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【詩】「アンリ・ベルクソン」 [詩]

「アンリ・ベルクソン」

 

時間の中で、言葉と空間の間に吊られ

意識を取り出そうと夢見る。同時期フロイトと、

同じものを見つめ、

魂のありかを探る。

結局、肉体と魂は平行していないことを

発見し、みずからのなきがらを葬る。

そらこれが魂というものだ、それは、

焼き場では拾えない、死んだ時

ひとは魂を解放する、肉体から

それから時間だ。ブラックホールが

どこよりも明るいなんて

知っていたさ、彼は笑って

アインシュタインを

送り出す、空間へと。

 

 

 


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【詩】「詩人」 [詩]

「詩人」
私が「おとうちゃんへ」と書けば、みなは嘲笑って退く。
Lowellが"To Daddy"と書けば、みなは、きっと何かあると思う。
彼はアメリカの有名詩人だから(まあ、それさえ知らない日本の詩人は多々いるが(笑))。
有名人はいろいろなコースを通って「有名」となる。
多くの場合、権威と結びついて、読み手になにかを保証する。
無知な読み手は、それで安心するわけだ。
自分は高尚なものを読んでいると。そういう保証がないと、
とても不安な人々がいる。程度の低い、有象無象のヤカラには
金を払いたくない。しかし、実際、計る能力はない。
それで、有名であるかどうかを一種のはかりにするわけだ。
見よ! Lowellのdaddyは、尊敬され、
私のおとうちゃんは、歯牙にもかけられない。
いまだに、古い、詩のようなものを書いて悦に入っている、
あの「詩人」。嗤うのはこちらだ。
日本の狭い詩の世界では、それを権威だと
信じ込んでいる人々がいる。
クサいリフレインなんかしちゃってサ(笑)。


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【詩】「おとうちゃんへ」 [詩]

「おとうちゃんへ」
じてんしゃでかえってきていんさつのいんくのにおいのするほうそうしにつつまれたものをぶどうだよといったけどほんとうはみるくのみにんぎょうだったすでにくらいゆうがたのにわほどわくわくしたことはなかった。なるほどぶどうとにんぎょうはおなじやわらかさだった。そんなうそをどうやっておもいついたのか。





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【訳詩】「To Daddy」Robert Lowell ("History" 1973) [訳詩]

「To Daddy」Robert Lowell ("History" 1973)」
I think, though I didn't believe it, you were my airhole, resigned perhaps from the Navy to be an airhole____
that Mother not warn me to put my socks on before my shoes.
******
「とうさんへ」ロバート・ローウェル
あなたは、そうは思ってはいなかったが、ぼくの水ぶくれだ、たぶん水ぶくれになるために海軍を辞めた──
母さんは靴を履く前に靴下を履けとは言わない。




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【昔のレビューをもう一度】『妻への家路 』──やっぱり、チャン・イーモウなのか(★★★★★) [映画レビュー]

『妻への旅路』(チャン・イーモウ監督、2014年、原題『歸来/COMING HOME』)
2015年3月8日 20時10分  
 ひさびさのチャン・イーモウ+コン・リー。「世界中が涙」とパンフにあったが、な、泣けない……。確かに映像もすばらしく、コン・リーの演技もすばらしく……であるが、なぜだろう? すでにテーマが時代遅れのせいもある。確かに、文化大革命の残した傷跡というのは、あるだろう。しかし、今の中国はいったいどうなっているのか? 歴史を描くとしても、今の中国人の視点から見た歴史でなければならない。文革の放下より帰還という映画は、ほかにもあったように思う。それらと比べて、とりわけ抜きんでているわけではないと思った。ただ、さすがに、物語を紋切り型に収めず、妻の記憶は戻らず、「知人」として彼女が「夫」を迎えに、毎月「5日」に駅へ行くのに寄り添い続ける夫は、もしかして、自分自身の帰還さえ待っているのかもしれないということを考えさせた。そういう意味では、やはり、チャン・イーモウなのか。音楽は、かなり洗練されている。



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『SHADOW/影武者 』──あの赤、さすが中国のスピルバーグ(★★★★★) [映画レビュー]

『SHADOW/影武者 』(チャン・イーモウ監督、2018年、原題『影/SHADOW』
三国時代、日本で言えば、弥生時代で卑弥呼が活躍(笑)、西洋は、ローマ帝国の時代である。そんな時代の、国盗り物語の一エピソード、腕も頭もたつ、重臣の一人が、国を取り返そうとする話をベースに、おのれの影武者を作り、彼を、相手国の王と戦わせる。しかし……影武者、影であったものに、「本体」を取られるまでを描く。
 妻夫木聡に風貌ちょい似たりの、影武者と、とんでも爺に見える「本体」の重臣・都督を演じるダン・チャオがすばらしい。似ているから影武者なんだろうが、実際、全然似てない(笑)。
 多くのレビュアーが、水墨画とかモノクロとか書いているが、私にはそうは見えなかった。黒は、ネイビーであり、ブルー、水色などが、無限のグラデーションを作って、王宮や市街、隠れ家、湖、雨などを表出している。敵方の、刀というマスキュランな武器に対して、影武者と常に「夫婦を演じさせられている」、都督の妻が、自在な、傘という、フェミナンな武器を思いつく。その傘の動きが、本作の見せ場である。ブーメンランのような武器を仕込んだ傘が、雨の戦場で舞う──。そして、おそらく、この「赤」を目立たせるための、暗い色使いであったことがわかる。すなわち、戦場で流される血である。それだけが赤く美しく、流れていく。さすが中国のスピルバーグ。





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【詩】「お茶と同情」 [詩]

「お茶と同情」
茶葉は香りよく煎られ
古い映画のタイトルは忘れ
刺客隠れたる茶工場の
わが幼年期の
父はまだ若くして
父性を知らず坂道に
立ち行き方を
迷っている坂道の
上なら港
下なら街
*老去功名意囀疏
獨騎痩馬取長途
孤村到暁猶燈火
知有人家夜讀書
**「中国の詩句は音綴によるものであり、脚韻が踏まれている。しかし、それはさらに、文法的で語彙的な厳密きわまりない対句法を基礎としている。詩句は完全に意味を含み、いっさいの跨りを追放する。従って、《文》を意味する語は、同時に詩句をも示すことになる。」
***「(明治時代)詩といえば、すなわち漢詩を意味し、日本語の詩は、新体詩と呼ばれて区別された」
しかして漱石は、百日間漢詩を作ることを日課とした。
わが遠州のお茶工場は煎られる茶葉の匂いに満ち、
私は梁から吊されたブランコに乗り、
恋人は未来でお茶が注がれるのをじっと
待っている。
*******
*蘇軾「夜行」
**『フランス詩法』(ピエール・ギロー著、窪田般彌訳、白水社クセジュ文庫)より)
***吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波文庫)より



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【本】『恋人たちはせーので光る 』──「商品」としては完璧、しかし著者が「男性」である「疑惑」は残る(笑)。 [Book]

『恋人たちはせーので光る』(最果タヒ著、 2019年8月30日、リトル・モア刊)
最果 タヒ (著)
  徹底して顔出しをしない「覆面詩人」。そういう書き手は、過去にも、アメリカ作家ピンチョンだったか、いろいろいたし、日本でもいる。しかし彼らは、公の場には顔を出さない。しかし、「覆面詩人」でありながら、最果タヒは、ちょろちょろと公の場に顔(?)を出す。まんま、「顔の部分だけ」隠している。テレビにも出たというので、果たしてどんな風貌なのだろう?と検索したら、「なんでもある」YouTubeに画像はなくて、wikiペディアによると、「あみぐるみ」の人形があって、陰に隠れて声だけ出していたとか。確かに、YouTubeには、最果が詩を朗読している「声」はある。かわいらしい女性の声である。しかしながら、その程度の声は、男性にも出せる。
 美術のインスタレーションとか、さまざまな分野の「芸術」とコラボしている。従って、実際に接した人々もいると思う。写真などは、おかっぱ頭に、本で「顔の部分」だけ、隠している。女装していれば、そんなことは簡単にできるし、現実にも、めがね、マスクなどで、女性と印象づけることは可能であり、とにかく、おおやけへは、女性を印象づける操作に成功しているともいえる。
 「詩人最果タヒ」は、出したい情報(生年月日と、出身校(京大))だけ出している。なるほど、この「データ」は現実のモノであろう。
 私は、秋元康が、「ユニット」としての歌手を思いついたことを思った。「最果タヒ」とは、もともとは、「現代詩手帖」出身の、普通の詩人であった。賞を取り、若いので、詩集を思潮社から、「企画」で出版した。その後も、中原中也賞を取るなどして話題になり、詩集が売れ始めた。「リトルモア」という出版社が目をつけて、「ユニット」(本の編集、装丁などの斬新さ(アート作品へとつながる)で、「商品」を作り上げ、現在に至る。
 コンテンツは、最果の詩であるが、この詩は、悪くない。センスがいいし、しっかり考えられている。本人も、三十代はじめだから、「ありうべき若者」の世界を詩に書いている。ほとんど教祖のような詩である。
「座礁船の詩」
ぼくがきみを好きだとしても、きみには関係がない。割れてしまったガラスは以前より反射するから、本当は境界線などなくしてたただギラギラとするべきだった。確かに、恋するべきだった。満ち潮のとき、ひとはたくさん生まれるらしい。本能に従っていれば、ぼくは程々の優しさを、そなえていることがわかる。それが恐ろしくて、みんな、恋をして家族を持つんだが、ぼくは一人きりで生きて、神様になろうかと思っている。
 決して紋切り型にははまらず、永遠にズラしを行う、そういう詩作法である。
 人間が書いたような気がしない。AIが書いたような詩群である。それが新鮮で、美術ともコラボできるゆえんかもしれない。生身の本体を隠しての詩、あるいは文学は、実は不可能である。何十年かして、「顔を出す」かもしれないし、それより前に、忘れ去られるかもしれない。このような「人工的な思考」の「詩」は、ありふれて、まさしくAIによって量産されるようになると、「最果タヒ」という詩人は、時代の忘却の彼方へと消え去り、歴史には、あとかたも残らない。時代が生んだ「商品」の運命である。
 普通、現実の自分を出す「あとがき」に、一人称として「ぼく」を使っている。女子高生なども「ぼく」を使ったりするから、これだけで男性とはいいがたいが、「性別をまぜこぜにしたい若い女性」像を作り上げているようでもある。うがちすぎか(笑)。
  本書の割り付けなどは、一編の詩ごとに、活字の種類、大きさなどを変えている。組み方も、縦横(たてよこ)自在である。目次の並べ方も、一直線ではなく、項目をデザイン的に配置してある。表紙デザインは、赤が目立つ背景に、詩の文字をぎっしり並べ、真ん中のイラストは、西洋の、ドラキュラなどが眠っていそうな棺である。そして、「せーの」という文字だけ、目立つようにデザインされている。美術品として完璧である。

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恋人たちはせーので光る

恋人たちはせーので光る

  • 作者: 最果 タヒ
  • 出版社/メーカー: リトル・モア
  • 発売日: 2019/08/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)











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【詩】「難破船」 [詩]

「難破船」
たかが恋なんて
と歌い出すのは中森明菜か加藤登紀子か
それはそれとして
海底に沈んだ船は
時間から抜け出した
海賊船
ソマリアの?
トム・ハンクスも飛び越えて
きみにできるのは
を鍛えること
当然
シェークスピアの舞台にたつために
シェークスピアを上演すれば絶対に
赤字は出ない
とかだから
老いも若きもすでに
名をなしたものも
シェークスピアをやりたがる
オーランド・ブルーム
ジョニー・デップ
タロン・エガートンまでもがすでに
領海を抜けて
たかが恋なんて
と歌いながらさまよって
いるのは
難破船



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Landsape 201909 [写真]


The remains of the days 1


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The remaind of the day 2

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The remains of the day 3

land1909_2.jpg



moon in the remains of the day

moon.jpg



lonely egret

sagi.jpg







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