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『ボン・ボヤージュ〜家族旅行は大暴走〜』──おフランスは助けてくれる。(★★★★★) [映画レビュー]

 

『ボン・ボヤージュ〜家族旅行は大暴走』(ニコラ・ブナム監督、 2016年、原題『A FOND/FULL SPEED』

 

 本作の前に、いかにもイタリアの、イタリア映画を観て、それから、これを観ると、両者の違いがよくわかる。イタリアは個人の妄想に終始し、結局他人には興味なく、自分さえよければよく、公共にも奉仕しない。ゆえに、国は滅びる──。ヨーロッパでの発言権はなく、ただ「過去の栄華観光」に頼るのみ。

 

 一方、おフランスは、おバカを装うと言うより、精一杯楽しみながら、言いたいことを言い合い、生きたいように生きながら、他者を助ける。

 

 Taxiシリーズを彷彿とさせる本作で、Taxiでは、庶民の意地をスピードで見せるタクシー運転手の車は白のプジョーであったが、本作、整形外科医と精神科医のエリート夫婦の、とくに、整形外科医の夫が選んだ車は、真っ赤な……メドゥーサという怪しげな車。架空のブランドでなければ、ヤバいストーリー(笑)。

 

 AIで制御された最新式のメドゥーサであるが、ゆえにか、制御不能になる。このあたり、すでにして、おフランス得意の皮肉が効いている。車は停めることが不能の走る凶器となる。家族+ジッサマが拾ったヒッピー風女を乗せた密室劇が、延々と展開される。それに、高速道路警察(?)のアベック「白バイ」やら、BMWに乗る、とばっちり受けまくりのアンチャン、夫の患者でボトックス注射の副作用が出ている(それをリアルに描いているのも、またおフランスのブラックユーモアのすごさである)バッサマと、妻のためにクレーム電話を医師にかけてくる、その連れ合いの車、メドゥーサを売った営業マン(営業所では、またメドゥーサが売られつつあり、早くから、不具合を露呈している(笑))などがからんでくる。道路は何度も「渋滞注意報」が出てひやひやさせる。

 

 そして、高速道路警察は、いかなる手段を取っても、彼らを助けようとする。事故車輌と平行して車を走らせ、まずは子どもと若い女性を、警察車に窓から移らせる。このようなことなど現実は不可能だと思うが、おフランスの警察はやってみせる。そして、最後は、ヘリコプターを飛ばして、妊婦の妻と、夫とその父の老人の乗った車をつり上げる。

 これを考えつき、決定を下すのが、卓球マニアのオバチャン上司。なにかと言えば、卓球のラケットでバシバシ部下の若い男を叩く。

 結局、国民を助けてくれる国は、おフランスである。どんな手段を使ってもね。亡命するなら、やっぱり、マクロンのいる、おフランスだ! 車にもキャラがあるところがすごい!

 終わりの暗転後に響き始めるクールな音楽も、Taxiっぽくキマってるナ。

 

 余談ですが、私はわんこ散歩で、この「お盛んジッサマ」を演じた名優、アンドレ・ドゥサルディエが朗読する、プルーストを愛聴しています(笑)。

 

 


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『おとなの事情 』──イタリア的なあまりにイタリア的な(★★★★★) [映画レビュー]

『おとなの事情』(パオロ・ジェノヴェーゼ監督、2016年、原題『PERFETTI SCONOSCIUTI/PERFECT STRANGERS』)


 


 月食の夜、夫婦単位の会食パーティー。獣医の女性とタクシー運転手(ヨーロッパ先進国は、車の「持ち込み」が多く、誇りを持った職業)の男性は、25ユーロの有機ワインを持って行く。「会場」は、整形外科医の夫と、心理カウンセラーの妻のカップルのアパートメント。ほかのメンバーは、弁護士の夫と、なんの職業か忘れたが(笑)、それなりに活発で知的な妻。彼らの「おみやげ」は、手製のティラミス。でっかいスクェアな容器に入っている。まずは三組のカップルが集まって、食べながら、いろいろ近況などを話し合う。最初の方で、医者のカップルの反抗期の17歳の娘がデートにでかけていく場面がある。娘と母の関係はよくない。母は娘とボーイフレンドの関係を心配している。


 あとひとり、彼女ができたばかりの男を待つが、彼女は風邪引きで来られないといって男だけ来る。みんなはどんな彼女か期待していたのだが。


 やがて彼らは、互いの「お悩み」なんぞを話し合い、ときどき隠れゆく月をバルコニーから眺め……お料理をつまんで……まあ、豪勢なマンションである。キッチン、リビング、食堂が、ちょっとしたしきりに隔てられながら、解放的でもなく閉塞的もなく、空間の感じが心地よい。


 カウンセラーの妻(エヴァ)が、ちょっとしたゲームを提案する。その前に、最近ハイテク事情について、ちょいと世間バナシをする。WindowsとMacの、どっちが「男」で、どっちが「女」か、なんて考えたこともなかったが、さすがイタリア人である。そしてこのゲームも、やっぱりイタリア人しか考えつかないかもしれない。自分たちのスマホをテーブルに出して、かかって来た電話に出て、スピーカーにして話そうということ。べつにやましいことがないなら、できるでしょ? てなもんである。みんな、いいよ、いいよ、と気安く言ってみせるが、しだいに……。


 かかってくる電話は、ひとつひとつ、複雑な「秘密」を明るみに出す。おもろうて、やがておそろしきスマホかな。である。夫婦はしだいにバラバラになっていく。彼女が来られなかった男の、彼女とは「彼」だった、とか(笑)。


 泣き、わめき、パーティーは修羅場と化す。いっしょに来たカップルたちはバラバラで帰る……と、思いきや、結局はもと来た相手と帰宅する面々だったが、スマホには愛人からのメールが入り、ちゃっかり答えている面々だった……って、なんなのこれ? 日本では絶対にあり得ない、映画でした。住宅も含めて。まず、日本の住宅では、同じようなスジが展開しても、どこかおしゃれな、乾いた感じにはならないだろう。べつの陰気な物語になっていってしまう(爆)。



 


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『ボンジュール、アン』──ダイアン・レインに免じて星三つに変更(★★★) [映画レビュー]

『ボンジュール、アン』(エレノア・コッポラ監督、2016年

 、原題『BONJOUR ANNE/PARIS CAN WAIT』)

 

フランスの庶民のオッサンとか、若者でもとくに風采のあがらないやつはだいたいあんなもので、何にでも蘊蓄傾けたがるし、エンゲル係数はかなり高いなー。夫がアレック・ボールドウィンで、あんなオッサン(有名な俳優かも知れないが、私は知らなかった)と浮気はありえんワ(笑)。私はもっと、すてきな景色と男性かなと思っていたら、それほど美しくもないし、判で押したような名所めぐりで、監督のコッポラ夫人、エレノア(82歳)も、なにか思い入れがあるのかもしれないけど、いかんせん、センスが古すぎる(笑)。

 

 私の観察では、フランスの(庶民の)男はだいたいこの映画のオッサンみたいにマメオクンだが、イケメンは違うんじゃないか? イケメンとつきあったことないので、なんとも言えない。これが、ギャスパー・ウリエリだったら、話はもっと別のものになってくる。いくらデブっても、まだドゥパルデューの方がマシだった。デュパルデューが次から次へ、蘊蓄を傾けながら、こってりフレンチと名酒のワインを飲みまくって、南仏を案内してくれるというのなら、これまたブラックな話になったかもしれない。

 

 しかし、誰も、魅力的な俳優は出てくれなかったのか。と思ってしまうような、相手のオッサンの魅力のなさ。52歳になっても、どこか少女っぽいまなざしと仕草を残すダイアン・レインは、ファッションのセンスもいい。こんなオッサンに、ダイアンはもったいなすぎる。仏俳優、クリストファー・ランベールとタンゴを踊って恋に落ちたダイアンなら、フランスを知らないわけじゃなし。今は3歳下のジョシュ・ブローリンを夫にして、いい男ばかりとつきあってきた彼女からしてみれば、このオッサンはないワ。しかもキスまでさせてほしくなかったナ、バーサン(爆)!

****

 

 きびきびした動作が自然で好感が持てるし、清潔感もお手本になるダイアン・レインに免じて、星三つに変更しました(笑)。



 


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『ライフ 』──リアルな科学物(★★★★★) [映画レビュー]

『ライフ』(ダニエル・エスピノーサ監督、2017年、原題『

LIFE)

 

『デンジャラス・ラン』で、CIA捜査官のリアルな内面を描き、ベテランの凄腕(デンゼル・ワシントン)と、新米(ライアン・レイノルズ)の対比を描き、『チャイルド44 森に消えた子供たち』で、ロシアの秘密警察が「まともな警察」へと成長していく姿をじっくり描いた、ダニエル・エスピノーサ監督が、まさかの、「エイリアン猿まね、ドタバタB級宇宙ホラー」映画などを作るわけがない。

 本作は、まぎれもなく、「リアルな」科学モノで、まず、地球外生物の「デザインがだめ」というバカがいたが、あんたねー、「人間」がそのまま存在したとでも思ってるの? 40億年前に、地球がまだ超新星の残骸で、太陽を中心に回転し、鉱物微粒子などと合体して「惑星」の形になった頃、隕石が多量に降って、その隕石のなかに、炭素が含まれていた。またケイ素も含まれていた。この炭素がしだいに「生命」へと変化し、ケイ素は岩石などへと変化していく。地球に「生命」が誕生し得たのは、太陽からの微妙な距離と角度と、自転しているという奇跡的なものだった。一方、昔からSFでは、すぐに火星人が登場する。というのも、火星には、わずかに「空気」が存在すると推定され、地球によく似た環境を持った星だったからだ。今回の映画で、私が考えたのは、そうか、ケイ素(シリコン)が変化すれば、蛸みたいなヒトデみたいな、クリオネみたいな形体なるかもな。そして、希薄な空気のもとで生き延びる条件として、「空気のないところでは冬眠状態」となるのだ。

 舞台は、地球外に作られた国際宇宙ステーションで、このあたりは、むしろSF古典『2001年 宇宙の旅』を思わせる。映画.comだかなんだか、「あらすじ」も「解説」も、違っているし、ズレているのは、関係者各位、本作の「情報」を読み取れなかったのか? これは「極秘の研究」ではなく、「ピルグリム」と名づけられた、全世界の夢を背負った一大プログラムなのだ。ゆえに、全米の小学生の代表が、火星から採取された「生物体」に、「カルビン」と名づけたりする。

 このあたりから、「人間」の思考のマチガイが始まる。AIというものにも、(メディア関係者ですら)大きな誤解がある。というのも、AIはただのプログラムで、成長しているように見えるのは、「選択」がプログラミングされているからだ。AIに感情はない。それと同じように、「生命体」に感情があるとはかぎらない。勝手に、自分たちと同じような生き物と、思い込んだのは大きなマチガイなのだった。

 そういう、ある意味、既視感のある物語に、宇宙ステーションの様子や、そこからの地球の見え方など、かなりリアルと思われる、いや、ほんとうは違うかもしれないが、すばらしく美しい映像を挿入している。

 そして、6人の「宇宙飛行士」と解説では、ざっくり書かれている「研究員」も、ハードなメカニック、医者、生物学者、実験装置のメカニック、汚染管理官、研究者全体を率いるリーダーと、分野が明確になっており、それぞれに職務に忠実であろうとしている。とくに、レベッカ・ファーガソン扮する汚染管理官は、研究室(ラボ)、その続きの準備室、一般居住区と三箇所に区切られている場所の、汚染を避けることを常に配慮している。

 この「生命体」は、結局、人間を食い尽くすものだったので、地球に持ち込まれてはならないのであるが、生き残った二人、ファーガソンと、「無重力滞在が最も長い」医師、ジェイク・ギレンホールが、それを全うしようとする。ステーションには2台のモジュール(小型宇宙船)があり、1台は宇宙の彼方へ、もう1台は地球へ帰還するよう、あらかじめ設定されているのだが、ギレンホールが「生物体」をおびき入れて宇宙へと消えるから、ファーガソンは地球へ帰還する方へ乗るように言う。そして──。そのとおり、宇宙の彼方へ向けて飛んだギレンホールは、「生物体」に侵入され悶え苦しみ、ファーガソンが、地球に向かいながら、できごとの一部始終を報告する……。あ、ここで終わりかと思いきや……。

 モジュールは大気圏を通過、どこかの海に着水。のどかな漁船がそれを見つけ……あ、触るな!扉は灼けるように熱いぞ!と思っていると、いとも簡単に手をかけ、扉をあける──。「あ、だめだ、近づくな!」そこに、「生物体」のたこ足に巻き付かれた……ジェイクがいた……。Chan、chan〜♪

 

 やはり、主役は生き残る(笑)。そして、「生物体」を地球に引き入れてしまった……。題名をなんとかしろって意見もあったな。それは、あんたの頭が汚染されている証拠。これはテーマでもあるんです。ライフ。ライフとはなにか?

 人間だってもとはこんな姿で、40億年かけて、今の姿になったんです。同じだけ時間が流れても、火星にいると、進化のしかたがちがったんです(笑)。

 

 暗転。音楽がよい。どこにも甘さのないクールな曲。




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『ミューズ・アカデミー』──スペイン語に侵入されるイタリア語の美しさ(★★★★★) [映画レビュー]

『ミューズ・アカデミー』(ホセ・ルイス・ゲリン監督、2015年、原題『LA ACADEMIA DE LAS MUSAS/THE ACADEMY OF THE MUSES』

 

 ミューズというと、俗人は、芸術家が勝手に、恋愛相手の女性に与える「称号」のようなものに思う。とくに日本人は。そうやって、大御所でも駆け出しでも、女漁りの言い訳にしたりする。谷崎潤一郎のミューズは、のちに妻となった谷崎マツコ……もとい、松子夫人である。体型を崩さないために、妊娠したのに、出産を許さなかったとか──。なんとも勝手な「ミューズ礼讃」である。そういうのが下地にあるから、あまり見る気をそそられなかったが、現実のイタリア人教授が、バルセロナの大学で、独自の「ミューズ学」を展開し、教え子や妻と渡り合っていくという内容を知って興味をそそられた。これは絶対見ないと、わからない部分があると思った。

 

 事実その通りだった。とくに教え子たちとも関係を持っているようで、そのあたりは、現実なのかフィクションなのか……。微妙な陰影、光、光が作る形、などを自ら撮影し、まんまゴダールの影響もあるかと思われるが、虚と実の境界線が、車のウィンドウを通した(決して「内側」からではなく、あくまで「外から」撮影)人物の表情のなかに溶けていく──。そして、高度な「ミューズ論」。

 

「ダンテはベアトリーチェというミューズを創り出したんだ」と、教授は言う。ミューズによって芸術的インスピレーションを与えられるというよりも、詩人自らがミューズを創造していく、それが「詩」なのだ。

 

 どうにも勝手な論理のようだが、教授 V.S. 女の教え子(確か聴講は女性のみ(笑)?)と、いっしょに聴講している彼の妻で文献学者で評論家の知的老婦人。このカップルは、サルトルとボーヴォワールのようである。しかし、おフランスと違って、ラテン系は、いかにも自然である(笑)。

 

教授、イタリア人、妻、スペイン人、場所はスペイン、バルセロナ、女子大生たちも年齢はばらばらに見える。おそらくは、外部にも開かれた「ミューズ学」なる講座なのだ。

 

 スペイン人の聴講生たちは、教授とはイタリア語を使う。イタリアのサルジニア島へ、羊飼いたちの生活をフィールドワークに行く、ひとりの聴講生(小娘というより熟女に見える)といっしょに。彼女は羊飼いの、自然から受ける音、鳥の鳴き声、風など、それらは目に見えないが、を説明されて、彼に恋する──。

 

 つまり、恋愛とは、言葉なのだ。そして、おそらく、日本にはない、そういうことを知らされる。そして、スペイン語に侵入されながらも、毅然たる美しさを放つ、イタリア語の響きに魅了される。





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『パリ、恋人たちの影』──「見ること」の喜び(★★★★★) [映画レビュー]

『パリ、恋人たちの影 』(フィリップ・ガレル監督、2015年、原題『L'OMBRE DES FEMMES/IN THE SHADOW OF WOMEN』)

 

Duras ou Garrel peut-être, parce qu'ils sont plus près du roman pur, si l'on peut dire, ou de la peinture. Moi, j'ai toujours bien aimé les deux. Et puis ce qu'il faut inventer, c'est le système dans lequel on peut créer.

(Entretien réalisé par Jacques Drillon, Le Monde de la Musique,no55, avril 1983, "Jean-Luc Godard par Jean-Luc Godard)

 

(あるインタビューで、ゴダールは自分は作品を創作はしていない(アレンジなどをしているにすぎない)と言い、「ドュラスやガレルはそれをしている。彼らの作品は、ぼくは好きなんだが、純文学や絵画に近いのだから。というのは作品を創作できるというのはシステムなんだ」(1983年、『ル・モンド・ド・ラ・ミュジーク』誌のための、ジャック・ドゥリヨンによるインタビューより)

 

*****

 

 男と女がいる。彼らは夫婦である。夫はドキュメンタリー映画を撮っているがいまだ認められない。妻は自分の道を捨てて、夫の制作を手伝っている。夫がふとしたことで若い女に出会い、肉体関係を持ち、それを続ける。しかし、夫の愛人は、妻の方も男と会っていることを目撃して彼に告げる。自分の浮気は隠し、妻を責める夫。途中、夫の仕事として、レジスタンスの老闘士へのインタビューが挟まれる。いったんは言い合いして別れてしまった夫婦が、このレジスタンス老闘士の葬式で出会う。そして、よりを戻す──。てな話はどこにでもある、かもしれない。お話はどうでもよくて、「眼に」残るのは、夫の愛人の、アルモドバル映画系のブスぶり、妻の母親の、みやこ蝶々+京唄子(古いか(笑)?)ぶり、老闘士(これが、大嘘で、実はナチ系と、葬式時に、妻のセリフで知らされる)の妻のマルグリット・デュラス風よぼよぼでも、インタビュー中、クッキー缶を持ち出して「どう? 私が作ったのよ」などと、主張するぶり……などなどが、白黒フィルムの、「影」が美しい構図の中に配置され、ゴダールが大好きな「見ること」の喜びを、われわれにも教えてくれる。雰囲気はクラシックながら、ケイタイ電話なども出てくる、まぎれもなく「現代」なのである。

 

 

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『パトリオット・デイ』──ケヴィン・ベーコンが渋い(★★★★★) [映画レビュー]

『パトリオット・デイ』(ピーター・バーグ監督、2016年、原題『PATRIOTS DAY』)


 


 2013年のボストンマラソンの「テロ」事件は、ある意味前代未聞だった。テロというと、普通、建物や乗り物の、「密室」に近い場所が標的にされるのだが、マラソンコースという「開いた」空間が標的にされた。なるほどそこには、「群衆が集まっている」。テロの目的は、「なるべく大勢の人間を殺してアピールすること」である。その意味では、これも「アリ」のテロ対象だった──。


 開いた空間ゆえに、死傷者の数は閉鎖空間よりも多くないが、人々を恐怖に陥れたことには違いない。すでに結果はわかっている「実話」を、どのように映像化していくかが本作の焦点であるが、まず、これまでに例がない開いた空間における爆発ゆえに、すぐにテロとは決めつけない慎重な態度が、ケヴィン・ベーコン演じる、FBI特別捜査官、リック・デローリエの登場で示される。主演はマーク・ウォーターバーグ扮する、殺人課だが、やりすぎの失敗によって、懲罰として「警備」に格下げされていた、トミー・サンダース、ボストン警察巡査部長である。この役は本作のために作られた役で、よくある「熱血警官」で、彼を中心人物に据えることによって、地味に陥りがちな「実話」がドラマ性のあるものになって観客を惹きつける。


 しかし、タッチはあくまで、ドキュメンタリー風、いや、ドキュメンタリーよりも臨場感が強調されている。『ユナイテッド93』のように、犯人側もきちんと描き、それが、監視カメラやコンピューターの解析によって、特定されていくさまをていねいに描いている。何ごとが起こったかわからない爆発事件が、テロと特定された瞬間、画面が変わり、特別捜査本部が設置される。このあたりの「切り替わり」は、現実のことだが、一般民衆はそんな場面に立ち会うことはできない。しかし、本作は、そんな場面に、まるでFBIの特別捜査官になったかのように「立ち会う」ことができる。そして、知らぬあいだ、感情移入しているのは、主人公の、ほんとうは「いいやつ」のウォールバーグではなく、渋いケヴィン・ベーコンなのである。「テロと特定してしまったら、やっかいなことがいろいろ起こる」だから、慎重に捜査を進めるべきだと、ケヴィン・ベーコンのデローリエ特別捜査官は主張する。この、デビュー当時は、踊りまくっていた(笑)若者が、いつしか渋いオジサンになっていたのであるが、途中、少年愛の変態みたいなのも演じたが、今は誰よりもFBI特別捜査官が似合う、クールな俳優になっていた。彼をマークできるかどうかで本作が、「愛なんだ!」とお気軽に叫ぶ警官物語になるか、社会における「テロ」という言葉の重要性を認識する機会になるかに分かれていく。


 


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『スウィート17モンスター』──渋いおとなの男の映画でもある(笑)(★★★★) [映画レビュー]

 『スウィート17モンスター』( ケリー・フレモン・クレイグ監督、2016年、原題『THE EDGE OF SEVENTEEN』)



『トゥルー・グリット』のヘイリー・スタインフェルドはもう20歳の「おとな」。それがちょっと「幼い」役を演じる。『トゥルー・グリット』では、14歳にしてアカデミー賞ノミネートで注目を浴び、「ファッションにすごく興味がある」と言っていたのが印象的で、本作でも、まさに「ぴったり」の、背伸びしすぎないカジュアル(とくにスニーカー!)ファッションが健康的で品がある。肌の露出は、一般的な同年ティーンエージャー、アメリカ娘と比較するに、かなり少ないと思われる。変人こじれ娘の唯一の親友は、顔もスタイルも、ヒロインより「ちょい落ち」はお約束か(笑)? スタインフェルドの方が、背は高いし、スタイルもよく、だんぜんかわいいのであるが、この「凡庸な風貌」の親友が、ヒロインの、イケメン+人柄よしの兄と恋に落ちる。途中、アジア系の同級生男子が出てくるが、大金持ちの子息らしいこの男子もさることながら、ヒロイン、ネイディーンの家にも「プールぐらいはある」。パパは死んでも、中流維持。そんな恵まれた環境での「こじらせ」青春である。こんな幸せな青春が送れる少女たちが、いまのアメリカにいったい何%ぐらいいるのか? それでも、「等身大」のこうしたドラマは人々を癒す。


 しかし、注目は、ママ役の、キーラ・セジウィックである。ケビン・ベーコン(べつに変態ではなく(笑)、素は知的な雰囲気のようです)夫人のこの女優、テレビ・シリーズの『クローザー』で人気。私もAmazonでDVDを買って観た。FBIの凄腕捜査官の淑女が甘い物フェチで、事件解決後、毎回、オフィスの机の引き出しから甘いチョコバーなどを取りだし、一口かじり、「あ~、あ~、うっふ~ん」ともだえる。この意外性がハマる(笑)。ジュリア・ロバーツにもちょい似た風貌。そういうママである。


 そして、きわめつけの先生。ネイディーンの高校の担任の教師。よくあるぼんやり禿げの中年男。しかし、これをウディ・ハレルソンがやるとなると、思わず膝を乗り出す。思えば、スタインフェルドに対抗できるのは、彼だけ。しかも、高校教師という、「最も似合わない」(爆)役。

勝手にハジけて傷ついたネイディーンが、最後の頼みの綱として連絡した教師。ドーナツショップの椅子に座って待つネイディーンを迎えにいく。店を出がけに、「ドーナツは買ったか?」。「ううん」と首を横に振るネイディーン。なにも買わずに店で待っていたのである。教師は「しゃーないな」という顔を一瞬して、ショップのレジ近くに置いてある「寄付の瓶」にお札を突っ込んでから出ていく。いや~おとな! おとなはこうあるべき。そんなハレルソンをもっと見ていたい!ティーンの映画ながら、渋いおとなの男の映画でもある(笑)。


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『メッセージ』──ソシュールもびっくり(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2016年、原題『ARRIVAL』)

 

 地球外から「宇宙人」が来た場合、スピルバーグの『未知との遭遇』までは、ひたすら「侵略者」で、いかに戦うかが問題であった。しかし、スピルバーグが、「宇宙人」は、地球人から見たら「異形」なれど、友好の気持ちがあり、コミュニケート可能であることを示した。さらに驚いたことに、過去に死亡したと思われた人々がおおぜい、宇宙船からぞろぞろと戻って来た──。本作は、これとほぼ同一の「物語」を当てている。「未知との遭遇」の場合のコミュニケート手段は、「音階」であった。しかし本作は、そう簡単にはいかず、一流言語学者が、軍から呼び出される。この言語学者を、大きな眼差しが「口ほどにものをいう」、やさしいイメージのエイミー・アダムスが演じている。

 この学者が、実に、ソシュール然とした知性と論理と技術を持っていて、それを駆使して、「未確認飛来生物」とコンタクトするのである。この「未確認飛来生物」の、乗り物(『未知との遭遇』では、すばらしく美しい円盤であったが)、姿、言語の表現方法が、まったくのオリジナルで度肝を抜く。

 そして、やはり『未知との遭遇』のように、身近な死者とも関係していることをほのめかす。そして、なんとなく、時間のとらえ方や映像が、タルコフスキー『惑星ソラリス』も彷彿とさせる。おそらくは、それら、SFの名作へのオマージュでもあるのだろう。

 

 さて、本作の監督、ドゥニ・ヴィルヌーブといえば、『プリズナー』から始まって、『複製された男』、『ボーダーライン』と、たて続けに、意欲作を発表し、それらはすべて観て、いちいちウナらされてきたが、本作はその頂点にあるように思われる。ゆえに、次回作『ブレードランナー2049』も、期待される。しかし、その予告篇を観たかぎりでは、本作の方がすぐれているようにも思われる。なんせ、オリジナル『ブレードランナー』に頼りすぎているような気もするからだ。



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10年前のケイシー・アフレック [映画レビュー]

10年前に初めて、ケイシー・アフレックを見て、すごいと思った。その記録があった。彼は、その後も、いろいろ注目されながら、「やっと」、大輪の花を咲かせた。ブレない男。

 

*****

Yahoo! 映画より。

 

『ジェシー・ジェームズの暗殺』 (2007)

THE ASSASSINATION OF JESSE JAMES BY THE COWARD ROBERT FORD

監督アンドリュー・ドミニク

 

「ケイシー・アフレックがブラピを食っていた」(★★★★)

山下晴代 さん 2008年1月17日 3時37分 

 

原題は、『臆病ロバート・フォードによるジェシー・ジェームズの暗殺』……なにやら演劇のような題である。もしかしたら、舞台劇であったものかもしれない。

 19世紀アメリカに実在した「人気者の悪党」と、彼を暗殺した手下の、「歴史的な」できごとを、一巻の映画にしたてた。荒涼とした土地で演じられる、冷えた心理劇……。大味で脳天気なアメリカ映画が多いが、たまにはこうした、ていねいな作りの作品もいいだろう。作り手側の心意気はわかる。しかし、惜しむらくは、名作とはいいきれない欠点がいくつかある。

 1、主役の悪党=ブラピが全然魅力的に見えない。

 2、芸術への色気か、作品が長すぎる。

 3、内容を言葉で説明しすぎている。

 

 以上のような欠点はあるが、導入部の、荒涼とした土地に夜汽車が入ってくるシーンはとても美しいことと、「助演」のケイシー・アフレック(ベン・アフレックの弟)が魅力的であることが本作を星三つ域から脱出させている。

 とくにケイシー・アフレックは、本来なら、主役の悪党を暗殺する卑劣な男なのだろうが、困ったことに彼の方が魅力的なのである(笑)。ま〜、ブラピは、トシのせいか(44才だが、34才を演じていた)、アフレック(32才だが、19才を演じていた!)に完全に食われてましたね。アフレックの、バカを装った純な男の複雑さを表現する「視線」の演技は、見るに価する。よって、「妥協の」星四つ!

 

 あ、でも、やはり、「腐ってもブラピ」ということはある。全然魅力的に見えないとはいえ、やはりこの役はブラピが演じたからこそ、荒涼とした土地に観客の視線を集めえたとも言える。

 だからまあ、「妥当の」星四つか。


 


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