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スキレットで焼き豚 [料理]

はやりのスキレットで、焼き豚をつくりました。栗原はるみセンセイのレシピです。写真は豚肩ロース200グラムぐらい。蓋は必須。

 

 

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『サバービコン 仮面を被った街 』──面白いのか面白くないのか、わからない(笑)(★★★)

『サバービコン 仮面を被った街』(ジョージ・クルーニー監督、2017年、原題『SUBURBICON』)

 

 この映画、面白いのか面白くないのか、わからない(笑)。ていねいな作り、ブラックユーモア、少年役の子どもの利発そうな表情、マット・デイモンの太ったオッサンぶり、差別を強調することにより逆説的にその差別を批判する、ウディ・アレン流とも通ずる自虐的な笑い、近頃悪役が板に付いてきた、ジュリアン・ムーアの余裕の演技……などなど、どこをとっても悪いところはない。

 しかし、本作、1980年代から温められていたというから、温めすぎではないのか? つまり、今のアメリカは、もう、ギャグなのか本気なのか、わからないところまで行ってしまっている。だから「今さら」こうしたものを出されても、そこに、たとえば、『ペンタゴン・ペーパー』のような、今の時代と切り結ぶものがないと、それは、ただの「レトロ」となってしまう。

 

 監督のジョージ・クルーニーは、大統領立候補の意志もあるというウワサを目にしたが、マジか? それとも、本作の次にもどんどん映画を監督していき、クリント・イーストウッドのような名匠を目指すのか? いずれしろ、できは悪くないながら、寝落ちし(笑)、レビューもやる気がでない、こんな作品から言えることは、クルーニーは、映画を本気で愛していないのではないだろうか?





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子曰わく、 [哲学]

七十而従心所欲、不踰矩、(七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。)(孔子の自伝だから気にしないように→ジジイの方々)(訳:好き勝手やっても人間の法則は越えない境地に達したゼ)


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『君の名前で僕を呼んで』分析 [映画分析]

『君の名前で僕を呼んで』分析。

 

 

映画というのは、実は映画館に俳優を見にいくんですね。もちろん、その俳優とて生身の人間だから、実生活は、フツーの人と変わりがあるはずがない。しかし俳優という職業は、訓練によって肉体を作り、また演技術もマスターします。そしてそのうえで、その人の生活史も透けて見える。そういう意味で、アメリカの俳優は実によく訓練されている。演技術のもとになっているのは、いろいろな「メソッド」があるなかで、ロシアのスタニスラフスキーという演出家が構築した、「スタニスラフスキー・システム」ではないかと思う。これは、実際に、自分の肉体を、演じる人物にまで、内面ともどももっていく。私も、少しは訓練の入り口を大学で学んだが、自己暗示によって、存在しないコップを握りしめている「つもりに」なるまで気持ちを持っていくと、実際、手の形もそのようになっているといもの。簡単にいえば、「なりきり」。それをいつでもできるようにする。

『君の名前で僕を呼んで』ででは、31歳ぐらいのアーミー・ハマー(現実は愛妻家の真面目な二児の父(笑))が、24歳の大学院生を演じている。体もだいぶウェイトを落としていると思う。相手役の、ティモシー・シャラメーも、実際には、22歳の成人で、17歳の役をやるためには、だいぶ脂肪を落としていると見た。そして、彼らが、いかにも現実に、上流階級の多感な少年や、教養豊かで魅力的な大学院生がそこに存在しているかに見えたとしたら、それは彼らの演技術が洗練されていることの証左なのだ。

とくに、アーミー・ハマーの「美」と、自然な動きは、すばらしいものであったと思う。彼は事実、美術館を所有する一族の子息だと聞いた。そういう育ちのよさも出ているのだろう。

この映画の魅力は、今から35年まえの北イタリアの保養地で、しばらしい太陽、自然、などが溶けているなかで、ある感情的なやりとりがあり、また、古代ギリシア、ローマ美術などの文化にも言及され、実際の発掘(地中海の中から)の様子などが、まるで空気のように、主人公たちの生活に入り込んでいる。少年の両親は教養があり、別荘だか邸宅には果樹園があり、桃や杏がたわわに実っている──。こうした生活が現実にあり得たかどうかはわからない。ただ、われわれ観客は、そうした生活を疑似体験する。そこに、ある種のあこがれを抱く。映画にはそういう魅力がある。

一方、Yahoo!などの映画サイトがあり、そこでは、星の個数で評価することが慣習としてある。それは、ただの、未見の客が映画を選ぶ際の、目安としてのサービスである。レビューを書く習慣があると、ついつい星をつけてしまう。しかし、この星は、気分しだいでどうになる(笑)。

なにも絶対的なことなどない。映画は山ほどあり、好きなのを見て、楽しめばいいのである。あとで評価が高くなるのもあるし、下がるのもある。そういうエンターテインメントなのだ。

なにをどう見て、どう評価して、どう言おうと自由なのだ。

カレーライスのすきな人が、お寿司を食べないからと言って、文句をいうのはスジ違いだ。

 


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【詩】「記憶の朽ちた船を探して、あるいは、成熟こそがすべてだ」 [詩]

「記憶の朽ちた船を探して、あるいは、成熟こそがすべてだ」


 


私はいまだ登録されてない星が宇宙の奥底で燃え尽き、愛を排出したのを見た。本質などというものは存在せず、そのつどの偶然の関係によって咲く花をよく見ると、それはただの炎にすぎず、さあ、行こうよ! だめだ。なぜ? ぼくたち、ゴドーを待たなければ。あ、そうだった。といって、動こうとしないブラックホールにさも似て、輻射と書いているだけでしあわせを感じる。25世紀ともなれば、ポセイドンは、どんな魚に称号を与えようかと思案していて、金の羊のことなどまるで頭にない。ウェリギリウスはキリスト以前に生まれたので、地獄へ堕ちることも天国へ行くこともできず、ただ、素粒子の数を数えるしかない。それも対になっている非存在としての。
*O quanto è corto il dire, e come fico al mio concetto! (私が言おうとしていることに比べて、言葉は何と貧弱なものでしかないのだろう。)


 


* ダンテ『神曲』、「天国篇」第三十三歌より、TS・エリオットが引用し英訳したものを、吉田健一が和訳したもの。『エリオット全集4』「ダンテ」中央公論社、所収)




 


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Thank you mom ! [日常]

Thank you mom !

 

母の日に、薔薇の花束送ろうとしたら、「安いのでいいよ〜」と言ったので、Amazonでカーネーションの鉢とどら焼きのセットを予約しました。いまだに教えられることの多いりっぱな母を持って幸せ。

 

うちの三人兄弟(私、妹、弟)は仲がよくて、父母の愛のおかげで晩年しあわせなんだ。今は弟が実家のご飯作りをしている。母は父の介護と内職をして、お小遣いもくれる(笑)。一生懸命働いたので、悠々自適の老後。

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新緑、薫風@ベランダ [日常]

    

 

     新緑の中や吾子の歯まったく目立たない

 

            (写真は、ベランダからの眺め)

 

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『女は二度決断する 』──インフラがたがたのドイツを反映した映画(★★) [映画レビュー]

 

『女は二度決断する』(ファティ・アキン監督、 2017年、原題『AUS DEM NICHTS/IN THE FADE』)

 

 経済優先しすぎで、橋や道路などのインフラががたがたというウワサのドイツと経済破綻したギリシアが、相互乗り入れしたような映画だ。

 爆破犯のネオナチは、カップル二人だけ。それに協力していた、いかにもギリシア顔の、やはり、ネオナチのギリシア人のオッサン。「悪者」は、この三人だけ(笑)。主人公の夫が経営するオフィスの前に「自転車爆弾」(笑)が仕掛けられ、夫と息子は「ひどい死に方」をする。いかにひどいかを、裁判中に延々と語られ、ダイアン・クルーガーのヒロインは、ただでさえ哀しいのに、恐ろしいまでの悲劇へと、自己を追い込んでいく。まあ、夫と息子は即死なのだけどね。

 なんで、狙われたの? それは彼がトルコ系で、そのなかでも少数民族のクルド人だったから? クルド人はユダヤ人みたいに国家を持たず、中近東を中心に、世界中に散らばっている。トルコに一番たくさんいて、1000万人ほど。ドイツにも、50万人はいるらしい。それなのに、なぜ彼女の夫が? 彼女の夫は、薬の売人をやっていた過去があり、それで服役もしていた。「今は真面目に働いているんです!」事務所を開いて、翻訳とかそういうことをやっているらしい。

 「豪邸に住んでいるね」と刑事に言われ、クルーガーは、「不便なところだから、土地代は安いんです」てなことを言う。このヒロイン、なぜか、タトゥー趣味で、体中にタトゥーを入れている。クスリの経験もあり、現に、耐えられなくなった時、友人の弁護士から、クスリを分けてもらっている。なんで弁護士が? 「顧客のプレゼント。捨てるつもりだったから、タダであげるよ」

 被害者の家宅捜索(も、家宅捜索されるのか? ドイツでは?)の時、ヤクが発見されるが、精神的に辛かったので使用と、「微量」なので、法的には見逃される。

 テロリストのカップルは意外に簡単に捕まって、裁判が始まるが、犯人の男の父親までが、倉庫に爆弾の材料があったと証言しているのに、その倉庫の鍵が、第三者でも使えた状況にあったことで、「疑わしきは罰せず」的無罪となる。

 そして、主人公独自の復讐劇が始まる──。原題は、『AUS DEM NICHTS』日本語に訳せば、「無へ」ということか。だから、本作は、推理劇でもなければ、社会劇でもなく、一人の女の心の軌跡ということになる。思わせぶりっこに、三部仕立てのテーマで区切られている。

 まあ、これは、事実まんまなのだろうと思われる。現にドイツに、こういう女がおり、こういう事件があったのだろう。背景もあまり直してないと思われる。だから不可解さが残る。どこかを変え、もっと納得のいくドラマにすることもできただろう。しかし、女が追っていく、犯人カップルの隠れ家(浜辺に停めたキャンピングカー)があるギリシアの、寒々とした風景はどうだ? カップルの掩護人、いかつい顔のオッサン経営のホテルもやすっぽ〜。これはこのまま、お国の内情が出てしまった映画と見た。貧すれば鈍す。人員も、予算も足りず。ただひとり、CHANELカヴァーガール(アンチエージング系の化粧品)の、ダイアン・クルーガーのみが、凄絶な演技をする。

 このヒトを初めて見たのは、ブラピ主演の『トロイ』。絶世の美女、ヘレナに扮したが、これが絶世の美女?と思った印象は今も消えず。やー、CHANELのカヴァーガールに選ばれるくらいだから、美人だとは思うんですが。

 


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『君の名前で僕を呼んで 』──愛とは教養である(★★★★★) [映画レビュー]

『君の名前で僕を呼んで』(ルカ・グァダニーノ監督、2017年、原題『CALL ME BY YOUR NAME』)

 

 愛とは教養である。教養がないと、「モーリス」映画を期待して外されたと悪態をついたり、ストーリーや演出の起伏がないなどと、自らのバカを露呈することになる(笑)。

 主人公の17歳の少年は、実は(当時)22歳の、ショーシャ・ローナン男版のような、ニューヨーク生まれのアメリカ人俳優が扮している。巧まずして、こういう「深さ」は出せないだろう。北イタリアの自然に富んだ別荘地が舞台ながら、制作側は、自然に、任すわけにはいかない。具体的に所在地を設定せず、「こんなことがありました」的な展開である。

 古代ローマ文明研究者の大学教授の屋敷に、「例年のように」大学院生が、おそらくは、教授を補佐しつつ、自らの論文を書くためにやってくる。それは毎年のことなので、教授の17歳の息子やガールフレンドたちは、「今年はどんなやつかな?」的な興味しかない。それが……

 車から降りた彼は、身長190センチ超、だけど、ごつさは全然なくて、遠目でもハンサムとわかる。しかも、教授がしかけた、母の出すアプリコット・ジュースを飲みながらの、「第一の難問」。アプリコットの語源をも、難なく自説を披露して、教授のお試しを、突破する。少年は少年で、バッハなど、クラシックを編曲する趣味(?)を持っている。ピアノも、オリジナルにすばらしく弾ける。母とは、フランス語で話している。ということは、母親はフランス人か? ガールフレンドともフランス語で話していて、一家は英語で話している。お手伝いさんや下男(まー、差別語ですかね(笑))などとは、イタリア語で話す。

 すると、この一家はユダヤ系フランス人なのかもしれない。だいたい、教授の名字のパールマンは、ユダヤ系の名字だ。やってきた、アメリカ人の青年も、ユダヤ系である。

 頭脳明晰の、オリヴァー(アーミー・ハマー)だからこそ、「最高の愛の交換」を思いつく。「きみの名前でぼくを呼んで。ぼくの名前できみを呼ぶから」。これこそ、時間にも社会的条件にも打ち勝つことのできる最高の愛の証である。よしや、この二人に「ハッピーエンド」があるとして、それは、途中でパールマン家にやってくる、年老いたゲイ夫婦のお客のようになるのが関の山。かくも、時間は残酷である。美しいまま、美しい時間を凍結するなら……「きみの名前でぼくを呼んで」である。だから、(「オリヴァーの帰国」で終わってもいいはずだった)物語は延々と続き(このあたりが、フツーの映画しか知らないか観客は冗長に感じてくる)、アメリカへ帰ったオリヴァーから突然電話がかかってくる。それは、不自然でもないように、ユダヤ特有の、「ハヌカ祭」の日に設定されている。オリヴァーはそこで、自分の婚約を告げる。けれど同時に、少年への愛も伝える。お互いは、自分の名前で相手を呼び合う。これこそ、時間にも社会の規制にも打ち勝ち、いつでも二人の時間を取り戻すことができる術(すべ)なのだ。

  こうした「映像の文学」に、通俗的なドラマチックな展開(バカが、「母親とできるとか」と言っていたが(笑)。そういう意味では、ブ男、ダスティン・ホフマンの『卒業』は、通俗である(笑))を求めても意味がない。しかも、美として表現されるためには、演じる男優たちの洗練された演技術、かつ、美しい肉体が必要である。とくに、少年を魅了する、「おとなな」男の美は、今役者としてノリにノッている、アーマー・ハマーあってのものだろう。彼は、今、ブロードウェイの舞台に立っている。ぜひ、生(なま)アーミーを見るために、ニューヨークへ行きたいものである(笑)。

 


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四年前の福岡の藤棚 [わん太]

わん太は、四年前には歩いて十五分ほどの、このすばらしい藤棚まで行けたのに、元気だけど、今は、もう、老化でそこまで歩けない。犬の生涯短かすぎ……。

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