で、辣腕ジャーナリストのフロストや、『クイーン』では、ブレア首相を演じた、さわやか知性役の多いマイケル・シーンが、小説に書かれた人物とはいえ、とんでもないゲス野郎を演じていて、フォードのセンスはまったく現代美術である。

 クレジットでは、ゲンズブールの「ボードレール」が眼に留まったし(笑)。

 そして、前夫のエドワードは、「現在」の姿は、一度も晒さない。


nice!(2)  コメント(0) 

『女神の見えざる手』──セリフまわしという演技力(★★★★★) [映画レビュー]

『女神の見えざる手』(ジョン・マッデン監督、 2016年、原題『MISS SLOANE』) 


 


演技力というのは、べつに情緒だけを表出するのではなく、セリフの繰り出し方もその一つである。ジェシカ・チャスチンには、なにかそういう基礎力があるようで、ナヨッとした線の細い「印象」ながら、よく見れば手脚も頑丈そうで、強い女の役柄がよくまわってくるようだ。大柄の肉体を振り回す、「無言の」(笑)、シャーリーズ・セロンの強さとまた違った強さである。


 


 アメリカの政治は議員中心で行われ、議員が力を持っているので、ロビイストという、利益団体に代わって議員に働きかける仕事も成立する。本作は、そういう、これまで描かれてこなかった世界を描いている点で新しいし、むちゃくちゃな仕事人間を、女性が演じている点でも新しい。


 


 専門用語の乱射のような脚本であるが、伏線がよく効いていて小気味よい。とくに、本作のオチである、「肉を切らせて骨を切る」といったヒロインの作戦は、仕事人間の安らぐ場所が、塀の中という点でも、眼からウロコものである。


 


 性のはけぐちというより、恋愛している時間がないので、異性と疑似恋愛風に触れあうために、男を買う、それもなんだか、さわやかなのである(笑)。


 


 男性陣は、銃規制派のロビイスト事務所を持ち、チャスチンをスカウトするマーク・ストロングといい、チャスチンを裁く裁判で裁判長をやる国会議員のジョン・リスゴーといい、風貌はハデだが、意外と演技は地味な役者を配して、チャスチンの知性を際立たせると同時に、精一杯の華を持たせている。エスコート業の男も、少しの色気を添えて、なかなかよかった(笑)。



 


nice!(2)  コメント(0) 

『バリー・シール/アメリカをはめた男』──歴史的にはお宝映画(★★★★★) [映画レビュー]

 

『バリー・シール/アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン監督、 2017年、原題『AMERICAN MADE』)

 

 トム・クルーズは、だいたいにおいて、どんな映画も同じキャラを演じているといっていい。つまり、体制から距離をおきつつ、体制をおちょくってみせる。本作も、事実がもとでありながら、トム・クルーズお得意のキャラに、おそらく「変換」し、話を進めている。だが、本作とほかの作品が違うのは、映画、とにくエンターテインメント系の映画では、あまり描かれることのなかった、1980年代の中米がとことんリアルに描かれている点である。とくに、親ソ連のサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)政権が支配するニカラグアを、その空気感からつぶさに描いている。

 

 当時、アメリカ議会は民主党が多数で、反共ゲリラ、コントラへの武器の供与は禁止されていたが、そこを、CIAが、TWAの凄腕パイロットであった、バリー・シールをスカウトし、武器などを運ばせる。しかし、ニカラグア側の麻薬マフィアも、逆にシールをスカウトし、麻薬をアメリカに運ばせる。こうしてシールは、こうもりの活躍をしていたのだが、やがて、こういうものの末路として、最後はマフィアに射殺される。だから、いつものクルーズものとしては、やや痛快さに欠ける。スカッとしようと思って見に行くと肩すかしを食わされる。しかし、歴史的には、お宝映画であると言える。当時のアメリカ大統領、ドナルド・レーガン、禁止されているイランへの武器供与をした「イラン・コントラ事件」の、イランとコントラとの窓口になっていたとされる、当時は副大統領であった、ジョージ・H・W・ブッシュの動きがさりげなく挿入されている。

 

 アイルランド出身のドーナル・グリーソンが、シールをスカウトする、調子のいいCIA局員を、前髪垂らした、当時の顔を描出していて芸域の幅の広さを見せつけている。

 

 ジェーソン・ボーンシリーズや、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のダグ・リーマン監督の、一筋縄ではいかない「エンターテインメント」である。

 

 


nice!(2)  コメント(0) 

『ブレードランナー 2049 』──陳腐。(★★) [映画レビュー]

『ブレードランナー2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2017年、原題『BLADE RUNNER 2049』


 


前作の時点から30年経過しているわりには、前作とほとんど同じに見えるロス(?)の街。酸性雨は降り続け、レプリカントは溢れ続け、前作でレプリカントを愛し、二人でどこかへ逃走した刑事デッカードはゴーストタウンのようなところに隠れ住んでいた──。


 某所で発見された人間の骨と髪の毛を分析する市警(いまだに?)は、骨に製造番号を見つけ、それが、レプリカントであることがわかる。そして、さらに調べると、そのレプリカントは身ごもっていたことがわかり、帝王切開で子どもが出されたこともわかる。さあ、その子を探せ!である。ディケンズの時代のロンドンのように、子どもばかり働かされている場所がある。刑事のK……のあとには、番号がある、レプリカントであることが早くに明かされる。そう、「今度の主役」は、レプリカント。


 ハリソン・フォードに代わって、ヒーローを演じる、ライアン・ゴズリングの刑事は、レプリカントなのである。そして、魂があると信じている。そして、もしかしたら、デッカードとレプリカント、レイチェルの子どもは、自分なのではないか?とさえ思う。


 彼には、ホログラムのガールフレンドのような「女」がいる。その「女」は、Kを愛しているようでもある。前作と主題が重なる。……というか、前作の「柳の木の下」を狙った作品である。斬新さのある、ドゥニ・ヴィルヌーヴではあるが、リドリー・スコットが製作総指揮で、睨んでいるとあらば、そう好き勝手にはできなかったと見える。どうりで、スコット監督の、『エイリアン:コヴェナント』でも、レプリカントがでてきて、旧型だの新型だのいっていた。それと同じことを本作でも言っている。


 魅力的な人物がひとりもいなくて、キャラが立っていない。ただひたすら、前作の「続き」のオハナシを作るのに終始。


 どーでもいいが、人間そっくりで、妊娠までしてくれるレプリカントではあるが、そのあたり、科学的に、「少しでもいいから」説明がほしい。いったい皮膚や臓器はどういった材質でできているのか?


 ごていねいに、前作で、レプリカントのルトガー・ハウアーが、雨のなかで「死んで」いき、名演と言われたが、そっくりそのまま、ライアン・ゴズリング、今度は、雪のなかの「死んでいく」。まあ、36歳のゴズリングは、リアルタイムでは、前作を見てないでしょうが。しっかし、ハリソン・フォードが出ると、もうそれだけで、物語は陳腐化する。そのことを、もっと考えた方がよかったのでは?


 普通の字幕版がなかったので、iMAX3D版を鑑賞。まあ、それなりに建物の高さによる、「深さ」は出ていたと思うが、それだけでは、星をもうひとつ追加はできない。音楽は、まあ、よかった。最後のクレジットととも流れる曲だけは、2049になっていた。それで、星をひとつ追加。


 


 


nice!(2)  コメント(0) 

『アトミック・ブロンド』──J・ボンドは完全に負ける(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ監督、2017年、原題『ATOMIC BLONDE』


 


 まず、シャーリーズ・セロンの、バレエで鍛えた完璧な肉体と大柄なガタイがあってこその、アクション映画である。物語としては、イギリス諜報部 V.S. ソ連KGBのスパイ合戦が基礎になっていて、その二重スパイがポイントになる、ちょうど、ル・カレの『裏切りのサーカス』と似たような状況設定である。俳優陣も、そこで見たような面々が見受けられる(印象である)。


 


 シャーリーズ・セロンは、キアヌー・リーブスの妻を演じた『ウロボロス』で初めて見たが、この監督は、彼女を、「美しすぎる」と表現していたことを覚えている。「美人すぎる」などという表現がいま跋扈しているが、「美人すぎる」のではなく、「美しすぎる」。美しい人など掃いて捨てるほどいるハリウッドで、とくに美しいのがシャーリーズらしいが、それゆえ、一歩間違えると、というか、ちょいとメイクを変えれば、醜い女に変身「できて」(笑)、過去にもそういう女を演じてきた。さっと裸になってしまう率も高いが、その肉体には、実は女の媚びはまったく感じられない。


 事実、本作は、「お色気」は抜きなのである。生身でヒロインが戦い抜く。といっても、「ワンダーウーマン」のあの大味とも違う。戦う姿がさまになり、それが物語を含んでいるのである。


  


 全身傷だらけのロレーン(シャーリーズ・セロン)が、MI6の上司に、任務の報告をする場面から始まる。そこにはCIAのオッサン(ジョン・グッドマン、間抜けなデブ役が多かったが、眼鏡をかければ(笑)、それなりの官僚顔)が同席している。「クソCIAは外してもらいたいな」とロレーンは言う。しかし──。


 


 時は、1989年、まさにベルリンの壁が崩壊する直前。そういう時代を背景に、そのまさに東西のベルリンで、この物語は展開する。音楽がいい。ファッションもいい。ウォッカのロックを、まるで水のようにうまそうに飲むこのヒロインに比べたら、マティーニのジャームズ・ボンドは、まるでヤワ(笑)。さまざまな最新機器の助けを借りて敵と戦うボンドだが、ロレーンと一対一で戦ったら、完全に負けるだろう。


 


 最初に映される、バズタブから身を起こすヒロインのヌードの背中の、その肩と腕の筋肉がすごい(笑)。以後のアクションを完全に納得させる。


 で、結局、MI6のハンサム、ジェームズ・マカヴォイがKGBと通じていたことをつきとめたロレーンは、彼が二重スパイ「サッチェル」であることを告げながら殺すが、その後、自分がKGBの男とパリのホテルで会い、スパイのリストが入っている腕時計を渡す。しかしKGBはそこで彼女を始末しようとする。しかし、彼女は反撃し、KGBたちをも血祭りにあげる──。


 


 で、「クソCIAは外してもらいたいな」と言ったところへ戻ると、彼女こそ、「サッチェル」、CIA部員だったのである。ジョン・グッドマンのオッサンが待つ、公用璣へ乗り込んでいくのだった。彼女の協力者は、ボンドのような最新機器開発者たちではなく、東ベルリン在住の、怒れる若者たちだった、というのもかっこいい。


 


nice!(2)  コメント(0) 

『オン・ザ・ミルキー・ロード』──クストリッツァの「ゲルニカ」(★★★★★) [映画レビュー]

 

『オン・ザ・ミルキー・ロード」(エミール・クストリッツァ監督、 2016年、原題『ON THE MILKY ROAD』

 

 エミール・クストリッツァは、最初から、猥雑なユーモアを交えたグロテスク・ロマンの作風ではなく、その始まりは、デビュー作ではないものの、カンヌ映画祭で「最初の」グランプリを取った、『パパは出張中』では、少年の目から見た、共産党政権下の、「不都合な真実」を、シンプルな哀感とアイロニーで描いていた。パパは、共産党政権によって、「犯罪人として服役中」が「出張」の内実だった。

 その後、二回目の栄誉「パルムドール」を取ることになる、『アンダーグラウンド』では大いに作風を変え、まさに「アンダーグラウンド」で戦争を生き延びる人々(と動物)を、猥雑なエネルギーとユーモアとともに描き出していた。

 本作は、その『アンダーグラウンド』を下地に、『白猫黒猫』のロマンを交え、さらに政治的なイロニーを深めたものと見た。ひとつの村が完全に焼き尽くされる、これは、おそらく事実であろう。

 クストリッツァのもともとの故郷は、ユーゴスラヴィアで、もうその国は存在せず、もともと多民族多宗教国家だったので、ベルリンの壁崩壊以降のヨーロッパの分裂の影響は凄まじいものであった。

 近代の「ジェノサイド」(民族浄化)は、ナチスのユダヤ狩りをはじめ、近年ではアルカイダやイスラム国による中東跋扈が記憶に新しいが、2001年の9.11以前は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソボの紛争で、男性は殺害、女性はレイプと強制出産という民族浄化が行われていた。その中心となったのは、クストリッツァと同じ人種のセルビア人だった。

 クストリッツァは加害者の側と被害者の側の両者の傷を負った人間であると思う。それをいかに描くか? 村が消滅させられたという悲惨な「事実」のなかに、あるイタリア女との恋物語(この物語は力を与えてくれる幻想とその力を打ち砕くような悲惨な現実を、愛という感情で描き出していく、実に美しい物語だ。ここでは、「007」では、ただの大柄な年増女であったモニカ・ベルッチが、けなげで愛らしい)を入れていく──。

 これはクストリッツァの「ゲルニカ」なのだと理解した。事実、クストリッツァは基礎をちゃんとした映画学校で学んでいる、実はどんな作風でも描ける作家なのだ。だから、一見ハチャメチャでも、細部まで計算され尽くされ、まるでピカソがユーモラスなかたちの人間や動物に美しい色を入れていくように、猥雑なユーモアに満ちた複雑な映像に、美しい音楽(担当はクストリッツァの息子)を入れるのだ。

 

 本作は観客が思っている以上の重要な作品かも知れない。



nice!(2)  コメント(0) 

『エルネスト』──革命家必見!(★★★★★) [映画レビュー]

『エルネスト』(阪本順治監督、 2017年)

 

 映画の90%がキューバ舞台のスペイン語である。そして、日系人とはいえ、ボリビア国籍の、フレディ役、オダギリジョーがすばらしいスペイン語で、革命を夢見る、本人よりは十五歳も年下の青年を演じきっている。そして本作は、「革命家」の実態を、わりあいリアルに描いていると思われる。それは、テロリストとは真逆に、わが身を人々の役立つために捧げ、ともに自由を獲得するために戦おうと夢見る人々である。エルネスト”チェッ"ゲバラが、まずそれを夢見た。この種の映画には、ゲバラ役の存在感が重要であるが、本作で、それは成功している。

 ほんものもこのようであったと思われるゲバラが、広島を訪れるところから始まる。ゲバラは、広島記念館の惨状の写真や資料を見て言う。

 

「このような酷いことをされて、なぜアメリカに対して怒らないのか?」

 

 そして、ゲバラと同じように医学生から革命家に転じるフレディ前村がゲバラに聞く。あなたを支えているものはなにか? ゲバラは答える。

 

 「怒りだ。怒りは憎しみとは違う」

 

 そして、誠実な青年フレディは、革命家としての訓練を受け、軍事政権に支配され、人々が酷い目にあっている故郷ボリビアの村に潜入する。かつては親切にした青年に、恩を仇で返され、裏切りに合い、フレディ前村は処刑される。それはそのまま、ゲバラと軌を一にする。

 

 冒頭、セルバンテスの、「自由がなによりも重要だ」という言葉が引用される。

 

 広島平和公園で、「二度とこのようなことを起こさない」と書かれた記念碑の意味を聞いて、「主語がない」というゲバラ。そして、犠牲者を祀った碑の献花された花の写真を撮るのだが、そのカメラのシャッターの切り方が、リアルであると思ったら、ゲバラ役のホワン・ミゲル・バレロ・アコスタは、ダンサーで写真家だということだった。

 

 全編抑制された描き方だが、最後の、フレディがゲバラから授かった「革命家」として名前、ゲバラのファーストネーム、「エルネスト」と呼ばれ振り向く瞬間が、劇的に「赤く」輝き、彼らの地味な青春が心を打つ。

 

 フレディ前村、享年25歳。

 "チェッ"ゲバラ、享年39歳。

 

 今こうした映画が作られる意義も意味も十分にある。


 


nice!(2)  コメント(0) 

『ドリーム 』──黒人女優たちのイメージは変わるだろう(★★★★★) [映画レビュー]

『ドリーム』(セオドア・メルフィ監督、2016年、原題『HIDDEN FIGURES』)


 


 IBMの汎用コンピューターが「やっと」NASAで買えた時代(1960年代初頭)、アメリカはソ連と、宇宙開発競争をしていた──。あのアポロ13さえ、電子計算機は頼りにならず、大気圏再突入角度を、計算尺で計算しなおさなければならなかった──。「宇宙」とはいえ、まだ、ほんの大気圏の外へ出て、地球の周囲を何周かするという程度だった。「宇宙船」もどこかちゃちで、これでは乗る方もコワイだろう(笑)。


 


 そういう時代のNASAの技術を、黒人女性たち、それも差別されながら学位を取った人々が、差別されながら、NASAで重要な仕事(必ずしもポストと対応していたわけではない)をしながら、「宇宙開発」、やがては、人類の月面着陸へと続く道を切り開く技術を陰で支えていた──。


 


 驚愕以外のなにものでもない。数学の天才で、宇宙船の大気圏再突入角度や落下地点を計算してみせるキャサリン・G・ジョンソンを演じるタラジ・P・ヘンソンは、新鮮な風貌で、これまでハリウッドの白人女優に食傷ぎみの観客の眼を奪う。


 「計算部」を事実上管理しながらも、地位はヒラのままのドロシー・ヴォーンは、ひそかにプログラミング用語のFORTRANを勉強し、IBMから買った大型コンピューターを扱ってみせる。そんな骨太のヴォーンを『ヘルプ』で、アカデミー賞とゴールデングローブ賞を獲ったオクタヴィア・スペンサーが演じる。


 そして、技術者のメアリー・ジャクソンは、NASAでのキャリアアップのために、条件である白人男子校卒を獲得しようと裁判に持ち込み、独自の論理で保守的な判事を説き伏せる。可憐な容姿がやはり白人女性には不可能なジャネール・モネイが演じる。三人の黒人女性たちが、ここまで知的に魅力的に描かれた作品をほかに知らない。本作こそ、黒人女優への偏見を取り除くに違いない。


 


 白人丸出しで嫌な女を演じるキリステン・ダンストなどが脇役にまわり、ケヴィン・コスナーの貫禄と知性の渋さが画面をぐっと引き締める。これまた、まったく新しいエンターテインメント映画と言える。


 


 


nice!(0)  コメント(0) 

ゴダールの『アルファヴィル』 [映画レビュー]

 


ゴダールの『アルファヴィル』(1965年)


 


『ALPHAVILLE』(Jean-Luc Godard, 1965)


 


「続編」の、「新ドイツ零年」の方が有名だと思われる、もとになったフィルムだが、もともとハードボイルドスターの、エディー・コンスタンスが、地球外の星のアルファヴィルという都市にやってきて、なにやら「調査」する。その都市を牛耳っている「博士」と接触を図ろうと、まず彼の娘の、アンナ・カリーナ扮するナターシャに接触する。すべてコンピュータの「ロジック」によって管理されるアルファヴィルは、コンピューターの「ハル」によって支配されていた、『2001年宇宙の旅』を思わせる。両者とも、近未来を描きながら、すでにして2017年を生きている人間の目からすると、ファッション、メカニズムの設備、建築物、古びている。しかも、ドラマの手法も荒い。


 たとえば、クリスファー・エフロンの『ダンケルク』などからすると、隔世の感がある。村上春樹は、いまだ、こうした、アメリカ産ハードボイルドの手法を用いているのだが。つまり、「探偵」は、悪い世界に住んでいる女を「救出する」。それはとりもなおさず、女が「愛に目覚める」時である。すべコンピューターのロジックに支配される非人間的な世界の育った女は、「探偵」によって愛を知るのだが、そのへんがよくわからない。ほんとうに本作は、ありがたいのか(笑)? ゴダールはそれへの反省から、『新ドイツ零年』を撮り、探偵レミー・コーションを、すでに壁の壊された旧世界の、小野田寛夫中尉のように「出現」させねばならなかったのではないか? 「続編」などと言いながら、両者はまったくべつのコンセプトの映画に見える。後者では、色の美しさや画面の斬新さが印象的だ。


 このたび、ドイツ製のDVDをAmazonで購入したが、家に、アメリカ製のVHSがあった。「未来都市」などと言いながら、登場人物たちがしゃべっているのは、まぎれもないフランス語で、ホテルの受付なども、パリを思わせるのが、愛嬌か。字幕は、英語と複数のヨーロッパ語から選べるが、英語字幕でも台詞が短いので、日本語字幕を見ているような気がしていた。フランス語もほとんど聞き取れるレベルなので、なんの違和感もなく見ていた。


 


 


alpha.jpg

wangoda.jpg

wa170929_2.jpg


nice!(1)  コメント(0) 
前の10件 | - 映画レビュー ブログトップ
メッセージを送る