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恥ずかしい人々 [なんとなくエッセイ]

「恥ずかしい人々」

 

ネット上で、詩人、作家、学者、文化人として、文章を公にしている人々で、国会議員選挙で、しかも、戦争をするかもしれない党と党首が云々されている状況で、そんなことはまるで存在しないかのように、延々と私事、身辺雑記、花鳥風月、作品などを書き続けて平気でいる人々は、自国の政治的状況についていったいどう思っているのか? なぜ黙っているのか? まるでそんなことに言及するのははしたないと思っているのか? 不思議でしょうがない。そういう人々は、自国が戦争に突入しても、自分に直接の被害が及ばないかぎりは、花や鳥、自分の本、外国でのイベントなどをしゃべり続けているのだろう。経済学者の金子勝氏などは、ツイッターで、「安倍」と呼び捨てにした上で、連日批判を、選挙よりはるか前から続けっぱなしで、ここまで言っていいのだろうか? という口調で書いている。また、首相経験者の鳩山由紀夫氏は、ツイッターで、山本太郎支持を表明していた。

何度もいうが、政治的にいっさい言及しない、公に文章を発表している人々は、いかにも日本的で、それが、安倍政権存続に一役買っているとも言える。なにか、支持政党について言及したら、秘密警察に捕まるのではないかと恐れているかのようだ(笑)。

世界レベルから見たら、恥ずかしい人々である。思う存分、ご自分の趣味や著作について語るがいいさ(笑)。

いいじゃないの、しあわせならば。そう、自分さえ。




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「答えではなく、問いである」 [なんとなくエッセイ]

「答えではなく、問いである」

 

 なんか、朝日新聞に、金井美恵子センセイが、令和によせて、とかという枠で寄稿され、それがツイッターなどで、感心している人がいて、それをまた「ナイス」している人がいて、それで、ふと眼に留まって、Asahi.comまで行ったら、「そこから先は〜♪」有料でした(笑)。まー、金払ってまで読むべき文章ではないので、「引き返してきた」が(笑)。無料(タダ)で見える部分だけ読んだら、明治、大正、昭和、平成と、個人の死によって元号が変わってきたが、多くの人が元号など使ってないはずであるノノって、よく、そういう人がいますが(笑)、この場合、問われているのは、「使う習慣があるかどうか」ではない。しかも、「個人の死によって」という箇所も、どういう認識でいるのか、この人には、歴史認識(天皇制賛成、反対とかの問題では当然ない)が決定的に欠けている。なんで、こんなバーサンを「わざわざ呼んできて」記事を書かせたのか? と考えれば、まー、朝日の文化部だがなんかに、旧左翼の意識のまんまの人がいるんだろーなー、である。

 まず、改元は、べつに「個人(まあ、象徴天皇という存在も個人と考えれば、であるが)の死」によってばかりなされるわけではなく、天皇が代わるということに関せば、「死」だけではなく、今回のように、「自ら退位」して、代わることになったのであるが、天皇に関するだけでなく、どうも悪いことばかり続くから変えようという、改元理由も、明治、大正、昭和、平成以前にはある。大化の改新(645年)から、ずっと元号が使われ、その改元理由は、驚くほど種類が多い。天皇の代替わりによる改元を、「代始改元」という。一世一元制は、象徴天皇制をも確認する。

 すなわち、そういう国家形態なので、元号を使う使わないといってもそれは、問いのたてかたがお門違いなのである。もっと大胆に考えれば、改元はそのうち、バレンタインデーくらいのできごとでしかなくなって、やがて、天皇制もなくなるのかな〜? と、ここまで考えるべきである。

 歴史認識を欠いた論考は、表面だけ「なにかを斬ったつもり」のひとりよがりの観念でしかなく、まー、18歳から文筆業だけやってきて、会社などには勤めた経験皆無の、バーチャンには荷が勝ちすぎていたのかなー?ってなもんである。ひたすら妄想だけを、どっかの文芸誌に連載してればいいじゃんである(笑)。

 

 


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「かつてこんな歌人がいた」 [なんとなくエッセイ]

「かつてこんな歌人がいた」

 

1960年に20歳前後の大学生であったということは、その〈情況〉が心情に影を落とし、今の同じ年頃の学生からは絶対に考えられない心情に囚われていたと思われる。本なども多く読み、深く思索していた。そのなかでどうしようもない閉塞感に捉えられ、感受性のゆたかな人間は、あるいは自殺への道を辿ったかもしれない。岸上大作はそんな若者の一人だった。しかし、ほかの似たような心情に囚われた若者と違っていたのは、彼が歌人として才能を持ち、すでにすぐれた先達から評価を受け始めていたということだ。私の手元にあるこの文庫本は、昭和四十七年発行、四十八年三版のものである。吉本隆明が解説を書いていて、岸上との「わずかなふれあい」と、深い内省のなかへの取り入れを、丁寧な手つき、誠実な記述で、岸上大作という「歌人」を紹介している。

 

  そのなかで吉本は、文章をおおやけにするものの責任と覚悟について書いている。読者である若者が、その文章を過剰におのれのなかに取り込み、彼の人生の進路を変えたとして、そんなのは読者の勝手であっておれは知らないといいきれるか? というようなことを問うている。事実、岸上は吉本に接しているが、それは講演を頼みにいった「国学院大学短歌研究会」の学生としてであり、その後大学からの許可が下りずにふたたび断りにいった。たったそれだけの「関係」であるが、吉本は、むしろ、あまり気のすすまない仕事がなくなりホッとし、岸上は、吉本隆明という尊敬する人物に対して心から恐縮してしまった──。

 岸上の自殺には、さまざまな要因があろうが、その時代の〈情況〉が彼をそのような心情にしたことは確かだ。とりわけ吉本は、岸上の「貧しさ」に目を留める。それは非常に重要なことのように思う。家が貧しい学生と、家にゆとりのある学生では、この時も、いまも、その「心情」に大きな差が出てくる。これは、おそらく今も変わっていないはずだ。貧しい学生が往々にして私立大学に行かざるを得ないのは、十分に勉強に集中するだけのゆとりが、心情的にも即物的にも、与えられていないからだ。そんな出発点からして、すでに違っている学生たちが、マルクス主義などをかじり始める。そして、それは、頭の中だけで展開する「思想」となるか、現実との乖離を露呈していく「空論」となるかに、大雑把にいって枝分かれしていく──。

 嗚呼! 中国共産党は誰もマルクスなど読んでない(爆)と暴露されるのは、五十年後である。そこにはネットもあって、どんなバカでも「文章をおおやけにする」時代である。誰も、名のある著述かでさえ、自分の文章をおおやけにすることの責任なんて考えもしない。かつて、こんな時代がありましたと、思い出せるのは、ほかでもない、岸上大作の歌である。引用歌はすべて、「岸上大作小論」を書いている、吉本隆明の選んだ歌から選んだ。

 

 呼びかけにかかわりあらぬビラなべて汚れていたる私立大学

 

 (「意思表示」)

 

 美化されて長き喪の列に決別のうたひとりしてきかねばならぬ

 (「しゅったつ」)

 

 欺きてする弁解にその距離を証したる夜の雨ふらしめよ

 

 (「しゅったつ」)

 

 人恋うる思いはるけし秋の野の眉引き月の光にも似て

 

 悲しきは百姓の子よ蒸し芋もうましうましと言いて食う吾れ

 

 恋を知る日は遠からじ妹の初潮を母は吾にも云いし

 

 ひっそりと暗きほかげで夜なべする母の日も母は常のごとくに

 

 白き骨五つ六つを父と言われわれは小さき手をあわせたり

 

 (「高校時代」)

 

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アルマーニ? [なんとなくエッセイ]

「服育」で、アルマーニなら、当然「食育」=給食は、フォアグラ、キャビア、神戸牛でお願いします。

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誰も杉村春子を知らない(笑)。 [なんとなくエッセイ]

「読売演劇大賞」が発表になった。最優秀女優の宮沢りえの舞台は何度も観たが、確かに、やる気満々は伝わってくる。しかし、小林秀雄が見たら、やはり杉村春子に対して評したように、「痩せすぎ」というかも(笑)。

 この「大賞」には、「杉村春子賞」という賞もある。しかし、「思い出す」どころか、「知らない」人たちの多い昨今ではある(笑)。

ついでながら、こちらもよろしくね↓

 

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=103861158



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日曜日の映画鑑賞は…… [なんとなくエッセイ]

日曜日の映画は、『スターウォーズ、ジェダイのなんとか』の一択(って、こればっか(笑))。もうオハナシが見えなくなっているが、気にしない(笑)。


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私の「同人誌時代」 [なんとなくエッセイ]

「私の『同人誌時代』」

 

なにか私が突然詩に目覚め詩をネットで発表して詩集を作ったみたいに思って、自分は、「常々(同人誌に)発表してる」(から、正統派の詩人だみたいに思っているように受け取れる)とおっさるFB友人、蝦夷苺さん(詩誌『コールサック』同人らしい。同誌発表名は、なにか知らず(笑))への返信。

*****

私も、20代前半からおよそ30年間は、同人誌活動してました。そのなかの作品が、『すばる』の編集者の眼に留まったんです。その同人誌は、100号以上続いて、自然にネットに移行。書いた短編は、60作以上。

『現代詩手帖』投稿は、19歳ぐらいから23歳ぐらいまで。評価してくれた選者に、石原吉郎、吉原幸子、清水哲男、長谷川龍生、鈴木志郎康など。すでにお亡くなりになった方々もいますが、私はこれらの方々に対しては、「いちげんさん」じゃないんです。

同誌新人特集の同期に、松浦寿輝、伊藤比呂美、ねじめ正一、朝吹亮二など。

 

この欄で見初められて、松下育男氏の加わる同人誌『グッドバイ』に誘われ同人として活動していたが、氏の夫人(千里さんで、私の友人でもあった)が自死されてから、松下氏とはほとんど交渉がないにもかかわらず、私を避けるようになり、おまけに、過去の同人メンバーからも「消去」している。ゆえに、私は、千里さんの「恨み」を晴らしてもいる(笑)。

**

本多寿だったかねー、数十年前、「盗作問題」があり、家人が追求してから、送って来なくなったんです(爆)。なくなったと思ったら、まだ存在してたんですね、って感じ。

 

以上、ごくざっくりの私の「同人誌活動期」です。

 

これだけの活動があって、「今」の復活があるんです。

 

「作品常々発表してる」って、その同人誌と100号いっしょにやってから言ってくださいね。



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八幡宮 [なんとなくエッセイ]

日本全国に44000箇所あると言われる八幡宮の「神」は、天皇であって、ホトケも入っちゃってる、キリスト教の神とはまったく違う神である。女性の祭司は、代々皇女がなっている、伊勢神宮や加茂神社など、とくに珍しいことではない。西洋の神とは、まったく違う。

 

 

 




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2009年12月27日、オルセー美術館(パリ)で見たホンモノのゴッホ [なんとなくエッセイ]

オルセー美術館(パリ)で見た、ホンモノのゴッホは、明るく力強かった。とくに青は、ゴッホ・ブルーと言える、独特な青で、無限のバリエーションを持っているかに見える。

 

オルセー美術館は写真撮影OKの粋な美術館。最高の額縁と場所を、ゴッホさまにご用意(笑)。

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ゴッホはひまわりばかりを描いていたわけではない [なんとなくエッセイ]

ゴッホはひまわりばかりを描いていたわけではない。オルセー美術館カレンダーの11月の絵は、「ん? ムンク?」ってなゴッホでした(笑)。

 

「ローヌ川の星降る夜」


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