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【詩】「若紫」 [詩]

「若紫」

 

ぼつりき

ぎきはは

みせつう

おがうゆ

そ・し・て

わ──は、わらはのわ

か──は、髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして

む──むらさきの紙、武蔵野の露

ら──らうたしのら

さ──さはる事どものありて

き──きみは、三人称

拉致、誘拐、ストックホルム症候群

   かこつべきゆゑを知らねばおぼつかな

   いかなる草のゆかりなるらん


 


【詩】「夕顔」 [詩]

「夕顔」

 

夏の風がきみをその女のもとへ運んだ。

むしろ匂つてゐたのは忍冬で、

十七歳のきみは身体を狂はされ、

その不調が生霊の正体だつた。

だが、恋人は植物のやうにはかなくなつた。

それこそ夕顔の精だつた。

二人して小さな価値をつくつてみないか? ほら

ここに、そろひのタトウなど彫つて

でもきみはあへてぼくに問ふ

ぼくたちの美はどこにあるのか。

それはきみの瞳のなかに

これまで喰らつてきた恥と汚辱が光に変わるとき、

   おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、

   ソラリスにては時はあらず。


【詩】「輝く日の宮」 [詩]

「輝く日の宮」

 

【削除】された章に棲むのは

ビッチ? ウィッチ? それとも、

某国首相に名誉博士号を与えた、「もうひとつの北朝鮮」?

継母との契りへと至る章から始まる物語に、

ムーサたちもバツカスの信女たちも、

狂喜乱舞したに違いないその、

喧噪の名残だけとどめて式部と仮に呼ばれる書き手は、

絶世の美男を生むために、そのBirth Motherについて書き出す

いづれの時空にか、地に墜ちていく国家

あまたさぶらひたまひける時に。

サムライの時代の終わりに、

おフランスはパリにて軍隊と工場を視察

後、すばらしき近代国家成立。

あの章を燃やしたのは失敗。と、女流作家はすね毛を剃りつつ




【詩】「空蝉」 [詩]

「空蝉」

 

はにおくつゆのこがくれて、

歌ひとつつくれぬ女ゆゑ

せめて伊勢よりひきて残す。

式部はなにを思つたか、

若き後妻のされかうべの

空蝉よりかろきに、

つれなきひとに見せかけて

おん手習取出たり。

ものはづかしきここちして、

この巻の発端は別に端を

起こさずして前章よりひきつぐは、

これまたひとつの技法なり。

十七の夏を映す鏡の、

なを人がらのなつかしきかな。




【詩】「ファウスト」その2 [詩]

「ファウスト」その2


 

足かけ60年にもわたって構想した『ファウスト』は、結局、ホメロス、ダンテ、シェークスピアのごった煮。そのすべてに対するオマージュだ。

日本語訳は、新潮文庫の高橋義孝をはじめ、2000年頃、ほぼ同時に、柴田翔訳(一巻本、講談社)、池内紀訳(二巻本、集英社)が出ている。柴田訳は、高橋訳に添っている。池内訳は、独自な言葉遣いの訳だ。ほかに、岩波文庫版もあるが、私は高橋義孝のファンなので、新潮社文庫を取った。ほかに、ドイツ語と英訳の対訳版を参照している。しかしこの版は、途中(ヘレネーの挿話など)が省略されている。

はてさて、ゲーテという「詩人」は、なにを考えていたのか。

「ファウスト」はもともと、十六世紀後半のドイツで、ドクター・ファスウトという人に関する伝説が巷に拡がったものである。

なんでこんな伝説ができたのか? 知的好奇心旺盛で、いろいろなものを探求していた人である。

尾ひれが付き、伝説はイギリスへ渡ってマーロウが戯曲化した。シェークスピアは書いてないが、『マクベス』『テンペスト』などにそれらしい雰囲気が残る──いや、これは、むしろ逆で、ゲーテの「ファウスト」がそれらを取り込んだに違いない。

ゲーテは、この劇のなかで、いろいろなものにしゃべらせる。なんでも口をきくのである。たとえばこんなふうに──。

 

ネット   おれはもともとアメリカの軍事目的で開発されたんだ。「アルパネット」と言ってな。


グーグル   やたらとおれを「現代」の題材と考えるが、おれの前には、「検索」は「あらかじめ自ら登録したもの」しか表示されなかったんだ。「エキサイト」とか、いろいろな検索エンジンがあったがな。そのエンジンごとに、登録してまわらなければならなかったんだ。そのうち、「一発太郎」という検索エンジンができてな、そこに一括して登録すればよかったんだ。「いま」、グーグルは勝手に情報を拾うが、それもプログラミングで操作されてるな。


ネット   ネットのない18世紀に、ゲーテは、きわめてネット的かつグーグル的な劇を書いたんだ。


グーグル    ほんま、こいつのアタマどーなってんねん。


2ちゃん   おれも18世紀に生まれれば天才。


ネット   でもさ、なんで「天使」なの?


グーグル   その前に、「悪魔」だろ?


ネット   反キリスト思想だな、ゲーテって。


グーグル   それを言うなら、反プロテスタントだろ。


2ちゃん   どーかな? 世界一の美女、ヘレネとヤッて、子どもをもうけるなんて妄想じたいが、変態ちゃう?



天使ガブリエル    るーるーるー。あなたが抱いてるヘレネは骸骨、何千年も前に死んだ女。女であることさえ、人間であることさえ、骸骨であることさえ、わからない。


メフィストフェレス    うるさいナ、おまえは、処女の芋娘相手に、「受胎告知」をしてろって。


天使ガブリエル    るーるーるー。それは、「外伝」にあるエピソード。ムハンマドは、年上女房〜。


メフィストフェレス    どーゆーカンケイがあるんだ?


天使ガブリエル    カンケイあるでしょ。


メフィストフェレス    そうかね?  ほら、リストは、おいらのワルツを作ってくれてる。


天使ガブリエル    それこそカンケイないでしょ。


 ★


あんな長い戯曲? どうやって上演するんだろ? 江戸時代の歌舞伎も、一日中やっていたというけど。

最後に、ファウストは死んでいく。こんなふうに言って。


Zum Augenblicke durft ich sagen :

Verweile doch, du bist so schon !


この瞬間に向かって、こう言ってもいいだろう:

止まってくれ、おまえは最高に美しい!


「時間よ〜、止まれ〜、ううう〜」

って、矢沢のエイチャンじゃん(笑)。


ツィッター    この場合、一般的な時間に向かって言ってるわけじゃないんです。ファウストは、「この瞬間」、つまり、死を前にした瞬間が美しいと言っているんです。そして、その瞬間を「止め」、その瞬間のなかに、永遠にとどまろうと。


(小鳥の羽音)

 


(完)


 


【詩】「まだ夏が好きなのだろうか?」 [詩]

「まだ夏が好きなのだろうか?」


 


ブックオフ(オンライン)へ出すための本を、

リビングの扉付きの、いつもは見ることのない本棚で探していると、

昔の同人誌仲間だった詩人の、

薄い、けれどハードカヴァーの詩集が出てきた。

もちろん、ブックオフには出さない。

出したところで値段はつくまい(と、思われる)。

あらためて読んでみると、昔はわからなかった魅力が

今はよくわかって、言葉を最小限に使おうとする詩人の

筆力のようなものに感心した。

この詩集は、なんらかの賞を取るべきだった──。

しかし詩人は、切り詰めた表現の現代詩さえ長すぎると思ったのか、

俳句の方へ行ってしまった。

われわれの交流は、それよりはるか昔に途切れ、

途切れた時点も、理由も、明確だ。

そう、ある意味、「青春」をともにした詩人であるが、

すでに「階層」が違っていた。

詩集の中に描かれている、というより、大学生の甥の視点で描いた作品は、地方に住む詩人が、東京に出て行き、甥のアパートに、

深夜酔っぱらって泊まり、翌日の午前中には帰って行く、

毎度の様子を描いたものだが、この甥は、叔父である詩人から

こづかいをもらうのだが、今はすでにある分野の有名人の権威と

なって久しい。

すでに三十年経過しているのだから。

詩集のなかで詩人は、少年時代から続く、夏へのある心地よさ、

なんの心配もない家族のなかでの夢心地を、

反芻するように描いている。

妻はかつての高校の同窓生で、

若き恋を実らせ、収入も社会的地位も保証されたような境遇にあり、

楽しみで詩を書いている、

そんな人生、、、

つまりは、この私とは、なんの関係もない人の人生。

ネット活動は、卑しい、「アカ」じみた人間のすることか?

そう思っていないまでも、詩人、いまは俳人?  は、

ネットには姿を現していない。

短い、さっぱりとした詩が十四編収まった詩集の、

終わりまで読んできて、最後の表題作は、

「私は夏が好きだ」と始まる。

そして、私はふと思うのだ。

この人は、すでに老いの領域に足を踏み入れて、

まだ夏が好きなのだろうか?  と。

 

 

 



【詩】「トゥルー・グリット」 [詩]

「トゥルー・グリット」


 

母は、33歳ぐらいから74歳ぐらいまで、

くる日も

くる日も

くる日も

くる日も

くる日も

くる日も

くる日も

くる日も

くる日も

くる日も、

工場で、正社員、のちに熟練工として働いてきた。

3人の子どもの授業参観日の日には早退けして必ず出た。

工場は、はじめ、歩いて1分のところにあり、蠟引き紙を

生産していた。それを貼り合わせて、袋を作る、内職要員を、

近所に抱えていた。母も最初は内職要員だったが、まだ若く、

働きものだったので、見込まれて、正社員になった。

そのうち、工場は職種内容を変え、

佃煮などのプラスティックの袋の上部の、絵や文字を

印刷する、印刷工場になった。

母は、「色出し」に優れ、会社にとっては、なくてはならない人になった。勤続何十年の熟練工として、表彰されたこともある。

その時の母の写真は、帽子をかぶって、前掛けのようなもをして、胸を張っている。まさに、どこかの国の労働者の模範となりそうな写真だった。

母は常に、よい食べ物、おいしそうなものは、おしみなく、子どもたちに先に与え、父を家長扱いしなかった(笑)ので、

われらは、貧しいながら健全に育った。

母は、独自の考えを持っていて、ひとがするからといって従うことはなかったし、警察官だと名乗るものも信用せず、「警察手帖見せて」と言った。

そして、会社の社長は、「山下さん、80歳になっても来てよ」と言ったにもかかわらず、74歳あたりの時、ほかのもっと年下の女性従業員二人といっしょに、「やめてください」と言われた。

「あと数年と思ったけど、今までお世話になりました、と言ってしまった」と、母は悔しそうに語った。

そのあと、すぐに、シソの葉を束ねる内職を新聞かなにかで見つけ、電話して申し込んだ。しかし、その仕事先の人は母の仕事ぶりをなぜか気に入らず、すぐに「もういいです」と言われた。

母は一時落胆したが、近所の人の紹介で、今の仕事先の仕事をしている。内容は同じ、大葉を束ねるしごとだ。

それを、要介護5の父の面倒を見ながら続けている。

コーエン兄弟の映画で、『トゥルー・グリット』というのが、あった、利発な少女の敵討ちのハナシだったと思う。

また、最近アメリカの能力開発書に、『グリット』なる題名のものがある。

グリット──すなわち、「続ける力」。成功は、才能でも根性でもなく、ただそれを続けることだという。

『トゥルー・グリット』──ほんとうの勇気、根性、なにより粘り強さ。そう、真に粘り強い人。

その利発な少女が母に重なる。

今度生まれてくる、などという思想に染まってみるとき、やはり、母の子どもに生まれたいものだ。

今も学び、成長し続ける、最高の母だ!

 

 


 


【詩】「生きる喜び」 [詩]

「生きる喜び」


 


 小学校から帰ってくるとき、わが家が見えると、ひときわ貧しさが目立って、それはトタン屋根だったから、恥ずかしくて、たまに、違う町内の同級生がくっついて来ることがあると、自分の家を見せまいとして、違う道を帰ったものだ。


 周囲の家は一応瓦屋根だったが、うちはトタン屋根だった。というのも、もともと父母が結婚した時、ある家の物置を多少改造して借りたらしい。それがわが家だった。最初は水道もなく、隣りの大家から母が水を甕に運んでいた。その甕には、たまに三河一宮の母方の祖母が持って来た、黄瓜が浮かんでいることがあった。


 六畳と四畳半と台所はいつまでも続いて、勉強部屋がないので、みんなが寝静まった夜中しか勉強する「空間」がないので、私は自然夜型になってしまった。


 父母はよく夫婦ケンカをして、止めの入るのはたいてい長女の私だった。自分は悪くないのに、「私が悪かった。許して、ケンカしないで」と父母に謝ったこともあった。


 たいていはお金のことが原因だったと思う。


記憶に残る大げんかは、父か母のどちらかが、ハサミ、母が洋裁で使うラシャバサミを持ち出してがなり合いをしだした時だ。危機を感じた私は、隣りの大家のオバサンを呼びにいった。オバサンがのそのそとやってきて、「まあ、およしんよ、ひろしさん」と声をかけた。


 私は瓦屋根を夢見たし、自分の勉強部屋を願ったし、尊敬できる父親にあこがれたし、ヒステリーを起こさないほんとうの母親がどこかにいるのではないか?と妄想したりした。


けれど、すべて現実で、現実は延々と終わりなく続き、しかし、夫婦げんかはどこかで終わったらしく、父母は別れもせず、家は破産もせず、現在に至っている。


 86歳の母は、87歳の父を病院から引き取り、いまは赤ちゃんが「はいはい」したり、「たっち」したりするのを楽しみにするのに似たような、回復を楽しみに面倒をみている。


彼らはつまり、しあわせだった。


 国を捨てねばらぬことも、自分の家から追い出されることもなく、労働者としてりっぱに働いてきたから、暮らしを立てていくだけの年金はあり、人間としての尊厳を保っている。そして、生きる喜び。

 

 


 


【詩】「いまはひたすら霧のなかをさまよいたい」 [詩]

「いまはひたすら霧のなかをさまよいたい」


 

  分水嶺を超えれば、誰でも死ぬ。しかしその分水嶺というのがどこにあるのかわからない。それはひたすら霧のなかをさまよっているようなものだ。乳鉢を伏せたような丸い山、蛇がうようよいて近づけない山、あるいは私が幼少時に見ていたような、遠州の、三角形をいくつも連ねたような緑の山。いろいろな山を心に浮かべながら、霧のなかをさまよう。国家とか民族とか言語とか宇宙とか意識とか思念とかそういうものはすべて霧のなかに溶けている。決定とか光とか闇とか刑事とか縄とか逮捕とかそういうものもすべて霧が隠している。ギリシア神話では母の女神がアエネーアースを霧で隠す。オデュッセイアーでも女神がオデュッセウスを霧で隠していたように思う。言わば、母心の霧。そんな真珠色の霧に包まれて、どことも、いつとも、しれない場所、時間を、ひたすらさまよいたい。名前も性別も解かれ、変身への欲望も消え失せ、自我も忘れ、頭上にひょいと現れる分水嶺だけ、待っていたいものだ。


 


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