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『文学賞メッタ斬り!』──「メッタ斬り」という幻想(★) [文学]

『文学賞メッタ斬り!』(大森 望 、 豊崎 由美 著、PARCO出版 、2004年3月刊)


もともとは13年前に出た本で、当時はそれなりに話題になった。著者はいまだに、「「メッタ斬りの」豊崎」を看板に、仮想「アマチュア」相手に、エラソーにしているが、どーでしょう? 看板だけ、「メッタ斬り」で、全然「メッタ斬り」になってないのでは? というのも、この方々の本によって、「メッタ斬り」された作家や出版社、賞などが、少しでも影響を受け、反省した、筆を折ったなどの「効果」はほとんど報告されてないからである。


なんでも、Twitterに陣取って、ご自分に関するツイートには即刻反応、まるで釣り堀のサカナのように(笑)食いついている豊崎さんによれば、いままでずっと、芥川賞を「メッタ斬り」し続けている(確かに、「メッタ斬り」シリーズも、「ファイナル」など、続いているようですが、ほんとうに「ファイナル」にされることを祈ります(笑))ということです。ああ、そうですか(爆)。


本というか、商品そのものが売れない時代に、出版社とて、なんとか売ろうとしているご時世に、本気で「メッタ斬り」されて、喜んで掲載する文芸誌もあるまいに、と思うのに、この著者(とくに、豊崎氏ですが)、本気で「メッタ斬り」していると思い込まれているようです。なにかといえば、自分はプロだと言い張り続けるプロなんて、この人ぐらいです。で、書評家という「立ち位置」ですが、評論家とも違うし、作家が書評しているわけもなく、書評家=ライターと思うのですが、どーも、エラそうさに関しては、文豪気取りですナ(笑)。


この人(豊崎氏ですが)、なにか非常に先入観が強すぎて、相手は「素人」、「本も読まずに批判」と、アタマから思い込んでいるフシがあり、まず、基本のスタンスがそれで、これでは何を言ってもまともな論争にはなりません。


いまどき、どこの作家がこの人の「メッタ斬り」を恐れてますか(爆)?

 

****

 

(「ちょっと斬らせて」いただきましたー(笑))。

 

 

 



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ベンヤミン『パサージュ論』考、その1 [文学]

ベンヤミン『パサージュ論』考、その1

仏作って魂入れず、などという言葉があるが、ある意味、ベンヤミンの「パサージュ論」は、「仏」だけでできあがっている。その仏も、断片の仏である。
「パサージュが登場するための第一の条件は織物取引の隆盛である」「第二の条件は鉄骨建築が始まったことである」というところからはじまって、どこまでも徹底的に即物的、今のところは、唯物論的と言う人をも拒まないが。
どこまでも断片と引用を連ねて、ひとつの大伽藍を形づくるつもりだったのか。
パリでは、この鉄骨を使って、いくつもの商店を連ねるガラス天井の屋根を作ったが、ニューヨークでは、鉄骨など使わずに、百階建ての、上方に伸びる建物を造っていた。



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断片としての詩論 [文学]

「断片としての詩論」

ある人がある人に送った冊子で、たまたま送った人とはべつの人の詩を読んだ。そこには、デバイスだの、アーカイブだの、インプットだのというIT用語というのか、そういう単語が、情緒的ともとれる「ストーリー」にちりばめられていた。本人は、それでなにか精神的にハイレベルな概念を説明しようとしたのか、それとも、日常的に使っている言葉を無意識に使ったのか。いずれにしろ、それらの言葉が、その文章を詩ではなくしていると思った。


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村上春樹新作『騎士団長殺し』1部、2部 [文学]

2月24日発売の、村上春樹新作が、Amazonで予約受付中だが、すでに、ベストセラー、1位と2位になっている。
 題名(だけ)『騎士団長殺し』は「今回も」興味引かれた。これといい、前回の「巡礼」といい、「十字軍」が匂う。このネタで発売前までに一作書いてしまおうかな(笑)



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【短歌】20161020 [文学]

【短歌】20161020


 


生け殺し身をまかせつつ契り来し昔を人はいかが忘るる  藤原敦忠


 


ひとである形をなくし横たはる妻なるひとの職業は美容師  山下

 

 



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【冒頭翻訳劇場(柴田元幸氏にならって)】ジェームズ・ジョイス 『ユリシーズ』 [文学]

【冒頭翻訳劇場(柴田元幸氏にならって)】


 


 ジェームズ・ジョイス


『ユリシーズ』


 


 Ⅰ


 


 堂々として、まるまる太ったバック・マリガンが階段の天辺から降りてきた、泡のたった石鹸液の入ったボウルを持って、そのボウルの上に、鏡とカミソリを十字に置いて。黄色い、ベルトを結んでないドレッシング・ガウンが、朝の柔らかな風を受けてふうわりと彼の背後で止まっていた。彼はボウルを高く掲げ、抑揚をつけて言った──。


「ワレハ神々ノ祭壇ニ赴カン」


 立ち止まり、螺旋階段の暗闇をじっと見下ろし、粗野な声で呼んだ──。


「上がって来いよ、キンチ。上がって来い、このバチ当たりのイエズス野郎」


 


*****


 


 James Joyce  "Ulysses"


 


  



Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed. A yellow dressing-gown, ungirdled, was sustained gently behind him by the mild morning air. He held the bowl aloft and intoned :


 _ Introibo ad altare Dei.


 Halted, he peered down the dark winding stairs and called up coarsely.


 _ Come up, Kinch. Come up, you fearful jesuit.

 

 


 


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英訳版『失われた時を求めて』 [文学]

 


  吉田健一が、訳詩集『葡萄酒の色』(岩波文庫)の「付録」の「翻訳論」で次のように言っている。

 

「翻訳は一種の批評である」

 

「翻訳に就て確かに言えることの一つは、我々が原作に何かの形で動かされたのでなければ、碌な仕事が出来ないということである」

 

「原文の所謂意味を取るだけでは原文を理解したことにならない」

 

「われわれが或る作品を愛読するのでない限り、その作品は存在しないのだ」

 

「我々が無理をしてでも何でも、その作品の中に入って行けたと思えなければならないので、そこから翻訳すること自体の問題が始まる」

 

 つまり、吉田の翻訳観は、「対象の再現」である。だから、現実の花に魅了されてそれを絵に描けば、それは「自分なりの翻訳」となる。

 

 *****

 

「スコット・モンクリイフの『失われた時を求めて』の英訳は、原作より優れていると言われている」

 

 『失われた時を求めて』のフランス語の原作は、アンドレ・ドゥサルディエの朗読のCDをiPodに入れて、犬の散歩の時に、もう何年も聴いているから、最初の部分は暗記している。

 

「原作よりすぐれている」と言われる、モンクリィーフの英訳はどういったものか、入手して読み始めている。これは、いかなる事態か? モンクリィーフが、プルーストの原文に感動し、彼になりかわって、ぐじゃぐじゃ、不明瞭な原文を、「ほんとうのあるべき姿」に整理してしまったようである(笑)。

 

 モンクリィーフは、半生をその翻訳に費やして、最後の一巻を残して死んでしまったので、別の人間が引き継いで完成した。

 

 とかく、われわれは、「原文に忠実」なのを、翻訳の理想と考えたりするが、異なった言語間では、それは幻想であろう。

 

 モンクリィーフの『In search of lost time』(『失われた時の探求』)は、プルーストががぜん輝いてくるのである。

 

 もっと穿って言えば、ロラン・バルトなどが、小説というよりも、聖書のような文章だと感じた、「聖なる曖昧模糊」を、確かに「小説」にしたのは、あるいは、モンクリィーフかもしれない。

 

 


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式部の愛 [文学]

 昨日(10月27日)は、満月だった。雲の間を出たり入ったり。こんな月を見ると思い出すのは、あの歌。


 


 めぐりあひて見しやそれとも分かぬ間に雲がくれにし夜半の月かな


 


 これは、紫式部が同じ受領の娘である幼なじみと、束の間の再会をしたときに詠んだと言われるが、その時期は、七月十日、いまの暦でいえば、八月末頃である。


 一方、今の季節にふさわしい歌は、「勤務先」の藤原道長邸の、年下の同僚、小少将の君が宿下がりしている寂しさを、彼女からの歌の返歌として詠んだ以下の歌。そこには、同性愛を思わせるような「愛」が滲み出る。


 


 ことはりの時雨の空は雲間あれどながむる袖ぞかはくまもなき


 


 小少将の君は、道長の「公式の愛人」であったと言われる。そういう「職」があったようである。



IMG_3332.JPG




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伊藤浩子詩作品「過失」について [文学]

 伊藤浩子さんの詩が、『現代詩手帖』9月号の詩誌評に取り上げられているとFacebookに書かれていて、なんとなく見てみると、部分的に引用されていたが、全体がどんな詩なのか、興味を持った。その旨コメントすると、ご奇特にも、その詩誌を送ってくださった。それは『喜和堂』という同人誌で、なんで「喜和堂」というのかなと思ったら、野村喜和夫さんという方が主催されているのだった。
  この詩誌は、A4版で、一般的な雑誌、同人誌に比べて大型なので、目立つといえば目立つ。しかし、その判型そのもののように大味な感じの詩誌である。私も二十歳前後頃は、『現代詩手帖』に投稿していて、投稿欄の常連となって、その頃は、いろいろな同人誌に誘われ、詩人とも交流があった。しかし、今でも疑問に思うのは、なぜ詩人たちは群れるのか? ということである。そういうのがイヤで、「詩活動」はやめてしまった。それから久しいが、また、Facebookの芋づるつながりで、詩人と称される方々、「詩活動」をしている方々と、お知り合いになるようになってしまった。
 伊藤さんの、この詩誌に載った詩は、「企画 ルネ・マグリット展を書く」という「企画」のもとに集められた詩のひとつだった。あまり食指をそそるような企画ではないが、これは、架空の展覧会として書かれているのか、実際の展覧会を見ての詩作なのか知らないが、集められた十人の詩人の詩の中では、頭抜けて求心力のあるものに思った。『過失』という題のその詩は、「Y氏とマグリット展へ行く」ありさまを詩にしているのだが、ところどころの表現は、シュールレアリズムの、あの、間延びした不条理を感じさせる。ところで、最近ときどき、シュールレアリズムなる言葉を聞くが、なにか過ぎ去ってしまってものを蒸し返しているような感じが私はしている。そして、なぜマグリットなのか? マグリットとして、私が思い浮かべるのは、山高帽を被った顔のない、あるいは、顔に中央にりんごか何かが描かれている人物で、それは、正確かどうかわからない。また、ポール・デルボーの絵にもつながっていく。「詩人」たちは、そういう光景に惹かれるのか?
 しかし、伊藤さんの詩の言葉は、Y氏と展覧会へ行くために選ぶワンピースに関しても、「永遠も半ばかと思えるほどの長い袖に腕を通し、片方ずつデザインの違う靴を履く。潮騒がY氏の背中から届く」と、夢の中の文法を損なうことなく描写されていて美しい。正直な人間性が、正直な言葉で選ばれていて気持ちがいい。
 だから、私はやはり、伊藤さんに僭越ながら忠告したいのは、群れないで、Kincos版でもなんでも、個人誌なり個人の詩集にして、作品を世に問うてほしいということだ。
 この詩誌は、編集がぎこちなく、笑ってしまうのは、散文のページで、一人一人の長さはある程度自由でも、詩誌上のページ数はひとりあたり1ページにしているのか、活字の号数がいろいろ違えてあるところである。なんか見苦しい。


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『新潮 2015年 08 月号』 ──「祝 原田宗典復活!」(★★★★) [文学]

『新潮 2015年 08 月号』(新潮社、2015年7月刊)


 今どき文芸誌を金出して買うなどというのは、よほど奇特な人だと思う。なのに、今号、本誌を買ってしまったのは、ひとえに、「あの」原田宗典(250枚一挙掲載)があったからである。「あの」というのは、やはり「クスリで捕まった」という事件の、である。「文学界の田代まさし」まではまだいってないとしても、「あの」田代まさしが、NHKの大河ドラマ準主役で「復活!」ぐらいの衝撃は、一部にはあったと思う。少なくとも私にはあった。確かに本作を読めば、「すごい情報」が書かれていました。川端康成が「ヤクを買っていた」とか、「自衛隊ではしばしば訓練中の事故死があり、テキトーに片付けられている」とか、きわめつけは、「日本人傭兵のハナシ」とか。あ、「逮捕前後」、「塀の中」の様子もね。これは、体験した人でないとなかなかかけない。ここでついでに、「新資料」を付け加えるなら、当方も、文芸誌に小説を何度か発表したことがあり、担当者からしばしば原田氏のことは聞いてました。この担当者は、自殺した作家の佐藤泰志も担当していて、担当中に亡くなったので、まー、佐藤泰志は死に、原田宗典は生き残ったのかな、という思いです。ほかに、ぴんぴんして活躍しているらしい奥泉光なんて作家もおりましたが。作家って、やはり大変なものだと思いますね〜。


 あ、この作品は、はっきり言って、作品になってない。書かれている事実はすごいけど。それだけ。なんか、プルースト風な構造を狙ったのかなとも思える終わり方ですが、いかんせん、「たったの」250枚ですから。しっかし、これを書いて、そのあと、なにを書くんですかね? このバリエーションといったところでしょうか? でも、一方で、ハリウッドで映画化したらおもしろいとも思いました。主演の「原田宗典」役は、ジョン・キューザックで。もう彼しかいないと思いましたが、思ったところでしょうがないけど(笑)。


 


 ほかの演し物。古井由吉→もうこのジジイのわざとらしい文章は読みたくもない。


 対談「古典=現代を揺らす」(町田康×古川日出男)→お里が知れる。果たして、どんな底本を、ほんとうに古文から訳しているのか? 案外、角田光代のプルーストみたいなしかけではないのか? テキスト・クリティークの視点皆無の無教養さ。


 ……てなてなわけで、今回、原田さんのために、930円払いました。

 



 

新潮 2015年 08 月号 [雑誌]

新潮 2015年 08 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/07/07
  • メディア: 雑誌




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