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『マーウェン』──バック・トゥ・ザ・フューチャー with 人形(★★★★★) [映画レビュー]

『マーウェン』(ロバート・ゼメキス監督、 2018年、原作『WELCOME TO MARWEN』)

 

 よくできている映画なのだが、大ヒットははなから難しい映画でもある。なんせ、大半は「人形」が「演技」している。状況設定も複雑である。事実をもとにしているが、事実でもなければ、こんな入り組んだストーリーは不可能だろう。

 第二次世界大戦中に、ベルギーだかのある村で、ナチの五人組に襲われたアメリカ人の大尉が、拷問されて体も心も壊れてしまった。記憶も壊れ、アルバムを見て、結婚していたらしいこと、優秀なイラストレーターらしいことがわかる。自分の名前を書くのがやっとの手では、イラストレーターに戻ることは不可能である。そこで、フィギュアを使って、過去のできごとを再現し、それをカメラに収めることを思いつく。そして、個展なども開き、カメラマンとして成功する。しかし──。

 村を再現し、実在の人物を人形たちで置き換えていくうち、かつての悪夢が蘇り、現実と幻想と夢が入り混じる。PTSDは治らないどころか、悪化するような感もある。拷問したナチどもを断罪する裁判の証人になることを求められているが、それも出席できるかどうかわからないほど、精神は傷を露呈し、本人は悩みを深くする。しかし──。

 それは、周囲のやさしい女たち、ことに、フュギュア店の店員、隣りに引っ越して来た女性によって癒されていく。そのほか、ボランティアのヘルパー、リハビリ師、すべて女性であるが、彼女たちをすべて人形に置き換え、過去の場面を再現し、それを写真に撮る。家には、PTSDの化身ともいうべき魔女が時計のなかにいて、彼の悪夢を司る。

 かつてのNHKの「ブー・フー・ウー」(って古すぎるか(笑))のように、実際の演技は着ぐるみ(本作では、特殊メイクした俳優)がして、いざ「箱にしまう時」は、ほんものの人形になる。それにしても、フィギュア店には、将軍の勲章や武器など、実際のものでないものはないぐらい置かれている。こういうデティールがすごい。しかし、いずれ、デティールに回収されていって、映画の規模も縮小されていくかのようだ。そこんとこが、難しい。カメレオン俳優、スティーブ・カレルの独壇場もってしなければ、リアルな人間ドラマに観客を引きずり込めないかもしれない。しかし──。

 これは、ゼメキスお得意の、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」であり、「未来に戻ること」によって、PTSDは克服されていくかのようである。その際の「道具」は、デロリアン号ではなく、お人形たちである。おセンチで古くさい音楽がちょっと興ざめではあった。がしかし、時代の表現としてはいたしかたないか。題名の「マーウェン」とは、二人の人間の名前をくっつけて作った、架空の村の名前である。



 


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【日本の短編を読む】高見順「或るリベラリスト」 [文学]

【日本の短編を読む】高見順「或るリベラリスト」(『文藝春秋』昭和26年5月号)(四百字詰め換算、約90枚)

 

 蓮實重彥は『物語批判序説』で、物語=紋切り型を批判したが、それは物語のきれいな型に収まっているものを、小説とはしないという考え方だった。そして、文芸作品というものは、芭蕉の俳諧(俳句は、正岡子規以降)も、時代背景抜きには味わうことはできないと説いたのは、小西甚一である。そのように、小説も、時代背景を無視して、勝手な「物語」をそこに見いだしても意味がない。

 本作も、昭和26年の時代と、きっかり切り結んでいるものであり、そこには、当時の知識人たちの、味気ないほどリアルな生活が、見落としがちな心理や状況をすくい取って、それなりのストーリーを展開していく。

 ここでは、人々は、職についているかどうかはあまり気にしていない。現在なら、介護の問題がどの家庭にも重い問題となってのしかかってきているが、ここでは、なんと、赤の他人を引き取って、介護しているのである。それがとくべつ、褒められることでも、また、その他人をよそへ渡すことにも、罪悪感を持って描かれている。

 いまでいう、知識人ゴロのような老人(といっても60代)をめぐって、作家や学者が、友情などに、ひびを入れられたりするが、その老知識人を見放せずにいる。その老知識人は、いまでいうなら、現代思想家の若者みたいにけろりとしていて、厚かましく、ひとが病気で寝ていても、平気で訪ねてきて、おしゃべりしていくような人間である。この頃の人間は生真面目で、そう簡単に図々しい人間さえ、身捨てるという選択肢は思いつかない。

 文体は、秀島という、視点人物を据えて語られるが、かなりリアルではあるものの、私小説というわけではない。それが証拠に、最後には、ロシア文学の「余計者」へと「昇華」させていく。文体はリアリズムで無理のない言葉運びながら、「技巧」をまったく目立たせないほど技巧的である。

 結局、おしゃべりなリベラリストの奥村老人を、みんなして養老院へ送っていくのだが、そこはもう二度と出られぬ牢獄のようにも感じられる。最終数行、

 

 秀島の眼にこの老リベラリストが、今ほど悲惨に、だからまた今ほど立派に見えたことは嘗てなかった。悲惨であることによってその姿は光栄と権威に輝いていた。

 奥村氏はまだおしゃべりをやめない。秀島はそっと目頭に手を当てた。

 

 

 


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【詩】「サイコキラー、Qu'est-ce que c'est? 」 [詩]

「サイコキラー、Qu'est-ce que c'est? 」

 

期待していたものに

あざむかれて

世界は裏返り

宇宙を見失うとき

ひとは、詩を書こうと

思いつく。

サイコキラー、Qu'est ce que c'est?

ことばが人と共通と知ったとき

裏切ってみたい感情が発明される

サイコキラー、Qu'est-ce que c'est?

心象的比喩の彼方に

実存はあり

不意の幻滅と驚愕のお遊び

サイコキラー、Qu'est-ce que c'est?

一撃、含蓄、ゆらぎ

サイコキラー、Qu'est-ce que c'est?

内容も実質も持たない

天使の

心象的表現形式。

 



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恥ずかしい人々 [なんとなくエッセイ]

「恥ずかしい人々」

 

ネット上で、詩人、作家、学者、文化人として、文章を公にしている人々で、国会議員選挙で、しかも、戦争をするかもしれない党と党首が云々されている状況で、そんなことはまるで存在しないかのように、延々と私事、身辺雑記、花鳥風月、作品などを書き続けて平気でいる人々は、自国の政治的状況についていったいどう思っているのか? なぜ黙っているのか? まるでそんなことに言及するのははしたないと思っているのか? 不思議でしょうがない。そういう人々は、自国が戦争に突入しても、自分に直接の被害が及ばないかぎりは、花や鳥、自分の本、外国でのイベントなどをしゃべり続けているのだろう。経済学者の金子勝氏などは、ツイッターで、「安倍」と呼び捨てにした上で、連日批判を、選挙よりはるか前から続けっぱなしで、ここまで言っていいのだろうか? という口調で書いている。また、首相経験者の鳩山由紀夫氏は、ツイッターで、山本太郎支持を表明していた。

何度もいうが、政治的にいっさい言及しない、公に文章を発表している人々は、いかにも日本的で、それが、安倍政権存続に一役買っているとも言える。なにか、支持政党について言及したら、秘密警察に捕まるのではないかと恐れているかのようだ(笑)。

世界レベルから見たら、恥ずかしい人々である。思う存分、ご自分の趣味や著作について語るがいいさ(笑)。

いいじゃないの、しあわせならば。そう、自分さえ。




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自民改選議席割れが確実に [政治]

自民、改選議席割れが確実に

7/21(日) 22:58配信(Kyodo)
めでたい。

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しかしながら、日本は政党政治なんで [政治]

いつもどおり、日本共産党に入れましたよ。埼玉県で21年ぶりに議席獲得は、めでたい。




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山本太郎なのかもしれない症候群 [政治]


 山本太郎なのかもしれない症候群。



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山葡萄色のプルースト [文学]

山葡萄色のプルースト、と、山葡萄色のらくがき。

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山葡萄という名のインク [文学]

山葡萄という名のインク。

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一等国、フランス [文学]

一等国、フランス。


 


「パリのパサージュの多くは、一八二二年以降の一五年間に作られた。パサージュが登場するための第一条件は織物取引の隆盛である。流行品店(マガザン・ド・ヌヴォテ)、つまり大量の在庫品を備えた初期の店舗が登場し始める。これは百貨店の前身である。それは、バルザックが『マドレーヌ教会広場からサン=ドニ門まで、陳列された商品の大いなる歌が色とりどりの詩句を歌っている』と書いた時代である。パサージュは高級品が売られるセンターであった。パサージュを飾り立てるために、芸術が商人に仕えている」(ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論1』(今村仁司ほか、訳、岩波書店)


 


これが、そのあたりである。


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